第36話 帝都エゼルウート ローダインにて①

 ゼーラーン卿の一行はエル・カルドを出発してから、本来の行程を二日も早くローダインまでたどり着いた。辺境では激しかった雪も、帝都エゼルウートが近づく頃には、木々や屋根にまばらに積もる程度になっていた。

 

 ローダインの都エゼルウートは、古来より多くの王朝の都として栄えてきた。大陸にある街道の多くは、ここエゼルウートを起点としており『千の道が通る都』として知られている。

 

 町の中央には広大な宮殿があり、皇帝及び親族の住まい、議場、各種の執務機関、文書庫、迎賓館などが置かれていた。宮殿は、ラウマーレと呼ばれる大きな河の近くに建てられ、その周りには、国の要職に就く者たちの屋敷があった。河を渡った向こう側には庶民たちの住まいや店が建ち並び、朝から晩まで賑わいを見せていた。


 一行が帝都エゼルウートにあるゼーラーン卿の邸宅に到着した時には既に暗くなっており、出迎えたゼーラーン家の執事は、主の急な帰宅を慌てて知らせに来た。

 

「オーレリア様。旦那様がお帰りです。コンラッド坊っちゃんとエディシュお嬢様も」


「まあ、お父様たちが? こんな時間に?」

 

 オーレリアはゼーラーン卿の娘であり、コンラッドとエディシュの母であった。

 

「どうしたの? お帰りなら、知らせて下されば良かったのに」

 

 オーレリアは金色の髪を結い上げ、肩にかけた枯葉色のショールを頭から被ると、雪のちらつく玄関で出迎えた。

 

「済まぬ。オーレリア」

「お父様、何かありまして?」

 

 オーレリアは、年老いた父の顔のしわが一層深くなっていることに、心が痛む思いがした。

 

「母上。ただいま戻りました」

「お母様!」

 

「まあ、コンラッド。エディシュ。元気そうで良かったわ」

 

 エディシュは母に抱きつき、コンラッドは母の頬に口吻をした。二人の無事な姿を見て、オーレリアは涙ぐんだ。

 

「さあ、中へお入りなさい。簡単なものしか出来ませんけれど、何か食べるものを用意しますから。あら、ディランは一緒じゃないの?」

 

 オーレリアはディランの代わりに、一人の少年がいることに気がついた。少年の抱えるクラリッツァという楽器は、オーレリアにも見覚えのある、懐かしい人のものであった。


 オーレリアは台所に入り、固くなったパンを残っていたスープに浸して窯で焼かせると、四人分の食事をスプーンと共に並べた。家に入り食卓に着いたコンラッドは、母にしばらくの間、ディランはエル・カルドにいることを伝えた。

 

 ウィラード失踪の件は、例え母であっても話す訳にはいかなかった。四人共、食卓にはついたものの、何やら浮かない表情をしていた。


 事情を知らないオーレリアは、コンラッドとエディシュの不安げな表情が、てっきりディランが戻って来ないせいだと思い込み、二人に優しく話しかけた。

 

「二人とも、そんなに心配する事ではないんじゃないかしら? 私は、むしろあの子が今まで、エル・カルドと関わりを持とうとしなかった事のほうが、心配だったのだから。今回、あちらの方たちとゆっくり過ごす事は、今までのお互いの溝を埋めるいい機会だと思うわ。その結果、あの子がエル・カルドへ残ることになったとしても、それは受け入れてあげなければいけないわよ」


 エディシュは、湯気のたつパンをスプーンでつつく手を止め、母の顔を見た。

 

「とても、旧交を温めるという感じでは無かったけど。それに、ディランが帰って来ないかもしれないってこと? 帰るって言ってたわ」

  

「もしもの話よ。決めるのは、あの子よ。コンラッド、あなたもわかった?」

 

 コンラッドは小さくうなずいた。

 

「オーレリア。儂とコンラッドは、今から宮殿へ行く。馬車を用意してくれ。目立たぬように」

 

「かしこまりました」

 

 オーレリアは席を立つと、二人を乗せる馬車を準備するよう執事に申し付けた。


 しばらくして、オーレリアは二人を送り出すと、食事を済ませた娘の前に座った。

 

「エディシュ。あなたには、これからやることがたくさんあるのよ」


「やること?」

 

 エディシュは、きょとんとした顔で母を見返した。

 

「帰ってきたのなら、先方をあまりお待たせしてはいけないわ」

 

「今、そんな気分じゃ……」

 

 さっそく、結婚前の顔合わせの準備に入る母を牽制しようとしたが、それはほぼ意味を為さなかった。

 

「気分で決めることではありません。ゼーラーン家の娘として、責任を持って行動なさい。明日から、身の回りの物を整えていきますから、あなたもそのつもりで」

 

「……はい」

 

 小さな声で答えたエディシュは、帝都へ帰って来たことを実感し、しょぼくれた顔になった。そしてオーレリアは、ここへ来てからずっと黙ったままのトーマに、優しく声をかけた。

 

「あなたには、バルドが使っていた部屋を用意するわね。懐かしいわ。バルドは私が子供の頃、いつもそのクラリッツァを弾いてくれたのよ。昔は毎年、冬には必ず来てくれていたわ。……いつの間にか……来なくなっていたけれど……。あなたのような、お弟子さんがいたのね。良かったわ。あの人も、一人じゃなかったのね」

 

 オーレリアの知る吟遊詩人とは、いつも退屈な冬の日々を、にぎやかにしてくれる人だった。しかしその人は、必ず春になると去って行ってしまうのだった。そしてバルドの訪れは、オーレリアの結婚とともに無くなっていた。

 

 トーマは、師匠が使っていたと言われた部屋に入り、クラリッツァと荷物を戸棚の中に置いた。そして窓辺に立ち、冬の夜空を見上げた。トーマは、あれからずっと、エル・カルドでの出来事を考えていた。ウィラードの手に触れた時の、不思議な感覚。聖剣の間での、力の奔流。あれは一体、何だったのだろう。

 

 

 ゼーラーン卿とコンラッドは、執事の用意した馬車に乗り、エゼルウートの宮殿へ向かった。長年、将軍職にあったゼーラーン卿が急いで帰って来たなどと知られれば、何かあったと即座に感づかれてしまう。そのため、二人は宮殿に使いを送ると、誰にも気づかれぬよう馬車を走らせた。。

 

 馬車は宮殿の裏口に停められ、中から使いが出てくるのを待った。

 

 しばらく馬車の中で待っていると、側仕えの服装をした中年の男が灯りを手に、裏口の鍵を開け、鉄製の格子戸を開いた。錆びついた鉄の擦れる音が、耳に響く。ゼーラーン卿とコンラッドは、灯りを持った男の後に続き、暗い宮殿の奥へと進んだ。衛兵が守る扉を男がノックして開けると、まばゆい光が目を刺した。

 

「おかえり。二人とも、予定より早かったね」

 

 光に慣れた目に映ったのは、ローダイン皇帝アルドリック、その人であった。

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