第20話 雪の墓標

 翌朝早く、エディシュはシルヴァの家を訪れていた。昨日の雪がうっすらと積もり、朝日に輝いていた。

 

「どうしたんだ? こんなに早く」

 

 夕べは遅くまで起きていたらしく、シルヴァはあくびをしながら玄関へと降りてきた。

 

「ごめんね。でも後になると、あんたは〈聖剣の儀〉で忙しくなると思って。あたし、行きたい所があるの」

 

 シルヴァはエディシュの様子を見て「ああ」と小さな声を上げた。

 

「わかった。ちょっと待っていてくれ。着替えてくる」

 

 シルヴァはいったん奥へと引っ込んだ。次に出てきた時には防寒具に身を包み、手には葡萄酒の瓶が入った布袋を持っていた。

 

「コンラッドはいいのか?」

「お兄ちゃんは……忙しそうだったから」

 

 エディシュは、少し残念そうな表情を見せた。

 

「そうか。また明日でも行けるしな」

 

 二人が城内にある馬屋へ入ると、そこにはたくさんの馬が並んでいた。エディシュの馬も、そこで飼い葉をんでいた。城内の馬は、全てここで世話をされているようだった。シルヴァは自分の馬を引き出すと、二人乗り用の大きな鞍をつけ始めた。

 

「ちょっと待って。あたし、自分の馬があるわよ」

「知ってるけど、その格好で馬に跨るのか?」

 

 エディシュは、マントの下に着ている白い長衣を恨めしげに見た。このままの服装で馬に跨がれば、膝まで見える。それは、エディシュにとっては受け入れ難い事であった。


 この大陸の上流階級の女性は、素足を見せる事を極端に嫌う。特に足首より上は絶対に見せない。理由はわからない。昔からそうであったとしか言いようがなかった。そのくせ、帝都ではドレスの胸元が大きく開いたものや、肩が見えるものが流行っているのだから、シルヴァには不思議で仕方がなかった。

 

「馬に乗るってわかってたら、着替えてきたのに」

 

 シルヴァは布袋を鞍にくくりつけると、踏み台から馬にまたがった。エディシュもシルヴァの腰のベルトをしっかり掴み、後ろに横乗りした。馬が動き出すと、エディシュは途端に悲鳴をあげた。

 

「こ、怖い! 世の中の女性は、みんなこんな怖い思いをして馬に乗せられているわけ? 自分で乗った方が絶対いいわ」

「後ろは跳ねるからな。前に乗るか?」

 

 シルヴァは心配そうに振り向いた。

 

「いいわよ。子供じゃあるまいし。すぐに慣れてやる」

 

 エディシュは意地になって態勢を整えた。子供の頃から一人で馬に乗っているのだ。横乗りくらい大した事ではないと思った。

 

「でも、ローダインへ帰ったらこの乗り方じゃないのか?」


「ううん。帝都では基本、馬車。女一人で馬に乗っていたら何を言われるか。お兄ちゃんやおじいちゃんと一緒だと、何も言われないけどね」


「結構厳しいんだな。ローダインはもっと自由かと思っていた」

 

 二人の乗った馬は、暗い馬屋を出て跳ね橋を渡り、城外へ出た。

 

「あたしもそう思っていた。子供の頃は大人になれば何でもできるようになると思っていたけど、実際は違った。大人になればなるほど、出来ない事が増えていった。帝都は特にそうなのかも。ここでもそう?」


「どうだろうな。馬に関しちゃ、馬を持っている人間も、乗れる人間もあまりいないからな。誰が乗っていても誰も気にしないんじゃないか? 他の事は俺にもよくわからないな」


「そっか。ローダインでも馬に乗れるのは、武術をたしなむ人か、旅をする商人くらいのものなんだけどね」

 

 そもそも馬自体が一財産である。誰にでも気軽に乗ることの出来る物ではなかった。

 

 シルヴァはそのまま、まだ誰も出歩かない町中を馬で抜けて行く。エディシュは必死でシルヴァのベルトにしがみつき、横乗りをモノにしようと頑張っていた。馬はカポカポと音を立て、町はずれへと向かった。


 しばらくすると、白い木の柵に囲われた、木々の立ち並ぶ広い墓地が姿を見せた。うっすらと雪化粧をしたその場所は公園のようにも見える。二人は馬を降りると、柵に手綱を繋ぎ、中の小径を歩き出した。

 

「それで詠唱は、ちゃんと憶えたの?」

「ああ、バッチリ憶えた。トーマに憶え方まで教わった」


「あんな年下の子に教わらなきゃならないなんて……。ちょっとは恥ずかしいとか思ってんの?」


「なんでだよ。人にものを教わるのに、年上も年下もないだろう。恥ずかしいなんて思ったことねえよ」

 

 シルヴァは不思議そうにエディシュを見た。その顔は、本当に何とも思っていないようだった。

 

「あっそ。別にいいけどさ。トーマは?」

「まだ寝てる。夕べ遅くまで付き合わせちまった」

 

 二人が歩く小径は、木漏れ日が積もった雪を輝かせ、穏やかな朝の空気を彩っていた。

 

「着いたぞ」

 

 そこには大きな石碑が立ち並び、人の名前らしきものがびっしりと書き連ねられていた。

 

「ここだ。あの時の流行り病で亡くなった人、全員ここに書かれている」


「へえ、立派なんだ。お花、持ってきたかったけど、この時期ないわね」


「代わりに、これ」

 

 シルヴァは葡萄酒の瓶を取り出しコルクを抜くと、一番手前の石碑に音を立ててかけ始めた。その石碑は多くの人が葡萄酒をかけたせいか、紫色に染まっていた。エディシュは、その様子をじっと見つめていた。

 

「お父様、お酒飲めたのかな? 知らないや。シルヴァは亡くなったお母様のこと覚えてる?」


「なんとなくだな。でも、酒が飲めたかどうかは覚えてないな」


「あたしのお父様は、あたしが生まれてすぐにエル・カルドへ行くことになったから……全然覚えてない。お母様の話では、生まれたばっかりのあたしを抱いて『エル・カルドには、病気で苦しんでいる子がたくさんいるから行ってくる』って泣いてたって」

 

 エディシュは何度も母から聞いた話を、確かめるように口にした。

 

「俺もそのうちの一人だったな。優しい親父さんだな」


「でも、子供なら誰でもかかるような病気なのに、なんでそんなに流行ったんだろう」


「俺もこの時かかったけど、子供は割とすぐ治ってたな。年寄りは、ほぼ全滅だ。エル・カルド中、大混乱だったそうだ」


「そりゃ、そうよね」


「ローダイン人が病気をばら撒いたとか、ローダイン人は悪魔だとか、もう暴動寸前だったらしい。その時、ゼーラーン将軍の娘婿が同じ病気で亡くなったって聞いて、ようやくローダイン人も同じ人間なんだとわかったって……親父が言ってた」


「じゃあお父様も、まんざら無駄死にでもなかったのね」

 

 エディシュは寂し気にシルヴァに微笑んだ。

 

「無駄死にどころか大恩人だろ。暴動でも起きていたら、もっと人が死んでいた」

 

 シルヴァは真っすぐエディシュを見返した。

 

「世間的には戦死じゃないから、全然評価されてないけどね。しかも子供がかかるような病気だったから、どんだけ過保護に育ったんだとか言われて」


「最前線で処理にあたってくれてたんだ。伝染ることもあるだろう。そんな事を言うやつは、他のことでも文句しか言わないさ」

 

 〈ブルーノ・ゼーラーン〉エディシュの父親の名前が刻まれた箇所を見つけ、シルヴァが指をさす。エディシュは、父の名を指でなぞり、ゆっくりと墓碑に額を押し当てた。

 

「うん。そうだね」

 

 エディシュはそのまま目をつむり、ただじっと座り込んでいた。シルヴァは背中を向けて、雪の残る木々の枝を飛び交う小鳥を眺めていた。しばらくしてエディシュは立ち上がり、シルヴァの横に並んで同じように小鳥たちを眺めた。

 

「ここへ来るのも、今日が最初で最後かな」

「なんでだ? また来ればいいじゃないか」


「あのね。結婚したら、そんな簡単に遠出できないでしょう?」


「親父さんの墓参りに文句言うような旦那だったらやめとけよ」


「旦那になる人が良くても、お姑さんに文句言われそうだわ。それにね、お墓自体はローダインにもあるのよ」

 

 背後から足音と子供の話す声が聞こえてきた。シルヴァとエディシュが目をやると、十歳くらいの少女ともう少し小さい女の子が掃除道具を抱えてやって来た。少女たちは、シルヴァたちを見て驚き、固まってしまった。シルヴァが少女たちに、防寒着の下のエンジ色の服を見せ何事か話しかけると、少女たちはぱっと顔を明るくして笑い出した。

 

「知ってる子?」


「ああ、この近くの孤児院の子たちだ。ここの掃除をしてくれている。久しぶりで顔を忘れられてた」


「孤児院……」


「ああ。それも、お前の親父さんが作ろうとしてたんだそうだ。大人が次々と亡くなって、子供たちが取り残されていくのを見てな。それまでエル・カルドには、孤児院なんてなかったらしいから」

 

 少女たちはシルヴァの袖を引っ張ると、何やら深刻な表情で話しだした。シルヴァは腰を屈めて少女たちの話を聞くと、二人の頭を撫でてやった。少女たちは安心したように、掃除道具を抱えて奥へと去っていった。

 

「どうかしたの?」


「ああ、ちょっと。……孤児院から七聖家に働きに出た子が、連絡してこなくなったって。まあ、忙しいから忘れてるだけだろうけど、一応親父の耳には入れとくか」

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