第19話 家族の肖像

 食事が終わり、窓辺の席で葡萄酒を飲みながらコンラッドはディランに話しかけた。

 

「ディラン。さっき、〈聖剣の儀〉の打ち合わせで、君の叔父さん方と話をしたよ。七聖家の会合が終わったら、君と話をしたいそうだ」

「そうか」

 

 憂鬱そうなディランとは対照的に、コンラッドはいつもと変わりなく、穏やかな微笑みを湛えている。

 

「みんな、君と話をしたいんだよ。ゆっくりしてくるといいよ」

「出来ればさっさと済ませたいんだが」

 

 ディランは、心底嫌そうな顔をした。


 

 夜遅い時間になり、ようやくディランのもとに使いがやってきた。

 

「七聖家の間にお通しするよう、申しつかっています。こちらです」

 

 灰色の服を着た男は灯りを手に、城の一階の奥まった場所にある、七聖家の間と呼ばれる部屋へと案内した。


 部屋の扉は重厚かつ豪奢な造りで、この場所がエル・カルドにとって、特別な場所であることは明らかであった。その部屋へ入ったディランが目にしたものは、壁一面に飾られた大小様々な肖像画であった。老人のもの、少女のもの。年代も性別も様々な肖像画の数々は、見る者を圧倒した。

 

「これらは、歴代の〈アレスル選ばれし者〉の肖像画だよ。ディラン」

 

 豪奢な部屋の奥に壮年の男性が二人、円卓の椅子に座っていた。一人は、自分と同じ青い長衣を着た白髪混じりの黒髪の男。もう一人は、くすんだ黄色の長衣を身に着けた白髪の男だった。どちらもエル・カルド人らしく、髪を肩で切りそろえていた。

 

「遅くなって悪かったな。オーウェンだ。覚えているか?」

 

 立ち上がり握手を求めるオーウェンは、ディランが子供の頃に見た覚えのある父の弟だ。もう一人は、恐らく初めて会う母の兄だろう。

 

「ええ、覚えています」

 

 自分にとっては、母以外で血の繋がりがある人間と会うのは、その時が初めてだった。ただ、一度も会ったことのない父の弟だと言われても、あまり実感が湧かなかった事も、また事実だった。

 

「久しぶりだな。ディラン。大きくなって。こっちはリアムだ。第三聖家の代表で、お前の伯父だ」

 

 リアムはディランに厳しい目を向けた。

 

「リアムだ。言っておくが、ここにお前の父母のものはない。〈アレスル〉でありながら、聖剣を失うような者の肖像画はな。セクアは、なぜエル・カルドへ帰ってこなかった? 何度も帰るように手紙を書いたのに」

 

「おい、リアム。初めて会った甥に、その言い方はないだろう」

 

 オーウェンはリアムの態度を諫めたが、リアムは全く気にする様子もなかった。

 

「セクアは、ローダインから領地まで貰って居続けたんだぞ! 不審に思うのが当然だろう」

 

「母が、ローダインに居続けたのは、父を取り戻すためだったと認識していますが。アルドリック陛下が、フォローゼルと直接交渉されていましたから」

 

 実際、アルドリックがフォローゼルに身代金の交渉も、捕虜の交換も申し出たが、結局はうまくいかなかった。フォローゼルのイリス将軍は、何故かディランの父を手放そうとしなかった。その事を、この男は知っているのだろうか。


 だが、確かに父がフォローゼルで亡くなったと聞かされてからも、母は帰ろうとしなかった。その時は、特にそれがおかしいことだとも思わなかった。ディランにとっては、ローダインにいる事が当たり前だったのだ。

 

「聖剣を失ったせいで、儂らがどれほど肩身の狭い思いをしてきたか、お前にわかるか? あれは第三聖家の恥だ。お前は本当に聖剣がどこにあるのか知らないのか?」


「申し訳ありませんが、私は母が亡くなった時、帝都におりましたので、その後の聖剣の行方までは存じません。母は自分が死んでも、私には帰ってこないようにと、わざわざ手紙を寄越していました」


「お前がセクアの元にいなかったとしたら、誰がセクアを看取った?」


「フェンリス卿と妹君です」

 

「フェンリス卿といえば、ゼーラーン将軍と一緒にいた男だな。まさかと思うが、その男が盗んだのではあるまいな」

 

「リアム。いい加減にしろ! 言っていいことと悪いことがあるぞ」


 オーウェンは激昂しリアムに掴みかかろうとしたが、ディランはそれを制した。伯父の言い分はあまりにもバカバカしく、怒りすら湧いてこなかった。

 

「それは無いかと。フェンリス卿と妹君は、母がローダインへ行ってから、ずっと世話をしてくれていました。私に武芸を教えてくれたのも、フェンリス卿です。だいたい、彼が母から聖剣を盗む理由もありません」

 

 オーウェンは自身を制したディランの左手を見て、目を見開いた。

 

「うん? お前……その指輪」

 

 オーウェンは指輪をはめたディランの左手を手に取った。

 

「これは、義姉上のものじゃないか。兄上から贈られて、肌身離さず身に着けていたものだ」

「指輪は遺したのに、剣は遺さなかったのか。そもそも儂は、セクアとキリアンの結婚に反対だったんだ。〈アレスル〉同士の結婚など、禁忌だったはずだ」

 

「だが、結婚に際して義姉上が〈アレスル〉の代表権をあんたに譲ったから、あんたは第三聖家の代表でいられたんだろう?」


「なんだと! それを言うならお前だって、フォローゼルがキリアンを連れて行ってくれたお陰で、第四聖家の代表になったようなもんだろう」


「なんてことを」

 

 叔父たちの罵り合う声は、もうディランの耳に届いてはいなかった。久しぶりのエル・カルドの言葉での会話のせいか、聞くに耐えない内容のせいか、もう理解しようという気力すら無くなっていた。これ以上彼らと話をしても、如何ともしがたいだろう。


 罵り合う二人をその場に置いたまま、ディランは七聖家の間を出た。二階へ続く大階段から人気の無い玄関ホールを見下ろすと、雪は止んだのか、ホールの床には蒼い月の光が窓枠の黒い影を象っていた。かつては父母もここに居り、生活していたのかと思うと奇妙な気がした。

 

 母の口から父の話が語られることは、ほとんど無かった。今思えばそれも妙な事だった。父がどんな人だったのか、父とどんな会話を交わしたのか、父が自分の存在を知っていたのか、今となっては知る術もない。


 フォローゼルの侵攻が無ければ、ここで親子三人、暮らしていたのだろうか。剣を持つこともなく、共通語コムナ・リンガも知らず。エル・カルドで生まれ育つというのは、どんなものだったのだろうか。家族や親類に囲まれて過ごすというのは……。

 

 (考えた所で、仕方が無い)

 

 ディランが部屋へ戻ろうとすると、食堂から小さな灯りが漏れていた。居室のある方は既に寝静まっており、誰かのいびきが聞こえてくる。ディランが食堂の扉をそっと開けると、コンラッドがテーブルで書き物をしていた。

 

「まだ、仕事か?」 

「やあ、戻ったのかい。どうだった? 親戚方との対面は」

「想像通り。いや、想像以上だな」

 

 ディランは、コンラッドの隣の椅子に腰を下ろした。

 

「言葉は通じたかい?」

「意外と覚えているもんだな。だが、言葉は通じているはずなのに、お互い何も伝わっていないような気がする」

 

 ディランは背もたれに体を預け、ぼんやりとした灯りに照らされた天井を見上げた。叔父たちとのやりとりは、思い出しただけで疲れがこみ上げてきた。

 

「疲れているね。火酒だ。飲むかい?」

 

 コンラッドは筆記具を入れた革袋から、茶色い小瓶を取り出した。

 

「どうしたんだ。そんなもの」

 

 製造に手間と暇のかかる火酒は、辺境では滅多に手に入るものではなかった。

 

「じいさまが荷物に隠していたのをエディシュが見つけて、体に悪いと言って没収した」

 

 コンラッドは食堂の角に置いてあった小さなグラスに火酒を少し注ぎ、ディランに手渡した。

 

「容赦ないな。あいつは」

 

 ディランは受け取った火酒を一口飲むと、小さく息を吐いた。体にまとわりついた嫌な空気が、少し和らいだ気がした。コンラッドは自分にも火酒をつぎ、同じように一口飲んだ。

 

「まだ魔道のことは何も聞けていない。シルヴァが言うには第二聖家が魔道を管理しているらしい。叔父たちから、何か伝手をたどれればとも思ったが……あてが外れた」

 

 ディランは長衣の首元を引っ張ると、少し服をはだけさせた。

 

「シルヴァの親父さんはどうなんだい?」

「シルヴァよりは何か知っているかもしれない。明日にでも訪ねてみるか」


「悪いね。君にばかり負担をかけて。何か手伝えるといいんだけれど、言葉がね」

 

 コンラッドはテーブルに頬杖をつき、困った顔をした。

 

「別に、話をするだけだ。大したことは無い」

「そうかい? 戦場から帰ってきた時よりも、疲れた顔に見えるけど」

「それは……そうかもしれない」

 

 不意にグラスに触れたディランの口元が少し緩んだ。

 

「どうかした?」

「いや。こんなところでどうしてシルヴァみたいなのが産まれたのかと思って」


「結局は人によるんだろう」 

「他の七聖家の人間からしたら、理解不能だろうな」

「彼のような人間は必要だよ。この国にとっては」

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