第9話 ボドラーク砦

 一団が砦に戻ったのは、陽の落ちる寸前であった。ボドラーク砦は元々、フォローゼルが建てたものである。異国風の建築物の数々は、何度見てもシルヴァの目を楽しませた。堀に架かった跳ね橋から人馬がなだれ込み、砦の内部は一気に騒がしくなった。木蔦に覆われた中庭が多くの人で入り乱れ、すれ違い様、次々と人がシルヴァに声をかけていった。

 

「ようシルヴァ。久しぶりだな。今度はどこへ行ってたんだ」

「船に乗ってた」

「船か。いいな。後で飲もうぜ」

 

 たわいもない会話を馴染みの兵士たちと交わしていると、エディシュは呆れた顔をした。


「あんたって、どこにでも知り合いがいるのね」

 

 行き交う人々は、様々な地方から来ていることが見てとれた。異国風の建物も相まって、そこでは不思議な光景が広がっていた。

 

 まだ灯りのつかない回廊から、エディシュによく似た背の高い若い騎士が、シルヴァたちの元へ歩いてきた。


「あ、お兄ちゃん」

「エディシュ、怪我はないか」

「お、コンラッド。久しぶりだな」


 シルヴァは若い騎士に向かって手を上げた。


「なんだ、シルヴァ。一緒だったのかい。悪いね。ここも明日の撤収の準備で、あちこちごった返している」


 コンラッドは手にした書類を元に、次々と兵士たちへ指示を出していった。

 シルヴァは、ひと回り背の高いコンラッドを見上げた。おおむねローダイン人は背が高く、エル・カルド人はさほど高くはなかった。エディシュはローダイン女性の中でも比較的背が高く、シルヴァとさほど変わらなかった。


「明日、撤収か。本当に解散しちまうんだな。悪いな。忙しい時に来ちまった」

「構わないよ」


 コンラッドは穏やかな口調で答えた。シルヴァが知る限り、コンラッドが怒っているところを見た事がない。顔こそエディシュとは双子のようによく似ていたが、性格はずいぶんと異なる。


「こんな時でも、フォローゼルは来るんだな。お陰で酷い目にあった」

 

 シルヴァは頭をボリボリと搔いた。


「シルヴァったら、フォローゼル兵に全然気付いていないんだもん」

「ああ、災難だったね。でも、もうしばらくはないよ」

 

 シルヴァが不思議そうな顔をしていると、コンラッドは天を仰ぎ、手のひらを上に向け、空から降ってきた小さな白い粒を指先に乗せた。


「ほら、雪がちらついてきた。雪が降りだしたらフォローゼルは来ないからね」


 フォローゼルはこの辺りよりも随分暖かいらしく、特に首都ロクスファントの近辺は、雪が降ることもないそうだ。その為、雪に対しては、かなり神経質になるらしい。


「本格的に積もるのは、もう何日か先だろうけど。雪が降り出したら、フォローゼルとの国境は閉じられる。戦はもうないよ。春の雪解月の頃には、交替の部隊も形になるだろう」


 行き交う人混みの中から、少年が一人飛び出してきた。


「あ! エディシュさん。おかえりなさい」


 歳は十四、五歳だろうか。彼もまた金色の巻き毛に碧い瞳、典型的なローダイン人の外見だった。短いチュニックに下衣といった出で立ちのせいか、少年の年齢のせいか、シルヴァはふとウィラードを思い出した。


「トーマ。ただいま」


 トーマはエディシュの後ろに立つシルヴァを見た。


「あの、この方は?」

「この人はね、シルヴァ。エル・カルド人よ。これでも七聖家の人間よ」


 エディシュはシルヴァを指差し、意地悪そうな顔をした。


「これでもってなんだよ。この子は新顔か?」

「この子はトーマ。バルドの弟子よ。バルドが亡くなってから、もう半年くらいここにいるかな」

「バルド? また、懐かしい名前だな。ってことは、こいつも吟遊詩人か?」

「ええ、失業中だけどね」

 

 理由は、すぐにわかった。彼は、声変わりの最中であった。そういえばウィラード殿下もそうだった。


「声が落ち着くまで、うちで面倒をみようと思って。ここでいろいろ手伝いをしてくれてるわ」

「へえ、そうか。歳はいくつだ」

 

 途端にトーマは、困った表情を浮かべた。


「……わかりません」

「へ?」

「僕、もともと捨てられていたんです。それに師匠も、最初はこれくらいだろうって数えてたそうなんですけど、途中で忘れたって」

「なんだ、それ。……バルドって……そんな人だったっけ」

 

 シルヴァが人から聞いてきたバルドは、あらゆる言語を自在に操る、天才のような人物であった。父親から聞いた話では、バルドがいなければローダインとの意思の疎通は、難しかったかもしれないということだった。


「それに、年齢よりも他に覚えることは、たくさんあるって言ってましたので。古歌とか、古語とか、エル・カルドの言葉も習いました」

「へえ。じゃあ、エル・カルドへ来たら通訳してもらおうかな。エル・カルドではまだまだ共通語コムナ・リンガの話せない人間が多いからな」

「そこまでは、ちょっと自信ありません。騎兵団長には時々教えてもらってますけど」

「ディラン。あいつ話せたのか。いっつも共通語コムナ・リンガで話してたから、気が付かなかった」

「そりゃ、話せるでしょ。セクア様は、あまり共通語コムナ・リンガが、お得意ではなかったらしいから。ディランとはエル・カルドの言葉で話されていたみたいだし」

「まあ、大人になってから新しい言葉を覚えるのは難しいよな。それでいうと、バルドってやっぱり凄かったんだな」


 自分の師匠を褒められて、トーマは嬉しそうな顔をした。トーマはこの子供のような表情で笑うエル・カルド人が、ちょっと好きになっていた。


「あ、ディランが戻ってきたわよ」


 エディシュの言葉通り、ディランは面頬を上げ、人の行き来する間を足早に歩いてきた。トーマが駆け寄り顔を見せると、ディランは人の流れを避けて立ち止まり、二言三言、言葉を交わした。そしてトーマは、そのまま暗い通路を駆けて行った。


「ずいぶん懐いてんな」


 シルヴァは感心した。


「まあ、ああ見えてディランは面倒見がいいからね」


 コンラッドが兵士たちへの指示を終えて戻ってきた。


「エディシュ。シルヴァをじいさまの執務室へ連れて行ってくれないか。私たちも後で行くから」


 コンラッドはディランに声をかけると、二人で居室のある方向へ歩き出した。二人の後ろ姿を見送ると、エディシュはシルヴァに向き合った。


「で、今日はおじいちゃんに用? 〈聖剣の儀〉のこと?」

「まあな。とりあえず挨拶と相談事かな。ゼーラーン将軍に」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る