第38話 アラナ夫人 ローダインにて③

 コンラッドは宮殿の暗闇で、中庭にまばらに積もった雪を眺めながら、しばらく考え事をしていた。皇弟妃であるアラナ夫人に、エル・カルドでの出来事を説明するという思わぬ重責を負わされ、コンラッドは状況の整理に努めた。

 

 アラナ夫人はエル・カルドの第一聖家の出身で、十八の時にローダインの皇弟サディアスの元へ嫁ぎ、それから十七年の間、エゼルウートの宮殿で暮らしている。


 彼女が皇弟妃となるにあたって、帝国側でもエル・カルド側でも、様々な問題があったと聞く。だがサディアスは、言葉も慣習も異なるアラナを常に気遣い、周囲のゴタゴタにも関わらず、夫婦仲は非常に良かった。ウィラードが産まれてからもそれは変わらず、今では、理想の夫婦の象徴のように見られていた。


 普段のアラナ夫人の様子を見る限り、日常生活において共通語コムナ・リンガに不自由はない。だが、込み入った話になるとどこまで通じるのかコンラッドにはわからなかった。アラナ夫人の側には通訳を兼ねた女官はいるが、今回のことは出来るだけ耳に入れたくない。こんな時に、ディランがいてくれたらと思わずにはいられなかった。

 

 意を決してコンラッドは、アラナ夫人の邸宅を訪れた。そこは宮殿の奥庭に建てられており、普段からアルドリックもよく訪れていた。アルドリックからの先触れのお陰で夜にも関わらず、アラナ夫人と面会が出来る事になった。コンラッドが応接室に通されると、アラナ夫人は薄紫色のドレスを身にまとい、女官を連れ、姿を見せた。

 

 アラナ夫人はミアータ夫人の妹ではあるが、外見上、似ているのはプラチナブロンドの髪だけだった。常に穏やかな表情をたたえ、輝くような笑顔を見せる人であった。


 彼女がよく薄紫のドレスを身に着けているのは、第一聖家にいた頃の名残かもしれないと、コンラッドは思った。今までは何気なしに見ていた光景が、エル・カルドを訪れてから、少し変わったような気がしていた。

 

 コンラッドはアラナ夫人の前にひざまずき、儀礼的な挨拶を済ませると、人払いを願い出た。通常であれば皇弟妃との一対一の会話などあり得ないことではあったが、アルドリックの先触れからも同様のことを求められていたので例外的に認められた。


 それでも、通訳の女官だけは残ろうとしたが、アラナ夫人はそれも退けた。女官たちが部屋から出ると、アラナ夫人は沈痛な面持ちで声を落とし、コンラッドに話しかけた。

 

「ウィラードのことですね。〈聖剣の儀〉が、だめだったのでしょうか?」

 

 アラナ夫人は、コンラッドの様子からウィラードが〈聖剣の儀〉で、聖剣を抜くことが出来なかったと思っているようだった。

 

「いえ、剣は抜けたようです。ただ……」

 

 コンラッドが話を続けようとするのを、アラナ夫人は遮って叫んだ。

 

「嘘! 剣が抜けたなんて。そんなこと……あるはずがないわ!」

 

(『あるはずがない』とは、どういうことだろうか)

 

 コンラッドが困惑していると、アラナ夫人は何かを呟き始めた。

 

「嘘よ……そんなはずないわ。そんなはずは……ウィラード!」

 

 そしてだんだんと、コンラッドには理解できない言葉になり、ついにアラナ夫人は叫び声をあげ、座り込んでしまった。何事かと駆け付けた女官に支えられ、夫人は奥へと引き下がった。

 

「アラナ様に、いったい何をされたのですか! アルドリック陛下のお求めだからこそ、アラナ様との面会を許可したというのに」

 

 通訳の女官は、一方的にコンラッドに詰め寄った。

 

「私は、何もしていない。ただ、話を……」

 

 コンラッドは、何が起きたのか理解できず、弁解の言葉もあまり浮かばなかった。

 

「お話しだけでこれほど取り乱されたというのですか。お帰り下さい。さもなくば兵を呼びますよ!」

 

 女官の決めつけるような物言いには腹がたったが、今のアラナ夫人では会話が成り立たない。ウィラードがいなくなったことすら、まだ伝えられていないのだ。コンラッドはアラナ夫人との話は、日を改めたいとアルドリックに伝えると、ゼーラーン卿と共に宮殿を辞した。

 

 宮殿からの帰り、コンラッドは家で祖父を降ろした後、馬車でラウマーレの橋を渡り、ジルとニケの滞在している宿屋に顔を出した。一階が安酒場になっており、そこのカーテンを引いた個室で三人は話をした。

 

「コンラッド殿。何もこんな所へ来られなくとも、私どものほうからうかがいますのに」

 

 ニケは、申し訳なさそうな顔をした。

 

「いや、ちょっと外で飲みたくて」

 

 コンラッドは女給からエールを受け取ると、多めの硬貨を盆に載せた。

 

「飲むにしてもこんな所、坊っちゃんの来られるような所じゃありませんよ」

 

 酒場は騒がしく、時折女性の嬌声も響き渡った。確かに普段のコンラッドなら、まず足を踏み入れることは無い場所だった。

 

「いいんだ。ところでジルとニケは、これからどうするんだい?」

 

「俺たちは元の傭兵稼業に戻ろうかとも思ってたんですが、殿下のこととか、いろいろ気になってて……どうしたもんかと」

 

「それなら、しばらくうちにこないか?」

「ゼーラーン家へですか?」

 

「部屋なら空いている。二人には頼みたいこともあるし」

 

 ジルとニケは、顔を見合わせ首肯した。

 

「俺たちは構いませんが……いいんですか? 俺たちなんかが出入りして。あまり、お上品なことは出来ませんよ」

 

「構わない。いつからでもいい。来てくれないか」

 

 コンラッドも、二人のことを信用していないわけではなかったが、どんなことからウィラードのことが漏れるかわからない。今は、目の届く所にいて欲しかった。

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