第37話 アルドリック ローダインにて②
アルドリックは、ゼーラーン卿とコンラッドを招き入れると、ひざまずこうとする二人を制止した。
「ヴォルフ、コンラッド。面倒なことは止めようよ」
ゼーラーン卿は、むっとした表情でアルドリックをたしなめた。
「面倒とは何ですか。お立場をお考え下さい」
「そんなの、
いつもの事とはいえ、アルドリックの軽口に顔を引きつらせるゼーラーン卿を見て、コンラッドは祖父の体調が心配になった。
アルドリックは二人に
「ヴォルフ。俺、もう限界。あのね、俺もう五十なの。一体いつまでこんな風に働けばいいの? もしかして俺は一生このままなの? ずっと働くの? 俺はずっと、みんなが自由に生きられるように頑張ってきた。なのに、頑張ってきた俺に自由がないって、どういうこと?」
ゼーラーン卿とコンラッドは困惑した。アルドリックは元々、少し子供じみた所があるとは感じていたが、しばらく会わない間に酷くなっていた。気の置けない人間を前にして、気が緩んだとしてもちょっと酷い。アルドリックは二人の困惑をよそに、日頃の鬱憤を晴らすかのようにしゃべり続けた。
「俺だって若い時はもっと我慢して仕事ができたよ。でもね、四十を超え、五十になると、もう、だんだん自分が抑えられなくなってきた。この調子で六十になったら赤ちゃんみたいになるよ。老人がわがままになるっていうのを、今身をもって体感しているよ」
アルドリックは目をつむり、天を仰いだ。
「老人がわがままとは、聞き捨てなりませんな。私めは六十を超えても働いてきましたぞ」
ゼーラーン卿は不機嫌な表情を隠そうともしなかった。
「コンラッドとディランに任せて、楽隠居してたくせに」
アルドリックは恨めしそうな目で、ゼーラーン卿を見た。
「楽隠居ですと? 誰が、そのようなことを」
「あれ。そういえば、頭数が足りないんじゃないか?」
コンラッドは、ようやく話が出来るとほっとした。そして、エル・カルドで起こった事をアルドリックにつぶさに伝えた。アルドリックは、それまでの軽忽な口を閉じ、コンラッドの報告を身じろぎもせずに聞いていた。
「じゃあ、表向きはウィラードの体調不良により〈聖剣の儀〉は延期ってことにしたんだ。それはいいとして、エル・カルド側は二人の行方、本当に心当たりがないのかな?」
アルドリックは、固く組んでいた手をようやく解いた。
「会議での様子を見る限りは……。ただ、ディランは怪しい人間にあたりをつけているようです」
「なら、任せよう。どのみち、他の人間では会話すらできないよ。ディラン以外に目撃者はいないのか?」
「一応、もう一名確保しておりますが。バルドの弟子で、トーマという少年です」
アルドリックは、思わず目を見開いた。
「バルドに弟子がいたのか。バルドの……ということは、吟遊詩人だな。証人としては、どこまで信頼されるかわからないな。どちらにしても、これはしばらくの間、エル・カルドとディランに任せるしかないだろう」
「しばらくの間、と申しますと」
ゼーラーン卿は座ったまま姿勢を正した。
「しばらくは、しばらくだよ。しいて言うならば、世間が騒ぎ出すまでかな。しかし、よりによって魔道とはね。出来れば表には出さずに片付けたい。そうでなくとも、エル・カルドについては良く思っていない人間も、そこそこいるからね。ただし、サディアスとアラナには、本当のことを話した方がいいだろう。どうする? 俺から話そうか、それとも……いやコンラッド、君に任せるよ」
「私が……サディアス様とアラナ様にですか?」
コンラッドは息をのんだ。まさか、自分がそのような重要な役目を与えられるとは、思ってもみなかった。
「コンラッド。サディアスには、地方の視察に行ってもらってるんだよね。雪解月までは帰らないよ。アラナだけでも話しをしてくれるかい?」
「……かしこまりました。陛下」
「じゃあ先触れを出すから、其の辺を散歩でもしながら、ゆっくり行ってくれるか?」
「今からですか?」
「こういう事は早い方がいい。君たちがここへ戻ってきているとわかれば、噂もいろいろ立つだろう。その前に、本当の事を知っておくべきだ」
コンラッドは、アルドリックの執務室を退出すると、言われた通り、ゆっくりとアラナ夫人の邸宅へ向かい始めた。
アルドリックは使者に書状を持たせ、アラナ夫人の所へ向かわせると、長椅子に座り湯気の消えたグラスに口をつけた。
「そういえば、コンラッドはいくつになったんだっけ。あ、うちのレオンハルトと一緒だったね。二十七か」
「左様で」
「彼は中央へ戻ってもやっていけそうだな。オーレリアに似て物腰も柔らかいし、むしろこっちでの仕事の方が向いているかもしれない。でも、ヴォルフ。俺は、ディランに手柄をたてさせろとは言ったけど、コンラッドに何もさせるなと言った覚えはないよ。何故、コンラッドは戦場にほとんど出なかったんだ?」
「わかりませんな。以前は、騎兵団長も、ディランが無理なら自分がやると言っておりましたが、いつの間にか言わなくなりましたな。ただ、頻繁に中央と書簡のやりとりはしていたようですが」
アルドリックは、手にしたグラスをテーブルに置いた。
「……ふーん。しかし、ディランは残念だな」
「残念……ですか?」
ゼーラーン卿は眉をひそめた。
「彼は、生まれてくるのが遅すぎた。乱世にいたのなら、戦場で自分の力を存分に発揮できたろうに。今のローダインでは、せいぜいフォローゼルとの戦闘か、帝国内の小競り合いがあるくらいだ。俺の若い頃にいてくれたら、もっと楽ができたのに」
「楽をさせてやれませんで申し訳ありませんな。ディランは辺境にいる方が良いかもしれません。傭兵たちを良くまとめていましたし、なまじ正規兵に囲まれるより、本人もやりやすいかと」
「だめだよ。若いうちはいろんな経験しないと。自分の得意なことばっかりさせてちゃだめだ。ここでも頑張ってもらうよ。エル・カルドとローダインを結ぶ人間は多くないからね。それに、あれだけの武功をあげたんだ。もう、エル・カルド人だからといって、バカにする人間もいなくなるだろう。……でも、今のままじゃ、ちょっと不安だね。彼はローダインでの基盤が無さ過ぎる。いくら有能でも、何かあるとあっという間に追い落とされるよ。誰か、有力なローダインのご令嬢とでも、結婚してくれると安心なんだけど。心当たりはないか?」
ゼーラーン卿はアルドリックから視線を外し、目を細めた。
「……昔も……そんな事を言われましたな」
アルドリックは、ハッとして静かに目を閉じた。
「そうだった。……ブルーノの時は世話になったね。結果的に、オーレリアには可哀想な事をした」
「あの当時の妻というのは、そういうものでした。私めも、多くの部下を失いました」
「その子供たちが、もう戦場に出て結婚するような年になってるんだ。俺も、年を取るはずだ。ディランの事も、セクア殿をローダインへ連れてきた俺の責任だと思っているからね。ここでやっていけるようにしてやりたい」
「しかし、私めはそういったことには……」
アルドリックは頬杖をつき、大きな息を吐いた。
「彼の見た目が、もうちょっと……普通だったらよかったんだけど……」
「何か問題でも?」
「あの美貌を……嫌がる令嬢方が多いんだよね。自分が見劣りして見えるからって……」
「……口には出しませんが、余計な苦労をしているようですな」
「コンラッドは、結婚に関しては心配無いだろうね。何と言ってもゼーラーン将軍の孫というのは、引く手あまただよ。妹は?」
「親戚の紹介で、もうすぐ相手と顔合わせをします」
「そうか、それは楽しみだね」
アルドリックは手足を伸ばし、長椅子に横たわると急に笑い出した。
「いや、しかし本当にボドラーク砦を落とすとはね。砦陥落の知らせを聞いた時の、中央連中たちの慌てる姿といったら見物だったよ」
「命令しておいて何ですか、それは。王子の首を穫れというのも。フォローゼルと本格的な戦でもするおつもりですか。あそこは東国との緩衝地として、そのままにしておくという話ではなかったのですか」
「同じ手柄を立てさせるなら、派手な方がいいだろう? 失敗した所で、俺の要求が無茶だって言われるだけさ。それに、今のフォローゼルにうちと本格的な戦をするだけの余裕はないよ。王は長いこと伏せっているし、跡継ぎの王子は女嫌いで妃も側室もない。国としては非常に不安定だ」
「なおさら、あまり刺激する必要もないでしょう。それに先日、東国の女性を側に置いているとの報告を受けましたが」
「それも、実態は良くわからないからね。側室のつもりなのか、別の意図があるのか。密偵の報告は続けてもらうよ。フォローゼルがこのまま引き下がるとも思えないしね。交代直後の部隊は狙われやすい。雪解月の頃には、あのあたりの兵を強化しないと。それからヴォルフ、将軍職を辞めるのはいいけれど、選帝侯としては、まだ頑張ってもらうよ」
「まだ、隠居はできませんか」
「自分だけ隠居しようなんて……させるわけないだろう?」
アルドリックは起き上がると、いたずらっ子のように笑った。
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