第21話 マイソール卿
同じ頃、シルヴァの屋敷を訪れるもう一つの人影があった。マイソール卿は、一目で青い長衣を纏った人物が誰かを理解した。そして、シルヴァが美人と称した意味もまた理解した。
「ディランか?」
マイソール卿はシルヴァの忠告を必死で守った。
「シルヴァなら、今出かけているよ」
「いえ、今日はマイソール卿、あなたにお話しが」
「魔道のことかね」
「はい」
「シルヴァから聞いているよ。入りなさい」
マイソール卿は、ディランを暖炉のある居間に通した。居間の壁には第六聖家の聖剣が飾られており、レイテット鋼独特の輝きが、その存在感を放っていた。柄には大きな孔雀色の石がはめられており、鞘には不思議な文字が書かれていた。
灰色の服を着た使用人が、二人に香辛料の入った暖かい葡萄酒を分厚いグラスに入れて運んできた。
「この香辛料はシルヴァの土産でね。昔なら、こんな遠くの国のものが手に入るなど、考えもしなかった」
グラスを持ち上げたディランの手が、はたと止まった。そして、マイソール卿が美味そうに飲むのを確認して、ようやく恐る恐る口をつけた。
「もしかして、こういうのは苦手だったか?」
「いえ。寒い時は、よく飲みます」
マイソール卿はほっとして、長椅子にもたれかかった。
マイソール卿はシルヴァの父で、第六聖家の前当主であった。第六聖家は代々、城外の町の管理を担当しており、他の聖家の人々に比べると比較的世俗の物事に通じていた。
「知っての通り、エル・カルドは封印が解けたあとしばらくして流行り病にやられてね。国民の、およそ半数が亡くなった。特に高齢者は、ほぼ全員が亡くなった。儂らは国を立て直すために、帝国からの移住を受け入れ、食べていくこと、国を運営することを最優先にしてきた。自然、魔道のことは後回しになっていて、そもそも魔道に詳しい人間は亡くなっていた。代々、第二聖家が魔道の諸々を管理してはいたが、彼らもまた長い間、魔道どころではなかった。今の第二聖家の〈
マイソール卿は一通り話をすると、温かい葡萄酒で口を湿らせた。
「もし、その魔道がフォローゼルに流れているとしたら、どうされますか?」
「……儂もシルヴァから聞いた時には、まさかと思った」
マイソール卿はもたれていた体を起こした。
「まだ、はっきりとしたことはわかりませんが、それが七聖家の意向という訳ではありませんね?」
「七聖家の会合でそんな話が出たことはない。魔道を外へ出さないというのは、皆理解している。あるとしたら個人の勝手な行動だ」
「それが誰かを調べたいのですが、協力していただけますか?」
「もちろんだ。そんな事、放っておいていいわけがない。我々は正直なところ、ローダインの施政に不満が無い訳では無い。だが、ローダインを裏切るような事をするつもりもない。協力させてくれ」
本来ならば、エル・カルド側の不祥事と隠したい事柄だろうに、この人は本気で問題を解決しようとしている。彼はローダインの力なしにエル・カルドが存続出来ない事を理解しているのだ。彼は信用出来るだろう。
「ちなみにマイソール卿から見て、怪しい人物はおられますか?」
マイソール卿はディランから視線をそらし、ためらいながら、ある人物の名前を口にした。
「……やはりドナル。第二聖家の〈アレスル〉だ。今の七聖家の人間は基本的に魔道に関心はない。皆、自分が〈
「シルヴァから城外に魔道書を保管するための建物があるように聞きましたが、場所がどこかご存知ですか?」
「恐らく、南東の荒れ地だと思う。昔『迷いの森』と言われた場所の東側だ。ここからは少し離れている。ドナルは興味があるなら、いつでも案内すると言っていたが、正直なところ、皆魔道書には関心がなくてな。おそらく誰も見に行っていない」
マイソール卿は、少し身を乗り出して声を落とした。
「ここだけの話だが、儂は何となく気になって、ドナルに黙ってその建物の辺りに人を遣ってみたんだ。だが、そこへたどり着くことはできなかった」
「どういうことですか?」
「恐らく……結界を張っている」
「結界?」
「ああ。いつの間に、そんな事が出来るようになったのか、どうやっているのかわからないんだが……。あれはもう、失われた技術だと思っていたからな」
ディランは、手にした葡萄酒を見つめながら考えた。結界を張るということは、魔道を扱える人間がいるという事だ。
長い睫毛が孔雀色の瞳を陰らせた。
「ドナル卿との接触は、可能でしょうか?」
「顔を合わせるくらいなら。何か口実を考えよう」
「ありがとうございます。あとはこちらで何とかしますので。ご迷惑をおかけしますが」
「それくらい、構わんよ」
マイソール卿が葡萄酒を一口飲み、長椅子にもたれると、グラスを持つディランの手元の指輪が目に入った。見覚えのある指輪だった。昔、セクアが結婚の際、キリアンから贈られたものだった。その時の、幸せそうな二人の姿が思い出された。
「君、結婚は?」
「いえ、まだですが」
ディランはマイソール卿の唐突な質問に、怪訝な顔をした。
「まだ……ということは、する気はあるんだね」
「できる気はしませんが」
「シルヴァと同じことを言う」
マイソール卿の言葉に、ディランは思わず口を閉ざした。
「君はまだいい。若いのだから。でも、シルヴァは……一体、何を考えているのやら」
マイソール卿は頭を抱え込んだ。
「あいつなら大丈夫でしょう。そのうち落ち着きますよ。シルヴァはバカじゃない」
「他の七聖家からは、バカだと言われているがの」
「シルヴァは本能で動いているので言葉で上手く説明出来ないんでしょうけれど、あいつは、ああやって自分に足りないものを得ようとしているように見えますけれどね」
「足りないもの?」
マイソール卿は、驚いて目の前の青年を見返した。
「自分が何かを決断する上で必要なもの……いや、国として必要なもの。失礼ですがこの国の方は、あまりにも外の世界を知らなさ過ぎる。この国の置かれた状況、世の中の流れ、世界の仕組み。でも、シルヴァは違う。それらを自分自身で知ろうとしている」
マイソール卿は言葉を失った。自分の息子をこんな風に見てくれる人間がいるとは、思ってもみなかった。
「もっとも、自分で意識してやっているとも思えませんが」
「……シルヴァは、君のような友人がいて幸せだ」
「別に、友人だと思ったことはありませんが」
ディランは素っ気無く言い放った。
「そ、そうなのか? いや、いつも迷惑をかけているようだね」
「……」
ディランは何も言わず、まだ温かい葡萄酒を口にした。マイソール卿の額には汗が滲んでいた。
玄関の方が急に騒がしくなった。シルヴァが帰ってきた。
「なんだ、ディラン来てたのか。お、うまそうなもん飲んでるな。俺もくれ」
「あ、あたしも欲しい」
「エディシュ。お前は、やめといたほうが……」
シルヴァは砦での様子を思い出し、遠慮がちに止めようとした。
「なによ。温かい葡萄酒くらいで酔ったりしないわよ」
エディシュは口をとがらせて抗議した。
シルヴァとエディシュにも、暖かい葡萄酒が振舞われた。その間にシルヴァは、マイソール卿と何やら話をし始めた。エディシュはしばらく二人の様子を見ていたが、不意にディランに話しかけた。
「ねえ、ディラン。シルヴァたちは、何の話をしてるの?」
「……ああ、すまない。ちゃんと聞いていなかったが、……孤児院の子供がどうとか。何かあったのか?」
一瞬ためらったが、すぐにエディシュは首を振った。
「ううん。なんでもない。……ねえトーマはまだ起きてこないの? あたし、起こしてきていい?」
「おう。向こうの階段を上がって左の、つきあたりの部屋だ」
エディシュは階段を上がり、シルヴァに言われた部屋の扉をそっと開けた。毛布にくるまり、気持ち良さそうに眠るトーマの姿があった。
「トーマ! いい加減に起きなさい! いつまでも寝ていたらご迷惑よ」
トーマは慌てて飛び起きた。
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