第11話 トーマの仕事

 トーマはディランから兜、籠手、胸当てと次々に受け取っては、床に敷かれた布の上に並べていった。拭われてはいても、戦場でついた血なまぐささは、どこからともなく立ち昇ってきた。装備を全て外し終えると、ディランは水桶で手と顔を洗った。水滴を拭った布を受け取ると、トーマは預かっていた指輪をディランに手渡した。その指輪を左手の小指にはめると、銀色の輪に孔雀色の石が光った。


 『孔雀石』と呼ばれるその石は、かつては七聖家の人間しか身に着けることを許されていなかったと、師匠から聞いたことがあった。エル・カルドの人々にとって『孔雀石』は、魔道の象徴なのだと。そして、そのディランの指輪は母セクアの形見だと、コンラッドから教わったのだった。だが、形見という割には扱いがぞんざいで、ディランが戦に出る時は、いつもその辺りに放ったらかしだった。それをトーマが見かねて預かるようになっていた。

 

 トーマは師匠のバルドから、ディランの母セクアの話をよく聞かされていた。彼女を森の中で初めて目にした時の事、彼女がいかに美しかったか、どれほどローダインの人々を魅了したかを語った。当時のトーマは、師匠も随分大げさな事を言うと思っていたが、砦に来て、この若い騎兵団長を目にしてからその考えを改めた。だが不思議なことに、師匠からディランのことは何一つ聞いた事がなかった。トーマ自身は、この砦に来て初めて彼の存在を知ったのだった。

 

 ディランが白いシャツを脱ぎ捨てると、その体にはいくつもの傷があった。最前線で戦う騎兵団の人間は、皆そうだった。ディランは用意された服に手早く着替えると、長い黒髪をさらりと背中に流した。トーマは、いつものようにその様子をそっと目で追い、ディランが新しい怪我をしていない事を確認した。戦場から帰って来た人間は、しばしば自分の怪我に気付かないことがあるからだった。前には、背中に矢が刺さったまま、気付かずに服を脱ごうとした兵士を見た事もあった。今日は特に、索敵だと言って軽装備だった。トーマは何も無かった事がわかり、ようやくほっとした。

 

「そろそろ部屋の荷物をまとめないと、またエディシュさんに叱られますよ」

 

 トーマは脱ぎ捨てられた服を拾うと、予備の剣を手渡した。

 

「まだ、報告書を書くからそのままでいい。荷物はどうせチェスト一つだ。すぐに片付く。ゼーラーン将軍のところへ行ってくるから、後は好きにしろ」

「食堂を手伝いに行ってきていいですか?」

 

 トーマはちらと、床に広げた防具や剣を見た。いつもなら、これらの手入れをトーマがしているのだ。

 

「ああ、行ってくるといい。今日は稼ぎ時だろう」

 

 それだけ言うと、ディランは手にした剣を腰に下げながら、足早に部屋を出て行った。

 

 (忙しい人だな)

 

 戦場の臭いのする服を洗濯用の袋に詰めながら、トーマは思った。そしてクラリッツァと呼ばれる楽器を背負い、袋を抱えて馴染みの洗濯係に、明日の朝までに仕上げるよう頼むと、食堂へと向かった。

 

 トーマが砦に来て半年になろうとしていた。大陸の色々な地域から人が働きに来ているこの砦は、トーマにとって心躍る場所であった。ローダイン、サントフェルド、ルッカ、ベラノーシュといった大陸の中心地。それらの周辺に位置する小国群。商業自治州の様々な地域。さらには、東国や南の大陸からさえも人がきているのだった。トーマは、色々なことを教えてもらえるこの砦が好きだった。馬の乗り方や剣の扱い方、野営の仕方や獣のさばき方。やりたいと思ったことは、何でもさせてもらえた。師匠もこうやって砦で過ごしていたんだろうかと、ふとした拍子に考える。

 

 師匠との別れは突然だった。滞在していた村で急に倒れ、それきりだった。特に病気をしていたわけでもなかったのに。人の死は、こんなにもあっけないものかとトーマは愕然とした。師匠の死後、しばらくして声変わりが始まった。『困ったらゼーラーン将軍のところへ行きなさい』という師匠の教え通り、砦へやってきたのだった。


 ここでの生活は、トーマにとって思いのほか楽しいもので、師匠のクラリッツァを爪弾くことすら忘れる日があるほどだった。

 旅をしながら師匠から教わっていた、大陸中の古今東西の様々な歌、楽器、地域の風習や言葉、歴史、言葉遣いや振る舞いといったことは、トーマが生きていく上で役に立つことであった。だが師匠のように吟遊詩人を一生の生業とし、放浪したいかといわれると、少し違うような気もしていた。


 何者かになりたい。そう思いはするが、何をすればいいのかわからない。今は、従者の真似事をしたり、手の足りていない場所を見つけて手伝いをするばかりだった。だが、ここでの生活もまた、あっけなく終わってしまうのだ。明日には、みんなここを出ていってしまうのだから。


 トーマは暗くなった表情を頭を振って払い除けた。


 (そうだ、今日はこの砦で最後の夜だ。兵士たちの財布のひもも緩むだろう。騎兵団長の言う通り、今夜は稼ぎ時だ。まだ歌は歌えないけれど、クラリッツァは弾ける。これからのことは、また考えよう)


 トーマは、顔を上げて食堂の扉を勢いよく開けた。その顔は、師匠バルドに教え込まれた、とびきりの笑顔であった。

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