第35話 水鳥の池 二人の行方③
早朝、ウィラードとシルヴァは、老人たちが修理して欲しいと言う水道を見に来ていた。水道とはいっても簡素なもので、山の斜面から湧き出る水を、木の枠で集落まで流す仕組みだった。落ち葉が溜まって水が流れにくくなっている所が数箇所と、枠が外れそうになって水が漏れている所が数箇所。
「これなら、すぐに直せそうだな」
シルヴァが必要な材料と道具を考えながらつぶやいていると、どこからともなく、たくさんの鳥の鳴き声が聞こえてきた。
小高い場所からあたりを見下ろすと、大きな池があった。
「よし、あれをとって食おう」
「え? シルヴァ、本気?」
ウィラードの声が聞こえていなかったのか、シルヴァは、あっという間に池のほとりまで降りていってしまった。背の高い葦の陰に隠れ、着ていたローブをそっと脱ぐと、近くを泳いできた水鳥の上にばさりと投げかけた。
半身を水につけ、ローブの下でバタバタともがいていた水鳥の首をぽきりと折ると、シルヴァは濡れたローブごと抱えて戻ってきた。
ウィラードは、目の前で小さな命が失われたことに胸が痛んだが、普段自分たちが口にしている肉は、誰かがこうしているのだと自分に言い聞かせた。
「寒っ!」
シルヴァは、勢いで水に入ったことを後悔したが、うまい料理を思えば何とか耐えられた。絹の長衣は濡れて足にまといつき、体の熱を奪っていく。
「シルヴァ、水鳥を捕るのうまいね」
ウィラードは、シルヴァの抱えている物からそっと目を逸らした。
「普通は、あんなにうまくいかない。ここの鳥は、人間を警戒していないから出来たんだ。普段、誰も捕らないんだろうな。さあ、とりあえずじいさんたちの所へ帰ろうぜ。服も乾かしたい」
寒そうに歩くシルヴァの後ろを、ウィラードは少し距離を空けてついて行った。ウィラードは、シルヴァの手にする物を見ないように歩いていたが、突然背後に何かを感じて立ち止まった。後ろを見たが何もない。ただ、道端に積もった雪と冬枯れした雑草が、風になびいているだけであった。
「どうした?」
「あ、うん。たぶん、気のせい。何か、動いたような気がして」
「ネズミか何かじゃないか?」
「……そうだね」
ウィラードは、何か嫌な気配を感じはしたが、気にしないようにした。
老人たちの元へ水鳥を届けると、二人は大喜びで飛び上がった。水鳥の処理を老人たちに任せ、シルヴァは服を脱ぎ、暖炉で乾かし始めた。
そこへ老人が一人やってきて、シルヴァとウィラードに布でくるんだ包みを渡した。服であった。リスの毛皮が裏打ちされた、長袖のチュニックと下衣。
「その格好では動きにくいじゃろう。儂の息子と孫のものだったんじゃが、嫌でなければ着てくれんか。綺麗にはしてある」
「じいさん、ありがとよ。いいのか? 大事なものなんだろう?」
「お前さんたちのような人に着てもらえれば、息子たちも天国で喜ぶさ」
シルヴァとウィラードは、老人の持ってきた服に着替えると、再び水道の修理をしに戻っていった。毛皮の付いた服は、驚くほど暖かく、体も動かしやすかった。ただ、足元のサンダルだけは、相変わらず体の熱を奪っていった。
小屋から抱えてきた木の板を積み上げながら、ウィラードはシルヴァに、ここへ来てからずっと聞きたかった事を、つい我慢しきれずに聞いた。
「ねぇ、シルヴァ。みんな心配してるよね」
「そうだな」
シルヴァは、事もなげに返事をする。
「どうやって帰るの? ここは、どこなの?」
「さあな」
「シルヴァは帰りたくない?」
シルヴァは修理の手を止めて、ウィラードの方を向いた。
「ウィル。エル・カルドへ帰らなきゃいけないのは、わかってる。エル・カルドが大騒ぎになっているだろうこともわかってる。戻る方法を探さなくちゃならないことも。でもこの話、ちょっと俺に預けてくれないか?」
「どういうこと?」
ウィラードは不思議そうにシルヴァを見た。
「……うまく説明できないんだけど、じいさんたちとその話をするのは今じゃない。まだ、もう少し待ってくれないか?」
ウィラードには、シルヴァの言っている意味が理解できなかった。それでも、自分より広い世界を見、たくさんの人と接してきたシルヴァの言うことには、自分ではわからない何かがあるのだろうとも感じていた。
「わかった。シルヴァに任せるよ」
ウィラードとシルヴァは、黙々と作業を続けた。水道に溜まった落ち葉を取り除き、壊れた木枠を交換していくと、綺麗な水が勢いよく集落まで届いた。
全ての作業が終わる頃には、陽が傾きかけていた。二人が老人たちの元へ帰ると、鳥の肉がたっぷり入ったスープが用意されていた。
「お、じいさん。うまそうじゃないか」
「うまいぞ。たくさん食え」
老人は、熱いスープを木の椀に入れ、シルヴァとウィラードに手渡した。久しぶりの肉の味に、滋養が体の隅々まで行き渡るような気がした。
シルヴァが部屋の隅に目を向けると、そこには石臼が置いてあった。
「なあ、じいさんとこには小麦はないのか? あれで小麦を挽けば、パンができるんじゃないか?」
「小麦はあるんじゃが、あの石臼は壊れていて小麦粉にできん」
シルヴァは、湯気をたてるスープに息を吹きかけながら、木の匙で鳥肉をつついた。
「なんだ、そんなことか。明日、見てやるよ。それから、皮か毛皮は何かないか? 足が、サンダルじゃ冷たくって。靴でも作ろうかと思ってさ」
「お前さん、そんなこともできるのか。……お前さん、本当に七聖家の人間か?」
老人たちは疑いの目でシルヴァを見た。シルヴァは、老人たちの知っている七聖家の人たちとは、まるで違っていた。
「だてに、いろんな仕事してねえよ。たいていのことは何でもできるぜ」
「奥の部屋にあるから、好きなものを持っていきなさい」
「お、ありがとよ。じいさん」
シルヴァは鳥肉のスープを食べ終えて小屋の奥へ行くと、鹿の毛皮となめし革を何枚か手にして戻って来た。そして、ウィラードの足をなめし革にのせると、釘で足の形に傷をつけた。足形より少し大きめに革を切り、周りに穴を空けると、今度は毛皮を縫い付けた。ウィラードの足を、革を縫い付けた毛皮の上にのせ、足を包み込むと、余分な毛皮を切り落とす。最後に毛皮を足の形に合わせて縫い上げると、靴のようなものが出来上がった。
「シルヴァ、凄いよ。靴ができた」
シルヴァの手の中で、見る間に靴が出来上がっていく
「あとは紐でもつけりゃ、もう少し履きやすくなるだろう。大して保たないだろうが、当面無いよりゃましだ」
そしてもう片方の靴も作ると、シルヴァとウィラードは、元いた小屋へと戻って行った。
次の日は、朝からシルヴァ自身の靴を作ると、次は、残ったなめし革で聖剣の鞘を作り出した。
この大陸において、剣の鞘というのは革を加工したものが多い。ただしエル・カルドの聖剣は、刀身から柄、鞘に至るまで全てレイテット鋼と呼ばれる金属で作られていた。
エル・カルドの七本の聖剣が、いつ誰によって作られたのかはわからない。レイテット鋼を扱う職人も絶え、手入れすらろくにされていない。だが、レイテット鋼の剣が未だかつて錆びたことは無く、その輝きが衰えることもなかった。
ウィラードはシルヴァから鞘を受け取ると、そっと剣を収め、部屋の角に立て掛けた。
シルヴァが鞘を作り終えると、今度は石臼の修理のため、老人たちの家へ出掛けた。修理といっても持ち手が壊れ、動かせなくなっていただけだったので、すぐに直す事ができた。
石臼が元通りになると、掃除をして、小麦を挽いた。その日は小麦粉を水で溶き、フライパンで薄く焼いて食べた。残った小麦粉に水を入れて布を被せると、暖炉の側に置いた。数日経てば、発酵してパンの材料になるだろう。
次の日も、その次の日もシルヴァとウィラードは、老人たちのために働き続けた。そして、自分たちの身の回りの物も、毎日のように充実していった。
自分用の木の匙に木の皿。毛皮の手袋に帽子。いつの間にか羽毛を入れた掛け布団までできていた。そして、パンも焼けるようになっていた。
ここはどこなのか、どうやってエル・カルドへ帰るのか。シルヴァに任せるとは言ったものの、ウィラードの表情には、日に日に焦りの色が見えてきた。そして時折、嫌な気配が周囲に漂った。あれは一体、何なのだろう。
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