第45話 地下室 城外の館⑤

 その日、ドナルは上機嫌で帰ってきた。エル・カルドによるウィラードとシルヴァの捜索は、全く進展を見せず、原因の調査もまた、行き詰りの様相を呈していた。今のところ、全てがドナルの思惑通りだった。


 ドナルは館へ入ると真っ先に、ディランの部屋を訪れた。そして、与えられた長衣を身に着け、逆らう様子の無いディランを見て、さらに気を良くした。まるで、鷹を飼い慣らしたかのような優越感に浸っていた。

 

「大人しくしていた見返りに、今日は地下室へ連れて行ってやろう」

 

 ドナルはディランを連れて、地下室への扉を開いた。薄暗い地下へ続く階段を降りると、部屋の中は、所狭しと書物が積み上げられている。


 部屋の中央には、台座に据えられた孔雀石があった。孔雀石には、不思議な文字が描かれ、穏やかな光を放っていた。ディランは、その文字に何となく見覚えがあった。


 〈結界の魔道符〉浮かび上がる文字は、フォローゼル兵が持っていたものと、似ているように思えた。

 

「近づくな!」

 

 老人の、しわがれた声が聞こえた。

 

「近づくと、弾き飛ばされるぞ」

 

 見ると部屋の奥に老人が一人、古ぼけた木の椅子に座っていた。山積みになった書き物の束を背にし、魔道符越しに、こちらを見つめていた。

 

「あまり脅かすな。直接触れなければ大丈夫だ」

 

 ドナルは魔道符を避けて回り込み、老人に近づいた。

 

「古歌を見せてくれないか」

「古歌? そんなものにご興味がおありで?」

「彼がね」

 

 ディランも特に古歌に興味がある訳ではなかったが、それで地下室に入ることができるのなら、そういうことにしておこうと思った。老人は、書き物の束から、数枚の地塗りをした麻布を取り出しすと、ディランに手渡した。

 

「この書は、どこで手に入れたんだ?」


 ディランはしばらく麻布を眺めていたが、すぐに老人に返した。

 

「……それは、お前さんの知らぬ場所じゃ」


「〈聖剣の儀〉で唱える詠唱も古歌の一つだと聞いたが、そうなのか?」

 

 ディランの反応に気を良くした老人は、ドナルも意外に思うほど饒舌になった。

 

「ほう、その通りじゃ。ただ長い間、口伝えだったので随分変わってしまったようでな。元の音がわからない。古歌は、エル・カルドが結界に閉じこもる前からあるものらしくてな。外の世界でも同じ古歌と思えるものがいくつか残っている。吟遊詩人がいろいろ知っていたな。だが、外の世界でもやはり口伝えだったので、別の歌のようになっていた。結局、なにが正しいのか、未だにわからん」

 

 この老人は、古歌の研究に人生を捧げてきたのかもしれない。老いてもなお、その情熱は変わらないようだ。ただ、その思いを共有できる人間には恵まれなかったのか、老人は、初対面のディランとのやりとりに興奮していた。

 

「〈聖剣の儀〉では、何かわからない詠唱をずっと唱え続けているというわけか。ご苦労なことだな」

 

 ディランは、意味のわからない詠唱を必死で覚えていたシルヴァが、ちょっと気の毒になった。それと同時に、老人の話を聞いて疑問に思った。


 トーマの歌った古歌を、シルヴァはそれだと言った。トーマがバルドから教わった古歌というのは、エル・カルドで伝わった古歌だということだろうか。吟遊詩人ならば、外の世界の古歌を教えるのが普通ではないのかと。

 

 そして老人は、驚くべきことを口にした。

 

「古歌は、古代の巫子が神々との対話のために歌ったものだともいわれている。もし、その説が本当ならば、元の音がわかれば、魔道を超える術が手に入るかもしれん」


「ほう。それは、初めて聞く話だな」

 

 ドナルは興味深そうに、老人の言葉を聞いた。

 

「そんな物を手に入れて、どうするつもりだ」

 

 ディランは老人に書を返した。

 

「別に、どうもせんよ。単なる、老人の探究心じゃ」

 

 老人が、麻布を書き物の束の上に無造作に置くと、コロリと何かが床に転がった。ディランが拾い上げてみると、それは見覚えのある小さな孔雀色の石だった。ドナルが近づいて、その石をのぞき込んだ。

 

「君は、これが何か知っているようだね」

 

 ディランは何も答えなかった。ドナルは、いくつもの指輪をつけた手で、ディランの顎を持ち上げた。

 

「君は、すぐ顔に出る。こんな間諜まがいのことは向いていないよ。誰に頼まれてここへ来た? マイソール卿か? あいつは、前から私のことを気にしていた。君は、シルヴァとは友人だったね」

 

 ディランはドナルの手を振り払うと、壁際まで退き、にらみつけた。

 

「別に、友人でも何でもない。ただの知り合いだ。この石は、フォローゼルの兵士が同じようなものを持っていた」


「フォローゼルの……ああ、そうだった。君は、フォローゼルと戦っていたんだね。あの魔道符は、君にはあまり影響が無かったみたいだね。やはり、普通の人間が使っても、大した効果はないようだ」


「やはり、あれはお前か。何が目的だ。フォローゼルと手を組むつもりか」


「つもりじゃない。組んでるんだよ」

 

 ドナルのあまりに軽い言い種に、ディランは言葉を失った。この男はフォローゼルが、今まで何をしてきたか、理解しているのだろうか。


「君は、父君がフォローゼルに連れて行かれたと言いたいのだろうが、私から見れば君の母君もローダインへ連れて行かれたようなものだよ。どちらも大差ない。君自身、ローダインで生まれ育ったから、わからないのかもしれないがね」


「……何のために、フォローゼルと」

「エル・カルドをローダインから解放するためさ」

「解放? 馬鹿なことを」

 

 ドナルは、ディランの首に手をかけ、壁に押し付けた。丸太のように逞しい腕は、例え戦った経験はなくとも充分力強いものであった。

 

「馬鹿なことだと? このローダインの犬め!」

 

 ドナルは首にかけた手を、さらに上へと持ち上げた。ディランは両手でドナルの手を押さえ、かろうじて首が締まるのを免れた。

 

「ローダインが、今まで何をしてくれた。無理やり国を開かせ、自分たちのやり方を押し付け、おまけに今度は、七聖家に自分たちの血を入れろだと? どこまで、エル・カルドを貶めれば気が済むんだ。お前もそうだ。ローダイン人と一緒になって戦うなど。エル・カルド人としての誇りはないのか!」

 

 ドナルが、首にかけていた手を振り下ろすと、ディランの体は、床に叩きつけられた。ディランはそのまま、石の床に肘をつき、ドナルを見上げた。

 

「ローダインからフォローゼルに鞍替えした所で、同じことだ」


「同じではない。だれが、フォローゼルの属国になると言った。エル・カルドは独立するのだ。どの国の干渉も受けない国になる」


「戦う兵すらろくに居ない国が独立だと? どうやって国を守る」


「我々には、魔道がある。そして、再び結界を張ることもできる」


「……また、結界の中に閉じこもるつもりか」

 

 ドナルは床にひざまずくと、両手でディランの頬を包みこんだ。

 

「エル・カルド、本来の姿に戻るだけだよ。そのためには、聖剣を全て取り戻さなければならない。いずれ、君の存在が必要になる。ここから逃げ出そうとは思わんことだ」

 

 ドナルは手を離して立ち上がると、長衣の裾を翻し、階段を上がっていった。そのままディランは仰向けに横たわると、地下室の天井を見上げた。天井の端に、わずかに光が漏れ込む場所があった。そして、床に転がった魔道符を見て、老人に尋ねた。

 

「じいさん。この魔道符を作ったのは、あんたか?」

「ああ」

 

 老人は驚くほど簡単に認めた。この老人も、ディランが結界から出る事は出来ないと、確信しているようであった。

 

「……お前さん、いつまで寝転がっとる気だ。わざとらしい」

 

 老人の言葉に、ディランは何事も無かったかのように起き上がると、横目で老人の足元に、多くの魔道符らしき物が入った木箱と金属の輪が置いてあるのを確認した。

 

「あんたは、魔道を誰に教わった?」


「儂に、魔道など使えんよ。儂に出来るのは、ちょっとした魔道符を作ることだけじゃ。今の七聖家の連中は、本当に何も知らんのだな」


「あんたは、昔の七聖家を知っているようだな。誰かに雇われていたか?」

 

 ディランの言葉に老人はさっと顔色を変え、声を荒げた。

 

「さっさと、出ていけ!」 

 

 ディランが地下室を出ると、フィオンが不安げな面持ちで待っていた。

 

「ディラン様。大丈夫ですか? 何があったんですか?」

「ああ、大丈夫だ。大した事はない。どうかしたか?」

 

 ディランは首をさすってみた。

 

「いえ、ドナル様の様子がおかしかったので、何かあったのかと……」


「ちょっと、怒らせただけだ。心配するようなことじゃない」

 

 階段の上から突然、ルーイがフィオンを呼んだ。ルーイは慌てて、ドナルがフィオンを呼んでいると言った。ルーイが、うっすらと涙を浮かべるのを見て、フィオンはドナルの元へと急いだ。

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