第18話 巡り合い

 食事が済むとトーマは一人、クラリッツァを抱え、城の外へと出ていった。バルドが使っていたクラリッツァは、持ち運びがしやすいように、布のベルトで肩から下げられる工夫がされていた。


 トーマはバルドと共に、大陸のいろいろな場所を訪れていた。しかし、エル・カルドを訪れる事は一度もなかった。

 

『ここの人は、外の世界の人を怖がるからね』

 

 バルドはいつもそう言って、エル・カルドを素通りしたのだった。


『いつか行きたい』


 トーマはずっと心の中で願っていた。


 トーマは、クラリッツァを雪で濡らさないように、上からマントを羽織った。そして白い息を吐きながら、うっすらと雪の降り積もる石畳を歩いた。すっかり暗くなった空からは、しんしんと雪が降っている。城の背面をぐるりと七つの邸宅が並ぶ。


 はたとシルヴァの言う二番目の家が、右から二番目なのか、左から二番目なのかを聞いていなかったことに気がついた。聞きに戻ろうか、どうしようかと迷っていると、どこからともなくクラリッツァの音が聞こえてきた。

 

 (どこだろう)

 

 トーマの耳が、音の出処を突き止めるのに、時間はかからなかった。その音は、一番城に近い邸宅の二階から聞こえてきた。聞こえてくる曲は、大陸に昔から伝わる子守歌だった。


 この曲は、様々な地方で伝わっており、その伴奏や旋律も千差万別であった。どんな風に演奏しようと自由だったので、吟遊詩人にとっては腕を試される曲でもあった。

 

「眠れ、眠れ、森の中で、目覚めるのは、時の彼方……」

 

 頭の中で歌詞を思い浮かべ、息で両手を温め、トーマもまた、曲に合わせてクラリッツァを奏で始めた。師匠と一緒に弾いた記憶が甦り、懐かしい思いがこみ上げてくる。


 こちらの音色に気がついたのか、流れてくるクラリッツァの音が途絶えた。それでも、トーマは構わず弾き続けると、再びクラリッツァの音が重なり始めた。なぜかトーマには、この音の主がどのように弾きたいのか、手に取るようにわかった。まるで、昔から一緒に弾いているような、不思議な感覚だった。


 クラリッツァの音色が、夜の雪空に吸い込まれるように、自分の体もまた、空へ溶けていきそうな錯覚に陥った。永遠にこの時間が続けばいいのにと思ったが、心地良い時間は曲と共に終わった。

 トーマは、音の主がいるであろう窓を見上げた。木の軋む音とともにガラス窓が開くと、そこには灯りを手にした少年が立っていた。

 

「君は、誰?」

 

 聞こえてきたのは共通語コムナ・リンガであった。

 

「僕……いえ私は、バルドの弟子でトーマといいます。ゼーラーン卿に同行している楽士です」

 

「バルドの? そう、凄いね。ちょっと待っていて。そっちへ行くから」

 

「いえ、私が行きますから」

 

 トーマは、肩から下げたクラリッツァをくるりと背中に回すと、壁の蔦に手をかけスルスルと二階の窓へ入り込んだ。転げ落ちたトーマに、少年の手が差し伸べられた。


 その手に触れた瞬間、二人の体を不思議な力が包み込んだ。手を繋いだ二人だけが、この世界から切り離され、まるで宙を浮いているかのような感覚だった。音も無く、景色も無い不思議な空間だった。驚いて互いに顔を見合わせていると、爆ぜるような、まぶしいような、暖かい力が体を通り抜け、思わず二人とも目を強く閉じた。

 

(今のは……一体)

 

 トーマが驚いて目を開けて見ると、彼もまた同じように驚いた表情でトーマを見ていた。ふと、足下を見ると……足はちゃんと、床に着いていた。

 

「あ。僕は、ウィラード。ローダイン皇弟サディアスとエル・カルドの第一聖家アラナの子だよ」

「ウィラード皇弟子殿下? これは、失礼いたしました」

 

 トーマは慌てて手を離すと、自分で立ち上がり、深く礼をした。先刻、城ではいきなりひざまずいたので、顔をよく見ることが出来なかったのだった。そして共通語コムナ・リンガで話しかけられた理由がわかった。エル・カルドの人たちは、この様な不躾な行動はとらないのだ。トーマは目をつぶり、思わぬ失態に身を固くした。

 

「そんな、かしこまらないで。ここは僕の自室だから、他には誰もいないよ」

 

 ウィラードは優しく声を掛けた。

 

「でも……」

 

「ねぇ、そのクラリッツァを見せてくれる? これは、バルドのもの?」

「あ、はい。師匠が使っていたものです」

 

 そのクラリッツァは、美しい透かし彫の入った胴に、六コースの弦で出来ていた。多くの弦を張る奏者もいるが、バルドは簡素な造りのものを好んだようだ。

 

「いい音だね」

 

 ウィラードはトーマから渡されたクラリッツァを軽くつま弾いてみた。

 

「いえ、殿下のクラリッツァこそ、いい音でした。申し訳ありません。つい、一緒に弾いてしまって」

「いいよ。僕も楽しかった。あんなに、誰かと音の合う演奏をしたのは初めてだよ」

 

 トーマは、ウィラードが自分と同じ思いだったことにうれしくなった。

 

「私もです。殿下は、どちらで楽器を?」

「初めは宮廷の楽士に習ったよ。でも、ここへ来てからは自己流だよ」

 

 ウィラードは、トーマの手にクラリッツァを返した。

 

「それで、あんな音が出るんですか? 凄い。私なんか、ずっと師匠に教わってようやくこれです」


 ウィラードは、少しためらいながらトーマに尋ねた。


「吟遊詩人の仕事は楽しい?」

 

 仕事が楽しいかと聞かれて、トーマは少し戸惑った。楽しいからやっているのではなく、食べていくためにやっているのだから。それでも他人から見れば、吟遊詩人の仕事は、楽しそうに見えるのかもしれない。

 

「楽しいというか……なかなか難しい仕事です。この弦が……羊の腸で出来ているんですけれど、切れやすい割に高くって。たくさん弾くとすぐ切れるし、弾かないと稼げないし……」

 

「殿下。話し声がしますが、どなたかおいででしょうか?」

 

 部屋の外から男が声をかけた。二人の間に緊張が走り、トーマは慌てて口を閉じた。

 

「違うよ、クラウス。ちょっと緊張をほぐそうと思って、声を出してただけ」

「そうですか。今日は、早めにお休み下さい」

「わかった、ありがとう。もう寝るよ。お休み」

 

 ウィラードが振り返ると、既にトーマは窓の下へと降りていた。

 

「すみません。シルヴァさんの家はどっちですか?」

 

 トーマは、ウィラードに届くギリギリの大きさで、声を出した。

 

「向こうから二番目」

 

 ウィラードは窓の外を指さした。トーマは、丁寧にお辞儀をすると、シルヴァの家へ向かって走り出した。絶えず空から降る雪がトーマの姿を消していく。

 

「トーマ。また、会えるかな」

 

 ウィラードは小さくつぶやいた。

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