第8話 辺境の戦い
シルヴァはひたすら平原を馬で進んだ。秋に種が播かれた小麦畑も、今は眠りについている。小麦畑を過ぎ、しばらくすると、ゴツゴツとした岩があちらこちらに顔をのぞかせる荒野へと変貌していった。ボドラーク砦の騎士団が野盗の取り締まりを厳しく行っているため、エル・カルドから砦に至る道筋は、辺境にも関わらず比較的治安が安定している。おかげでシルヴァは、いつものんびりと一人旅を楽しんでいた。
途中の村で宿を請いながら三日目、砦が見えるまであともう少しというところまでたどり着いた。遥か先に見える高い山脈は、フォローゼルと辺境を隔てるものだった。冬の空はどんよりとし、山脈から続く雲は暗く垂れ込め、今にも雪が降りそうだった。シルヴァは少し馬の速度をあげ、左右に丘の見える広い道にさしかかろうとしていた。
砦へ向かう途中の丘の上には、二十名程の騎兵の集団がいた。索敵中らしく彼らは皆、比較的軽装備で、そのほとんどが荒くれた傭兵の集まりであった。集団の先頭に立つ指揮官が、馬上で簡素な兜の面頬を上げると、そこに息を飲むような端麗な若い男の顔が現れた。切れ長の目には、孔雀色の瞳。紛れもなく、エル・カルド人であった。その目は、広い道を挟んだもう一つの丘を見つめていた。
そこにいたのは、白巾を首に巻いたフォローゼル兵の集団であった。彼らは重騎兵と歩兵、ざっと六十人ほどの集団で、索敵というには人数が多く、戦を仕掛けに来たにしては人数が少なかった。彼らはまだ、戦うか逃げるか決めかねているようであった。『迷う』その時点で、すでに勝負は決まっていた。
「騎兵団長。あいつら、ここんとこずっと中途半端な人数でちょろちょろと。何がしたいんですかね」
若い赤毛の大男の言う通り、この数ヶ月フォローゼルの動きは不可解な点が多くあった。だが、もっと不可解な事は、また別にあった。
「どうします?」
「ジル、乱戦で『奴』を炙り出す。最後だ。好きに戦え」
静かだが厳しい、若い男の声だった。
「よっしゃあ」
ジルと呼ばれた赤毛の大男は、我が意を得たりとばかりに喜んだ。自分たちの三倍ほどの人数も、全く気にする様子はなかった。
「但し、今回の目的を忘れるな。『奴』を見つけたら合図をしろ。殺すなよ」
騎兵団長の言葉に、兵士たちは歓呼で応えた。
「ねぇ、あれ。シルヴァじゃない?」
弓を持った若い女性が声を上げ、乗っていた馬から降りると、丘の下に目をやった。その女性は、真っすぐな長い金色の髪を銀の髪留めで束ね、しっぽのように背中に垂らしていた。金色の髪に碧い瞳。背の高い、典型的なローダイン女性だった。澄んだ瞳は、馬で進み出てきた騎兵団長に向けられた。
「ディラン、どうするの?」
シルヴァは、どちらの兵にも気付いていない。
「……あのバカ。エディシュ、足止めしろ」
「了解!」
エディシュと呼ばれた女性は弓を構えると、シルヴァの乗る馬の足元に向かって、正確に矢を打ち込んだ。驚いた馬が立ち上がり、歩みを止めた。
「来たぞ!」
反対側の丘の上から、重騎兵と歩兵の集団が丘下に駆け下りてくる。
「ジル! そっちは頼んだ!」
「あいよ」
赤毛の大男はくるりと振り返ると、兵士たちに向かって号令をかけた。
「お前ら、行くぞ! 突撃!」
騎馬の一群は、敵に負けじと
「弓兵は援護を! ニケ、カルヴァン、行くぞ!」
銀装の騎兵と黒装の騎兵が、若い騎兵団長に付き従う。三人はシルヴァめがけて馬で丘を駆け下りた。
「了解! シルヴァのこと頼んだわよ!」
そしてエディシュは弓兵たちの方を振り返り、声を上げた。
「あんたたち、いいわね! ディランたちが行くまで、一兵も近づけるんじゃないわよ!」
弓兵たちは、雄叫びを上げた。
いきなり目の前で始まった戦闘に、シルヴァは訳も分からず、馬に乗ったまま立ちすくんでいた。すると横から蹄の音と、聞き覚えのある怒声が聞こえた。
「シルヴァ! このバカ! こんなところで何をしている!」
シルヴァと迫りくるフォローゼル兵の間を
「ディラン! なんだよこれ。ここ、治安悪いぞ!」
シルヴァは悪態をついた。集団から離れた四人をめがけて、フォローゼル兵が集まり始める。
「七聖家の人間が、供もつけずに来るからだ!」
「俺は、いっつも一人で来てる!」
シルヴァを背後に
フォローゼル兵は定法通り、槍を使って攻撃してくる。通常、柄の長い槍は剣よりも早く相手に届くので、接近戦では有利だった。彼らは馬を狙い、騎兵を落とす事が得意だった。おかげで騎兵団といいながら、馬を降りて戦わざるを得ない事もたびたびあった。
槍を使った戦法は、槍を突き出すだけなので、武術の心得のないものでも戦うことができた。ただし、それは集団に一定の密度があってこそ。今回のような乱戦では、個人の技量がものをいう。屠殺場の方がましではないかと思われる光景が、シルヴァの目の前で繰り広げられた。
「ニケ! シルヴァをさがらせろ!」
騎兵団長の命令に、銀装の騎兵は馬に飛び乗ると、シルヴァの元へやってきた。
「シルヴァ殿。弓兵のところまで引きましょう」
女性の声がした。銀色の兜からわずかに覗く口元は、褐色の肌が美しい女性のものだった。ニケに付き添われて、シルヴァは丘の上まで馬を駆った。ニケは、シルヴァをエディシュに託すと、あっという間に引き返し、戦線に復帰した。
待ち構えていたエディシュは、シルヴァに馬を降りて座るよう促すと、嵐のような説教を始めた。シルヴァは、五歳も年下の女性を前に、小さく身を縮こませ、時が過ぎるのをじっと待つしかなかった。
しばらくすると、フォローゼル兵は撤退を始めた。その時、説教から解放され、丘の上から戦の様子を眺めていたシルヴァの目の前で、異変が起きた。
取り残されたフォローゼル兵に対し、ニケの放った一撃が、敵に届く前に弾かれたのである。まるで、何か透明な壁に阻まれたかのようであった。それを見ていたカルヴァンが、首から下げていた笛を鋭く吹いた。たちまち五人ほどが、そのフォローゼル兵を取り囲んだ。
そうしている間に、馬に乗ったディランが、シルヴァの元へやってきた。
「あっちは、もういいのか?」
「ああ、あいつらだけで大丈夫だ」
ディランは馬を降り、面頬を上げ、近くにいた兵士に手綱を渡すと、今まで戦っていたとは思えない冷やかな表情でシルヴァの横に立った。そして、その無機質な表情のまま、兵士に渡された手巾で返り血を拭った。
「なあ、ディラン。あれはなんだ? あれは……まるで……」
「シルヴァ。これを見たことはあるか?」
ディランはシルヴァに、小さな石のようなものを投げてよこした。
「それは、さっき捕まえたフォローゼル兵が持っていた物だ」
シルヴァは石を手にした途端、顔色を変えた。覚えのある力が石から感じられた。
「……ディラン……これ」
「中を、よく見てみろ」
そういわれてシルヴァは石を摘まみ、空にかざすと中を覗き込んだ。孔雀色の石の中に、読めはしないが見覚えのある文字が浮かび上がっていた。
「……これは……魔道符か?」
「結界を張るためのものらしい。少し前からこれを持ったフォローゼル兵が現れ始めた。これが、どういうことかわかるか?」
「……魔道が、エル・カルドから流出してる?」
「おそらくな。まだ、はっきりとはわからないが」
「待てよ。今、エル・カルドで魔道を使う奴なんかいないぞ」
「だが、実際そんなものが出回っている。エル・カルドで魔道の扱いは、どうなっている?」
「魔道書は代々第二聖家が管理してる。今の当主はドナル。そういえば三年前、俺がエル・カルドに戻った時は、城内の魔道書の書蔵庫が一杯だから、城外のどこかに別の建物を建てるって聞いたような気がするけど、どうなったのかは知らん」
「七聖家の〈
ディランは、呆れた顔を見せた。
「しょうがないだろ。七聖家って基本的にお互い不干渉なんだよ。それよりお前、こんなものを持ったやつ、どうやって倒すんだ?」
「今のところ、その魔道符が壊れるまで切りつけている」
「力技かよ。もうちょっと知的な対応の仕方はないのか?」
文句を言うシルヴァの前で、ディランは眉をひそめた。
「お前が知的とか言うか? それが一番早いんだ。ちょっと、試してみるか?」
ディランは腰に差した長剣を引き抜くと、シルヴァに向けて振り下ろした。しかし剣は、やはり何か目に見えないものによって弾かれた。
「わ! びっくりした。急に切りかかるなよ。危ない……なんだ……これ」
シルヴァの手の中にある魔道符は、ヒビが入り、力を失った。
「シルヴァ。知ってはいるだろうが、ローダインがエル・カルドを庇護する条件の一つが、魔道を外へ広めないことだ。こんなものが広まるようなことになれば、戦の有り様も根底から変わってくる。ローダインが、エル・カルドを守りきれなくなるかもしれない」
丘の下から歓声が上がった。決着がついたようだ。
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