第39話 皇帝と少年 ローダインにて④
久しぶりに家に戻ったエディシュは、母オーレリアからドレスを作りに行くよう命じられていた。以前のドレスはすでに年齢的にも、サイズ的にも合わなくなっていた。
「まずい。肩が入らない」
弓兵として鍛えてきた肩と腕は、すっかり逞しくなっていた。もとより背が高く、世間で求められる女らしさというものは、とうの昔に諦めてはいたが、かといって結婚というものから逃れられる身分でないことも承知していた。
エディシュは、戯れに力こぶを作ってみた。虚弱さを競うような宮廷の令嬢たちが見たら、悲鳴をあげるかもしれない。
(こんなので、本当に結婚できるのかな。相手が気の毒なんだけど)
かろうじて着られたドレスで採寸に行くことになっていたが、帝都では貴族の女性が一人で出歩く事は、はしたないと見られる。エディシュは、ニケを連れて行くことにした。これから様々な場所へ連れて行くつもりだったので、彼女にも最低限必要な服は作っておいてもらおうと考えていた。
(面倒な所へ帰ってきたな)
帝都では、女性はドレス一枚無いと、外へも出られない。同伴者がいないと、陰口を叩かれる。すでにエディシュは、砦での自由な生活が恋しくなっていた。あそこでは、一人で馬に乗って走り回っていても、誰も何も言わなかった。
さすがに、ニケを傭兵姿で仕立て屋に連れて行く訳にもいかず、まずは彼女に合う服を探した。ローダインの女性は比較的大柄な人が多かったが、それでもニケに合う服を探すのには苦労した。
「エディシュ殿。これを……私が着るのですか?」
「そうよニケ。似合うわよ」
丈の長いチュニックに、丈の長いスカートという、比較的上位の使用人が着る服を渡され、ニケは渋々それに着替えた。
女性の傭兵というのは女主人に付き従うことが多く、行き先に合わせ、装束を変えることはよくあった。ただしニケは、戦場で男と同じように扱われる事を好んだので、大柄であることも相まって、今まであまりこういった経験はなかった。
銀色の髪を結い上げ、丈の長いスカートを履かされたニケを見てジルは大笑いしていたが、その横でコンラッドがジルに、何やら仕立の良さそうな服を渡そうとしてきた。ジルは慌てて両手を振った。
「いや、何で俺がこれを……宮殿へいく? は?」
◇ ◇
元はといえば昨日の事だった。コンラッドは再度、アルドリックの執務室を訪れていた。
「やあ、待ってたよ。アラナの事、悪かったね」
「いえ、申し訳ありませんでした。上手くお伝えできずに」
「この件は、やはり俺がアラナに話をするよ。俺も、まさかアラナが、あんなふうになるとは思わなかったよ。母親の心配というものを、ちょっと甘くみていたかもしれない。それより俺も一度、その目撃者という少年に会ってみたいんだが」
「陛下が、お会いになるのですか?」
「だめか?」
「いえ、だめというか……」
「おいおい。俺に変な権威付けしないでくれよ。もともと、一介の国王だぜ。誰かに会うのに、もったいつけるなよ。それに、バルドの弟子だろう? 俺が会ったっておかしくないだろう」
◇ ◇
アルドリックに強引に押し通され、コンラッドはトーマを宮殿へ連れて行くことになっていた。祖父はしばらく人目を避ける事にしていたし、エディシュは着られるドレスが無いと言っていた。自身は宮殿で人に会う用事もあったため、トーマにはジルを付き添いに頼もうと考えていた。トーマとジルは、宮殿へ行くと言われて大きく首を振った。
「無理だ! お上品な役目は無理だって言ったじゃないですか!」
「僕も無理です。そんな……偉い方に会うなんて」
「ジル。ローダインの要職についている人の中には、傭兵上がりの人もいる。特に、年配の人には多い。昔は戦ばかりだったんだ。不作法は気にすることじゃない」
「で、でも」
「彼らが最も軽蔑するのは戦わない人間だ。今の若い人たちは、戦場に出たことのない人間も多い。君に絡んでくる人間がいるとしたら、その事に引け目を感じている奴らだ。戦場に出ていた君が気にすることは何もない。それからトーマ。君は師匠から、高位の人との接し方も教わってきたんだろう? エル・カルドではちゃんとできていた。自信を持ちなさい。それに何より、陛下はバルドのご友人だよ。バルドもよく、宮殿に出入りしていたよ」
コンラッドに諭され、ジルとトーマは渋々服を着替えた。その様子を仕立て屋へ行く馬車を待つ、エディシュとニケが面白そうに見ていた。
「トーマ。あんた、ずいぶん髪が伸びたんじゃない? もう半年は切ってないでしょう」
エディシュはトーマを椅子に座らせると、長く伸びた金色の巻き毛をつまみ上げた。
「ローダインの戦士にでもなるか」
ジルにからかわれたが、全く外れている訳でもなかった。トーマに吟遊詩人以外の道を、見てみたい気持ちがあったことは確かだった。
「きれいな巻き毛だけど、ちょっと真っ直ぐにしてみてもいい?」
エディシュは整髪用の脂をトーマの髪につけ、櫛で伸ばすと、髪を後ろで一つに束ねた。
「お、いいとこの坊っちゃんに見えるぜ」
「見違えたな。吟遊詩人には見えないな」
「うん。トーマはこれで行きなさい。次はジルね」
「え? いや俺は……」
結局、ジルも同じように髪を撫でつけられた。あまりの似合わなさに、今度はニケとエディシュが立ち上がれなくなるくらいに笑った。賑やかな声に惹かれ、ゼーラーン卿が顔をのぞかせた。そして、トーマを見て、不思議そうな顔をした。
「おじいちゃん。どうかした?」
「いや、何でもない。気のせいだ」
そう言うとゼーラーン卿は、早々に自室へと戻った。
「何? あれ」
エディシュは一瞬
「そろそろ、私たちも行こうか」
コンラッドは、ジルとトーマを連れて馬車に乗り、宮殿へとやってきた。ジルとトーマは、初めて見るローダイン宮殿の壮麗さ、広大さに呆気にとられていたが、コンラッドは気にせず先へと進んだ。
すれ違う人々が、ジルとトーマをジロジロと見ていく。二人は、居心地悪そうにコンラッドについていった。やがて、人気の無い場所にたどり着き、長い廊下を抜けた先にある、大きな扉を衛兵が開くと、中にはアルドリックが不敵な表情で待ち構えていた。
「やあ! 来たね。持っていたよ。他人行儀な挨拶は抜きで、よろしく」
ローダイン皇帝のあまりの軽さに、ジルとトーマは困惑した。
「君が、バルドの弟子だって? いやあ、バルドにももう長いこと会ってなくってね。バルドも死ぬなら死ぬと、言っといてくれたらいいのにね」
その場にいた者は、みなアルドリックが何を言っているのか、わからなくなっていた。
「まあ、それは冗談として、君がトーマだね。君の知っている事を、俺に話してくれるかな?」
アルドリックはトーマと一対一で話す事を望んだので、ジルは部屋の外で待つことにし、コンラッドは別の用事で席をはずした。
アルドリックとトーマは、長椅子に座り話を始めた。トーマは、ローダインの皇帝に会うと聞いて、ここへ来るまで水も喉を通らないくらい緊張していたが、いつの間にかそれも解けていた。まるで、アルドリックの魔法にかかったようだった。
アルドリックの醸す空気は温かく、トーマの気持ちを和らげていった。そしていつの間にか、エル・カルドでの話に留まらず、師匠と過ごした日々や別れまで、話し続けていたのだった。
アルドリックは、少年の話を遮ることなく、時折相槌を打ちながら、静かに耳を傾けていた。古い友人の姿を思い浮かべながら。
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