第32話 ウィラードの望み 二人の行方②
夕方、ウィラードとシルヴァは、老人たちとの食事を終えると片付けをし、再び小屋へと戻った。暖炉に火を入れ敷物に座り、ようやく一息つくことが出来た。温まった衣服から、そこはかとなく家畜の臭いが漂った。
ウィラードが改めて家の中を見回すと、高齢の女性が住んでいたというだけあって、室内には綺麗な刺繍飾りや手編みの敷物などが飾られていた。小屋自体は古びていたが、部屋の中は手入れが行き届いており、居心地の良い住処となっていた。高齢の女性は、亡くなる直前まで、元気に過ごしていたように思われた。
食器棚の食器が少ないのは、ここでは亡くなった人が、死後食事に困らないように、生前使っていた食器も一緒に埋葬するためだそうだ。
暖炉、食器棚、寝台、テーブル、椅子が二脚、そしていくつかの壺。この部屋で、どんな人が、どのような人生を送ったのだろうか。ここの住人もやはり、一生をここで過ごしたのだろうか。
ウィラードが考えに耽っていると、シルヴァは暖炉の前でごろりと横になった。
「いや、疲れた疲れた。じいさんたち、あれもこれもと、まあ出てくる出てくる。次は、湧き水を引いている水道をみてくれとは、どれだけこき使う気だ」
口ではそう言っているが、暖炉の炎が照らし出すシルヴァの表情は楽しそうだ。たまにエル・カルドへ帰ってくるシルヴァは、いつも窮屈そうだった。こんなに、生き生きとしている彼を見るのは、ウィラードには初めてのことだった。
「おじいさんたち、喜んでたね」
ウィラードは、自分まで嬉しくなっていた。自分の行いで、人が喜んでくれるというのは、ウィラードにとってあまり無い経験だった。
「でも、食い物が野菜のスープだけでは、ちょっと腹にたまらないなあ。そのうち、何か獲りに行きましょうか」
シルヴァは、物足りなそうに腹をさすった。
ウィラードは暖炉に薪を一つ放り込み、少し考えると、何かを決心したような表情でシルヴァの方を向いた。
「あのさあ、シルヴァ」
「なんですか? 殿下」
シルヴァは不思議そうにウィラードを見た。
「その、殿下っていうの、止めない?」
「へっ?」
シルヴァはウィラードの言葉に驚き、思わず飛び起きた。仮にもローダインの皇弟子殿下だ。ウィラードがエル・カルドへ来ていなければ、本来話をする機会さえなかっただろう。
「うん。だから、殿下って呼ぶのをやめて欲しい」
ウィラードは、少し恥ずかしそうにつぶやいた。
「……と急に言われても……じゃあ、何てお呼びしたら」
「ウィルでいいよ。それから、敬語もなしで」
「また……急に、なんで」
「急にじゃないよ。前から、考えていたんだ。エル・カルドでは、七聖家は対等だって聞いていたのに、いつまでも殿下って呼ばれるのはどうなんだろうと思ってた。だからずっと、殿下って呼ぶのはやめてもらおうと思ってたんだ。殿下っていうと、どうしてもローダインが僕の後ろに見えるでしょう? それも、僕が受け容れられない要因かなって思ってて。駄目かな?」
ウィラードは、不安そうな目でシルヴァを見た。
「い、いや……駄目なことは……」
シルヴァ自身、駄目だとは思わない。だが、他の七聖家の人々は、決して良いとも思わないだろうことは想像がついた。ウィラードがどれほど歩み寄ろうとも、彼らが本心からウィラードを受け入れることはないのではないか。そして、ウィラードがその事に気付いたら……。
「それにね。僕は、ずっと羨ましかったんだ。前に砦へ行った時に、みんなとシルヴァが話してるの聞いて、こんな風にみんなと話が出来たらいいなって」
「たいがい、俺はボロクソ言われますが。エディシュやディランに至っては俺の事、年上だとも思ってない。説教はするわ、怒鳴りつけるわ、散々ですよ」
「敬語なしで」
「お……おう」
「でも、みんなシルヴァのことが好きなんだよ。見ていたらわかるよ」
「そうかなあ。俺は、虐げられているんだと思ってた」
シルヴァは、まだ十五歳の少年がそんなことを考えていたということに心を痛めた。もっと自分が関わってやるべきだったのかもしれなかったが、第一聖家の代表であるミアータ夫人は、他家が関わることを嫌がった。それはおそらく、自分の息子の事もあってだろう。
七聖家の中で長きに渡り続く、相互不干渉の不文律。それは、シルヴァ一人の力でどうにかなるものではなかった。
ウィラードを見ると言いたい事を言ったせいか、何やら晴れやかな表情となっていた。
夜になり、ウィラードは働いて疲れた体を寝台に横たえた。今まで経験したことの無い、気持ちの良い眠りが足元からやってきた。ただやはり、エル・カルドの事は気がかりだった。眠りに落ちながら、ウィラードは考えていた。
(みんな、どうしてるかな。きっと、大騒ぎになってるよね。それに……トーマは、大丈夫だろうか。酷い目に遭ってないといいのだけれど……)
静かな流刑地にしんしんと雪が降り積もる。夜の闇に紛れて、小さな影が走った。
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