第44話 エル・カルドの歴史 二人の行方⑥

 シルヴァは途方に暮れた顔で、ウィラードの方を向いた。

 

「どうする、ウィル? ……これ、読まなくちゃ外に出られないのか?」


 ウィラードは書架のほこりを払いながら、本を取り出し開いてみた。

  

「まさか、全部読めってことじゃないと思うよ。定期的に書き写しているっていってたから、同じ内容のものが年代別に並んでるんじゃないかな」

 

「ああ、そうか。びっくりした。じゃあ、新しそうなところだけ読めばいいんだな」

 

 シルヴァとウィラードは、手分けして一番新しい年代が記された書架を探すことにした。

 

「一番最近っていっても、もう三十年以上前だね」

「読めそうか?」


 ウィラードは、色の変わった本のページを注意深くめくってみた。

 

「うん、何とか。でもこれは……全然、今の言葉じゃないよ。文字は確かに、今のものと変わらないけど」

 

 シルヴァとウィラードは、地面に座り込んで本を読み始めた。書蔵庫は、本を置く場所ではあっても、閲覧するためのものは、何一つなかった。

 

 シルヴァはしばらく本に目を走らせていたが、すぐに飽きてきたのか、熱心に読むウィラードの様子をうかがっていた。

 

「ウィル、無理すんな。こんなの、俺でもわからねえ」


 ウィラードは、本から目を上げる事もなく答えた。

 

「大丈夫だよ。僕は、文字で読む分にはエル・カルドの言葉も共通語コムナ・リンガも変わらないから。会話は共通語コムナ・リンガの方が楽だけど……。シルヴァはどっちで話す方が楽?」

 

「俺は、会話はどっちでも大して変わらないかな。もとからそんな難しい言葉も使わないし、伝わればいいやって思ってるから。まあ、俺はバカだからな。特に何も考えてないだけだ」


 文章のキリの良いところまでくると、ようやくウィラードはシルヴァの方に顔を向けた。

 

「そんなことないよ。さっきはシルヴァって結構、色んなこと考えてるんだなって思った」

 

「うん? そうか?」

 

 シルヴァは、少し嬉しそうな顔をした。

 

「魔道の話」

 

「ああ、あれか。あれは俺の周りのやつが、エル・カルド人は魔道が使えるのかとか、しょっちゅう聞いてきてたから何となく考えてただけだ。別に意味はない。考えてたとしたら、どうやったら俺が〈アレスル選ばれし者〉じゃなくなるのか、とかかな」

 

「そんな事、考えてたんだ」

 

 ウィラードは、少し表情を曇らせた。

 

「そのへん歩いてる奴、適当にひっ捕まえて剣を抜かせてみたら、意外と誰か抜くんじゃないかとか。そうしたら俺は〈アレスル〉じゃなくなるのかなってな」

 

 ウィラードはシルヴァの言葉に唖然とした。この人は、それほどまでに〈アレスル〉であることから逃れたいのだろうか。

 

 シルヴァは、しばらく本と格闘していたが、この場をウィラードに任せることにした。

 

「俺、外の結界がどんなのか見てくるわ」

 

 それだけ言うとシルヴァは、ふらりと出ていってしまった。ウィラードは、いろいろな書架から書物を引っ張り出し、一人で読み続けた。


 石板や木の板に書かれた文字は、古すぎて何の文字かすらわからなかった。粘土板も同様であった。羊皮紙や紙の本は歴史書と魔道書が主だった書物であった。


 魔道書はとっつきが悪かったので、歴史書から読み始めた。しかし、それもすぐにつまずいた。自分の知っているエル・カルドの歴史とは、全く違っていたのだ。

 

 (どういうことだろう)

 

 ウィラードは、歴史書を抱えたまま天を仰いだ。


 ウィラードと別れ外へ出たシルヴァは、ひたすら集落の外へ向かって歩いていた。山の中を歩き続けているといつの間にか、さっきまで歩いていた場所へ戻ってきていた。山歩きに慣れているシルヴァにとっては、有り得ないことであった。

 

 (こいつが、結界か)

 

 シルヴァは山のあちこちに生えている蔦を、腰に下げたナイフで切り取ると、歩きながら木の幹に括り付けていった。歩いているうちに別の場所へと飛ばされ、また歩きながら木の幹に蔦を括り付けた。


 それを繰り返しているうちに、段々と結界の形があらわになってきた。そしてシルヴァ自身、結界の持つ不思議な力の流れのようなものを、感じ始めていた。


 それは〈アレスル〉となって得たものではない。物心ついた頃から、何となく感じていたものだった。言葉ではうまく説明出来なかったので、誰にも言うことはなかったが。

 

 夜、小屋に戻ったシルヴァとウィラードは暖炉の前で、老人たちにもらったリンゴ草のお茶を飲みながら、それぞれの成果を話し合った。

 

「外の結界には、お手上げだな。同じ場所をぐるぐる歩かされたり、急に違う場所へ飛ばされたり。ここへも帰ってこれないんじゃないかと思ったぜ。まあ、明日は別の場所に挑戦してみるけど。ウィルの方は何かわかったか?」

 

 シルヴァは小屋に残されていた蜂蜜の壺に、木の匙を突っ込んだ。

 

「魔道書の方は何が書いてあるのか、まだ全然分からなくて……。ねぇ、シルヴァ。エル・カルドの歴史の始まりって覚えてる?」

 

 ウィラードはリンゴ草のお茶に蜂蜜を入れてもらうと、木の匙でくるくるとかき混ぜた。青りんごのような香りと蜂蜜の甘い香りが、湯気とともにふわりと鼻をくすぐった。

 

「ああ、確か『その地に七振りの剣あり』だったかな」

 

「うん。『その地に七振りの剣あり。剣に選ばれし者たち、その地を治めたり。乱れし世を捨て、ここに結界を置く』でも、もうそこから違った。『その地に一人の巫覡ふげきあり。その者、良き七人に剣と御技みわざをたまふ』」

 

「……え? 『巫覡ふげき』? 『たまふ』? 何だそれ。勘弁してくれ。かいつまんで頼む」

 

 シルヴァは聞き慣れない言葉に辟易とした。

 

「えっとね。昔、今のエル・カルドの地に、一人の巫子(みこ:男女不明)がいた。その人は七人に剣と魔道を与えて世界を治めるようにと言われた。けれど、世の中は魔道に満ちて乱れた。怒った巫子は七人から剣と魔道を取り上げようとしたけれど、逆に退けられ、その地を追われた。巫子は最後の力を振り絞って七人に呪いをかけた。『わたしが再びこの地に現れた時、お前たちは滅ぶのだ』といって」

 

「……何か、歴史というよりは、神話だな」

 

「『巫子の言葉を恐れて、七人はエル・カルドに結界を張り、エル・カルドは世界から忘れ去られるだろう』だいたい、こんな内容だったよ」

 

「いやあ、凄いなウィル。あの時間でそこまで読んだのか」

 

 シルヴァは、目を丸くしてウィラードを見た。

 

「でも、ここから出るのなら、歴史書じゃなくて魔道書を読まなきゃだめだよね」

 

「今更、慌てても仕方がねぇ。出来ることからやってみようぜ。いや、しかし凄まじい内容だな。その七人が、七聖家の始まりなんだろうな」


「たぶんね。でも、本当かどうかなんて、今となっては誰にもわからないよ」


「昔の人たちは、本当だと思ってここに歴史書として隠したんじゃないか? でも何で、こんな風に歴史を変える必要があったんだろう」

 

 ウィラードはリンゴ草のお茶を飲みかけて、ふと手を止めた。

 

「僕が小さい頃、アルドリック陛下が話された事だけど、国っていうものは、必ず治める側と治められる側に別れるんだって。そしてその間には、大きな差が出来る。だから、治める側は自分たちに正当性を持たせるために、いろんな理由を考えるんだって。ある国では神様の子孫だと言ったり、ある国では年長者がなるものだと言ったり、武力で押さえ込む国もある。当時の七聖家の人たちにとって、巫子と争ったような歴史では都合が悪かったんじゃないかな」

 

 ウィラードは一通り話すと、リンゴ草のお茶を一口飲んだ。蜂蜜の甘さが喉を潤した。

 

「本当の歴史と、統治のための歴史は違うってことか」

 

 いつの時代も人間のする事というのは変わらないようだ。昔から七聖家の体制を維持するために、このような誤魔化しを行ってきたのかと思うと、シルヴァはうんざりした。

 

「シルヴァ。魔道書は第二聖家の管理だって聞いたけど、歴史書は誰が書いているの?」

 

「歴史書か? 歴史書というか、日々起きた事を文書にしているのは第七聖家だな。会議の議事録もあそこが書いている」

 

「第七聖家の人って、どんな人?」

 

「正直よく知らないんだよ。俺も、大人になってからあんまりエル・カルドにいなかったからな。隣の屋敷なのに普段どんな生活をしているのか、全くわからない。存在感が無いというか、なんというか。確か、髪の毛の薄い、気の弱そうなおっさんだったと思うんだが、その髪の色すら思い出せない」


「僕が初めてエル・カルドへ来た時に、紹介されているはずなんだけど、はっきり憶えてなくて。その後も、話をした記憶がないんだ。〈聖剣の儀〉に出てくれているはずなんだけど、みんなローブを被ってたし……。名前は知ってる?」


「…………シモン……かなんかだったと思うけど、忘れた。はっきり思い出せないな」


 シルヴァは頭を掻きながら、一生懸命思い出そうとしたが駄目だった。


「エル・カルドって何で結界が解けたんだろう。今の歴史書には、何て書いてあるのかなと思って」


「親父に聞いた話では、結界が解けた前後に第七聖家の〈アレスル〉が、剣を持ったままいなくなっている。それが、何か関係してるんじゃないかとみんな言ってるんだが、わからないままだとさ」


「その人のことを、捜さないの?」


「結界が解けた直後は、それどころじゃなかったし、今となっては探しようもないだろう。大人が一人、本気になって隠れたら、なかなか見つからないもんだぜ」


「そうなの?」

 

  シルヴァは静かにうなずいた。

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