第41話 帝都の仕立て屋 ローダインにて⑥

 エディシュは、すでに何度目かのあくびを堪えこらきれずにいた。自分の採寸は、既に終わっていた。今はニケが巻尺を持った女性たちに、手を挙げさせられたり、踏み台に乗って測ったサイズを見て驚かれたりしているのを、店の長椅子に座りぼんやりと見ていた。

 

 普通なら、仕立て屋の方が屋敷に赴くものであったが、この店は帝都で今評判の仕立て屋で、店での採寸の予約すらなかなか取れないらしい。


 母オーレリアがコネを最大限に使って、予約をもぎ取ったそうだ。そんなに気合いを入れなくてもと思ったが、母の好意を無碍むげには出来なかった。

 

「エディシュ殿。なぜ、私がこんな目に……」

 

 ニケは、慣れない作業に涙目になっていた。

 

「だって、これからは宮殿へ行くのに付いてきてもらうこともあるから。ドレスなんか何枚あっても足りないわよ」

 

「傭兵の格好では駄目なのですか?」

 

「昔はよかったんだけどね。何か、帝都に帰って来る度に、うるさくなってる気がする。あたしが子供の頃は、お后様も鎧姿で宮殿内を歩き回ってらっしゃったわよ」

 

 しばし続く比較的平穏な世の中は、違う形の争いの種を、人々の中へと植え込んでいるようだった。平穏を求めるが故に、異質なものを嫌うようになっている。帝都の持つ心地よい懐の深さは、エディシュには、以前ほど感じられなくなっていた。

 

 (男の人だったら、こんなにうるさく言われないんだろうな。流行も、あまり関係ないし。本当なら、あたしもお兄ちゃんたちと一緒に、すぐに宮殿へ行きたかったのに……)

 

「お待たせいたしました」

 

 店主の太った背の低い男は、いくつもの布やリボンの見本をエディシュの前のテーブルに広げ、向かいの長椅子に座った。

 

「ゼーラーン家の奥様から伺っておりますのが、普段着用のものが3着、外出用が3着、それから顔合わせ用の物が1着で、お間違いないですね」


「ええ、……多分」

 

 エディシュは、やる気のない返事をした。

 

「デザインや材質は、どのようになさいますか?」

 

「おまかせするわ。ずっと辺境にいたから、流行りもわからないし」

 

「最近は、肩や胸元の大きく開いたものが、よく作られますが……」

 

 エディシュは慌てて身を乗り出した。

 

「……肩を出すのは止めて。あまり、肌が見えるようなものにしないで」

 

「かしこまりました。お嬢様の御心のように、控え目なものにいたしましょう。その方が、お美しさも引き立ちましょう」

 

 そういうつもりで言ったわけではない。単に、たくましい肩を見せたくなかったのだ。この男は嫌いだ。人の心を勝手に解釈してしまう。

 

「それから、こちらのお連れ様は……」

 

 店主はニケを見て、明らかに創作意欲を掻き立てられていた。長い手足に褐色の肌は、何を着せても映えそうだった。何よりも、ローダインの男性は外国の女性を好んだ。

 

 ローダインの男たちは、かつて大陸のあちこちに遠征に行き、その地で妻を娶り、帝都へ連れ帰る者が多かった。いつしか、いかに遠くから妻を連れてくるか、珍しい場所から連れてくるかを競うような風潮が生まれた。今でもその風潮は残っており、ローダインの宮廷は様々な文化の見本市のようになっていた。


 (そのくせ、ローダイン女性に対しては厳しいんだから)


 あらわなドレスが流行るのも、ローダインの男性に対する意趣返しであるようにも見えた。

 

「ニケ、どんなものにするかは、お任せしてもいい?」

 

 ニケは、少し考えた。

 

「ちなみに、どんな物を作る気だ」

 

 ニケは、店主の男を睨みつけた。

 

「そりゃあ、今流行りのデザインで……」

 

 店主は、最新のデザイン帳をニケに見せた。ニケは、瞬く間に不機嫌な顔になっていった。

 

「こんな……こんなちちの見えそうな服が着られるか! ローダインの男どもは何を考えている! 自分の妻や娘がこんな格好をして人前に出て、平気でいられるのか!」

 

 店主の男は、ニケを小馬鹿にしたように言った。

 

「何をおっしゃいますか。これが今の流行なのです。男たちが、どうこうというものではありません。女性の方々が、こういうものを着たいとおっしゃられるのです。私どもは、ただそれをお作りするまでのこと」


「そうか、ならば私は拒否する。その言葉、私の体を見てから言え」

 

 ニケは、着ていた長いチュニックをばさりと脱ぎ捨てた。店主は、ギョッとした表情を見せた。ニケの胸元も、背中も腕も大小様々な傷が、深く残っていた。

 

「これは、私が戦場に出てついた傷だ。どれも私の誇りだ。後悔は無い。だが、他の人間に見せる気も無い。自分だけが知っていればいいことだ。そんなチャラチャラした服で飾る気はない!」

 

 ニケは、脱ぎ捨てたチュニックを手に取ると、男の目など気にすること無く、その場で再び身に着けた。

 

 二人はそのまま馬車に乗り、仕立て屋を後にした。

 

「エディシュ殿。申し訳ありません。どうも、あの男のこういうのを作っておけば女は喜ぶだろう、という見え透いた考えが気に入らなくて」

 

 ニケは心底、申し訳なさそうに下を向いた。

 

「いいのよ。あたしも、何か嫌な感じしてたし。出来次第で次はないわ」

 

「しかし、これから婚礼の準備もおありでしょうに」

「帝都の仕立て屋は、あそこだけじゃないのよ。大丈夫よ」

 

「ですが、エディシュ殿。何故、御自分でドレスをお決めにならないのですか? デザインや素材から選べるなど、貴族のお嬢様の特権ですよ」

 

「そうなんだけど。何が似合うかわからないし……」

 

 エディシュは、自信なさげにうつむいた。

 

「何でもお似合いになりますよ。若くて、お美しいのですから。自分がいいと思うものを、お選びになれば良いのです」

 

「わ……若くも……綺麗でもないから」

 

 ニケは目を丸くして、エディシュを見た。ニケの目から見たエディシュは、ローダイン人らしい美しさを十分に持っていた。真っ直ぐな金色の髪も、碧い瞳も、スラリとした高い背も、エディシュらしい美しさだと感じていた。

 

「誰が、そのようなことを?」

「別に……誰も。あたしが、勝手にそう思ってるだけ」

 

 エディシュは、ニケの視線を避けるように、馬車の外の景色に目をやった。外では色とりどりの衣装をまとった若い娘たちが、同伴者を引き連れ、ラウマーレの河沿いを楽しげに歩いていた。

 

 やがて馬車は橋を渡り、ゼーラーン邸に着いた。

 

「ありがとうニケ。今日は、もう出掛ける用事は無いから、後は好きに過ごして」

 

 エディシュが母に帰宅の挨拶をすると、食卓ではお茶の準備がされていた。オーレリアは、リンゴ草のお茶を淹れると、焼き菓子と一緒にエディシュの前に置いた。

 

「久しぶりの帝都は、どうだった?」

「まだ、何かついて行けない」

「そう。お友達とは会わないの?」

「いい。どうせ、子育ての話か、結婚生活の愚痴ばっかりだから」

 

 オーレリアは静かに微笑みながら蜂蜜を一匙、カップに入れ、かき混ぜた。

 

「エル・カルドでは、お父様のお墓参りをしてきたわ」

 

 エディシュは、ぽつりとつぶやいた。

 

「そう。それは良かったわ」

 

「たくさんの人が、弔いの葡萄酒をかけた跡があって、墓碑が紫色になってた。お兄ちゃんも一緒にと思っていたんだけど、急に帰ることになって……」

 

 エディシュは、リンゴ草のお茶を一口飲んだ。

 

「……お母様は、どうしてお父様と結婚したの?」

「どうしたの? いきなり」

 

 エディシュがうつむくのを見て、オーレリアは微笑んだ。

 

「あの頃は、親の選んだ相手と結婚するのが当たり前だったし、それが私の役目だと思ったからよ」

 

「役目?」

 

「ええ、あなたのお父様は、もともと平民の出でね。アルドリック陛下に取り立てられて、大事なお役をされていたけれど、有能なだけではなかなか上手くいかないこともあってね。ゼーラーンの名前が、あの人の役に立てばと思ったのよ。といっても、そういった事情を知らされたのは、結婚式が済んでからだったけれど」

 

「ゼーラーンの名前……」

 

「そうよ。能力だけでは、どうにもならない事もあるから。ローダインは比較的、出自にはこだわらないけれど、それでもね」

 

「……そんな事、考えた事もなかった……。名前が、誰かの助けになるなんて」

 

「私が、そうだったからといって、あなたにそうしろというつもりはないのよ。あなたには、あなたの結婚があるのだから」

 

「あたしの……」

「わ・た・し・の……よ」

「はい」

「まだ、前の事が引っ掛かってる?」

「……」


 エディシュは黙ってうつむいた。

 

「今度の方は、あなたが戦場にいた事を承知されているそうよ。子供の頃から剣を習ってきたことも、馬に乗ることも」

 

「本当に?」

「ええ、だから安心なさい」

「……お父様のことも……悪く言われない?」

「大丈夫よ」

 

 オーレリアは、優しく微笑んだ。


 十日ほど経ったある日、仮縫いが出来たと連絡があり、エディシュとニケは再び仕立て屋を訪れていた。そして、店内に並べられたドレスの数々を見て驚いた。

 

「これは……」

 

 エディシュのために作られた衣装は、彼女の要望通り、見た目こそ簡素ではあるが、上質な作りがわかるものだった。袖を通してみると着心地も良く、手も動かしやすい。何よりも、どれもエディシュによく似合っていた。


 ニケはというと、こちらも見せられたデザイン帳とは似ても似つかない、落ち着いたドレスが用意されていた。首元までしっかり隠す襟のお陰で、彼女の傷は全くわからなかった。

 

 店主の男が、扉からおそるおそる顔を覗かせた。

 

「お主、やるではないか」

 

 ニケは、満足そうな表情で太った店主を見た。

 

「あたしもこれ、気に入ったわ」

 

 エディシュは部屋の中で、くるりと回って見せた。その笑顔は、採寸に来た時とは全く違っていた。

 

 帝都で評判の仕立て屋の噂は、伊達ではなかったようだ。


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