第40話 思い出の場所 ローダインにて⑤

 コンラッドは、宮殿の外れにやってきていた。人気の無い宮殿の裏庭を通り、さらに木のトンネルを抜けた先に、その建物はあった。


 常緑樹に囲まれた石造りの建物の中には、一人の女性とも男性ともつかぬ文官らしき人物が、書類にうずもれていた。ボサボサの赤毛をひっつめた、緑色の瞳をもつ色白の人物は、コンラッドの姿を見るとうれしそうに白い歯を見せた。

 

「おお、お帰り。コンラッド。元気だったか?」

「ジーン。私は、変わりありません」

 

 ジーンは勢いよく立ち上がり、コンラッドを出迎えた。机の上も下も様々なものが混沌としており、ジーンが動くと何かが崩れた。

 

「悪かったね、すぐに会えなくて。陛下の用事で、ちょっと出ていてね」

 

「いえ、私たちが予定より早く帰ってきたので」


 穏やかなジーンの目が、一瞬鋭い光を帯びた。

 

「何かあったみたいだね。何はともあれ、帰ってきてくれてうれしいよ。人手が足りなくて困ってたんだ。あれ、今日は一人かい? 綺麗な相棒はどうした?」

 

 コンラッドは、エル・カルドでの仔細をジーンに話した。ウィラード殿下とシルヴァの失踪に魔道が絡んでいること。第二聖家に怪しい動きがあること。そこへ、ディランが調査のために残っていること。

 

「本当か? それは助かる。エル・カルドには私たちも手を焼いていてね。とにかく、他の国の人間が入り込む余地がない。クラウスの報告も、苦労が滲み出てるよ。まあ、ウィラード殿下の教育係では、大した知らせもないけどね」

 

 ジーンは、マーマレードの入った温かい葡萄酒を出してくれた。コンラッドはグラスを手に取り、懐かしい香りを楽しんだ。

 

「砦から出した手紙は、届いていますか?」

 

「ああ、読んだよ。捕虜の証言だろう? これから調べさせるよ。ちょっと、時間はかかるよ。フォローゼルまでの陸路は、今、国境が閉じられているし、海路は遠いからね。ディランには、このこと話した?」

 

「はい」

 

「なら、いい。後は、あの子のことだ。何とかするだろう。さあ、それよりお前さんだ。長いこと国を空けてたんだ。空白の時間を埋めなきゃいけない。しばらくは、ここに通うんだよ。それから、私の手助けをしておくれ」

 

 コンラッドはうなずいた。ここは国内外のあらゆる文書を取り扱う場所だ。別室では、大量の文書が保管され、長衣を着た文官たちが絶えず立ち動いている。ここへ来れば、知りたいことは大抵知ることが出来る。

 

 ジーンは、アルドリックの重要な補佐官の一人だ。昔からの友人のようだが、ジーンの年齢も性別も、今ひとつはっきりしない。失礼かと思い、聞くこともなかったが。

 

 ローダインでは戦場での怪我が元で、男性機能を失う者もいた。ジーンがそうだという確証はなかったが、可能性がないわけでもない。彼らは、しばしば女性めいた容貌を伴った。


 そのせいもあるのだろうか、ディランのような容貌は、ローダインで好まれることはあまりなかった。好まれないだけではなく、しばしば酷い揶揄やゆの対象にすらなった。

 

 ディランが帝都にいた頃は、その見た目が元でしょっちゅういさかいが起きていた。子供の頃から武芸を叩き込まれてきた彼は、相手が年上だろうが自分より体が大きかろうが、挑発されるとお構い無しでかかっていった。そして大抵の場合、仲裁に入ろうとしたコンラッドも巻き沿いをくらうのだった。


 自分は悪くないといって不貞腐ふてくされるディランと、必死でなだめるコンラッドを、ジーンはいつも笑ってかくまってくれた。暑い夏には果実水を、寒い冬にはマーマレードの入った温かい葡萄酒を出して、話を聞いてくれた。

 

 ここは懐かしい思い出の場所でもあり、コンラッドにとっては、また別の意味のある場所でもあった。

 

 

 トーマとアルドリックが話をしている間、ジルは中庭で小さな雪だるまを作りながら、一人時間を潰していた。そこへ老年の男が一人、供の者を連れ、ジルの顔をジロジロと見ながら近づいて来た。ジルは、何か不作法があったかと、ドキドキしながら石のベンチに座っていた。

 

「お前、見ない顔だな。だが、いい面構えをしている。どうだ、儂のところで働かんか?」

 

 まさかの勧誘であった。

 

「いえ、今はゼーラーン卿の所で厄介になってますんで」

「何だ。ヴォルフのとこの人間か」

 

 ゼーラーン卿をヴォルフと呼び捨てするのだから、かなりの身分の人なのだろう。そんな人が自分のような人間に声をかけてくれるとは、ジルは思ってもみなかった。


 コンラッドの言う通り、ローダインの人々はあまり出自にこだわらないのかもしれない。男は残念そうにジルを見ていたが、少しためらいがちに話題を変えた。

 

「お前さんが、さっき連れていた少年。あれは、誰だ?」

 

 ジルは、トーマのことをバルドの弟子の吟遊詩人だと説明したが、その男は首をひねって行ってしまった。

 

 (なんなんだ?)

 

 ジルが不思議そうにしていると、コンラッドとトーマが、ジルを探しに来た。アルドリックの話では、アラナ夫人に事情を説明した際に、彼女がトーマに会いたいと言っていたらしい。やはり、息子の事が心配なのだろう。直接、話をしたいということだった。

 

 三人が、アラナ夫人の邸宅にやってくると、先日と同様に応接室へと通された。通訳の女官は不満そうな顔をしていたが、アラナ夫人はすでに長椅子に座り、にこやかに三人を待っていた。三人は、アラナ夫人の近くにひざまずいた。コンラッドは、先日の非礼を詫び、アラナ夫人も取り乱したことを謝罪した。

 

「ウィラードのことは、アルドリック陛下より伺いました。〈聖剣の儀〉は、延期になったそうですね」

 

 アラナ夫人は、横目で通訳の女官に視線を走らせた。コンラッドには、それ以上の話はするなということだろう。そしてアラナ夫人は立ち上がり、ひざまずくトーマの前へ静かに歩み出た。

 

「その子が、バルドのお弟子さん?」

「トーマと申します」

 

 トーマは、ひたすらアラナ夫人の足元を見ていた。良いと言われるまで、顔を上げることは出来なかった。

 

「そう。まだ若いのに、苦労したのね」

 

 アラナ夫人は、トーマの手を取り立ち上がらせると、両手でしっかりとその体を抱きしめた。トーマは驚いたが、コンラッドとジルもまた驚いた。これだけの身分の人の振る舞いでは、あり得ない事だったからだ。もしかしたら、ウィラード殿下と同じような年頃の子の境遇に、心が動かされたのかもしれなかった。

 

「あなた、吟遊詩人なのね。クラリッツァは弾けるかしら? ウィラードは、ここでよくクラリッツァを弾いていたのよ」

 

 アラナ夫人は体を離すと、トーマの頬をそっと撫でた。

 

「存じております。エル・カルドへ行った時に、一緒に弾かせていただきました」

 

「まあ、そうだったの。ねえ誰か、ウィラードのクラリッツァを持ってきてちょうだい」

 

 アラナ夫人は、女官にクラリッツァを持ってこさせると、トーマに手渡した。

 

「何か、弾いてもらえないかしら」

 

 トーマに断る理由は無かった。弦を確認し、しばし受け取った楽器の調子を合わせると、トーマはウィラードと一緒に弾いた曲を奏で始めた。


 雪の降りしきる夜、寒さも忘れて弾いた曲だった。クラリッツァを弾いて、あれほど誰かと一つになれた事はなかった。師匠でさえも。


 心地良い時間を思い出しながら、トーマはクラリッツァを奏で続けた。その調べに惹かれ、奥の扉から女官が数名、顔を覗かせた。

 

 曲を弾き終え、アラナ夫人の顔を見ると、涙を浮かべて微笑んでいた。そしてアラナ夫人は、コンラッドに驚くべき提案をした。

 

「この子を、しばらくここに置けないかしら」


 コンラッドは、アラナ夫人の言葉に戸惑った。

 

「それは……私の一存では何とも。人の口の端に上ることもあるでしょうし……」

 

 コンラッドとしては、まだ少年とはいえ、サディアスのいない時にアラナ夫人の側にトーマを置くことには賛成しかねた。だがそれは、コンラッドが口を挟める事ではなかった。

 

「わかったわ。では、私がアルドリック陛下にお願いして、陛下からお預かりするという形にするわ。それでいいでしょう?」

 

 かつてバルドは、よくアルドリックの元を訪れていた。宮廷の人間の多くはその事を知っている。バルド自身、高名な吟遊詩人だった。その弟子がアルドリックの元を訪れる事には、誰も疑問を抱かないだろう。そしてアラナ夫人がトーマを預かる事も、形式上問題はないだろうが、やはり……。


 だが、コンラッドが何を言っても、聞き入れてもらえそうにはなかった。コンラッドとジルは、アラナ夫人の所へトーマを置いて帰らざるを得なかった。


 トーマは突然の事態に面食らったが、何故かこの女性を放っておく気にはなれなかった。

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