第47話 隠れる者達 城外の館⑦

 数日続いた吹雪が止み、一面が白い絨毯を敷いたかのように、雪は降り積もっていた。ディランが窓から外を見ると、建物の周りは、すでに雪が退けられていた。

 

「これは、誰が退けたんだ?」

「朝早くに、衛兵の方がされましたよ」


 フィオンは寝台を整えながら答えた。

 

「衛兵? 兵士がいたのか」


「ドナル様が、兵士の姿を見るのを嫌がられますので、普段は馬屋の隣の小屋で待機しています。彼らの部屋の入り口も、館の裏側にあります」


 ディラン自身はここへ来てから、ドナルの馬車を守る以外の兵士の姿を、一度も見たことがなかった。いくら結界があるとはいえ、妙だとは思っていたが、まさか姿を隠させているとは思わなかった。


 そういえば、調理場で働く者や、洗い場で働く者の姿も見たことはなかった。下働きの者が、いないはずはないのだが。ドナルは、ディランと館の者たちとの接触を拒んでいるように思われた。


  

 昼下がり、フィオンは、ディランに勉強用の文字を書いてもらうため、部屋を訪れていた。三人とも進みが早く、最近は簡単な文章を覚えようとしていた。いつもなら、出来るまで喜んで待っているフィオンだったが、今日は暗い顔をしていた。

 

「どうしたんだ? 今日は、元気がないな。まだ、傷が痛むのか?」


「いえ。傷は、もう大丈夫です。あの……申し訳ありませんが……その……これからは、ルーイとキアランに、直接、教えてやってもらえないでしょうか?」

 

 ディランは書く手を止めて、フィオンの顔を見た。

 

「お前は、もうやめるのか?」


「いえ、違います。でも、あの二人の方が……覚えるのが早くて……その……」

 

 吹雪の間、三人まとめて教えていたが、ルーイとキアランの方が先に覚えてしまったようだ。フィオンは、うつむき、両手をギュッと握りしめた。

 

「小さい子の方が、覚えるのは早いものだ。気にすることはないだろう」

「でも……」

「その件は保留だ。……ちょっと、衛兵のところへ行ってくる」


「お待ち下さい。何を……」

 

 ディランは外へ出ると、兵士が待機している小屋へと向かい、フィオンが慌てて後を追った。ディランが小屋の扉を開けると、兵士たちは何事かと、椅子から立ち上がり集まってきた。

 

「稽古用の木剣を貸してくれないか」

「木剣ですか?」

「ないのか?」

「ありますが……七聖家の方が、剣ですか?」

 

 衛兵たちは、ディランを見て不審そうな顔をした。兵士たちは、日頃、剣は野蛮と言われ、七聖家の人間から疎まれる事に慣れていた。その七聖家の人間が、稽古用とはいえ、剣を求めるとは不思議でならなかった。


 どうやら兵士たちは、館の客人が誰なのか、聞かされていないようだった。ディランは構わず小屋へ入ると、壁に架けられた木剣を手に取り、外へ出た。

 

「お待ち下さい。勝手に持ち出されては……」

「なら、勝負をしよう。私が勝ったらこれは借りていく」


「そんな格好で、戦われるおつもりですか? お客様に怪我でもさせたら、私どもが罰せられます。お帰りを」

 

 兵士たちは、長衣にサンダルを履いたディランを見て、呆れ返った。この格好で、どうやって戦うつもりなのか。それに何よりも、ディランの息を飲むような美貌は、どうも剣とは結びつかなかった。

 

「お前たち相手に、これくらいの足枷は必要だろう」

 

 ディランは、手にした木剣の切っ先を兵士に向けると、冷ややかな笑みを見せた。

 

「侮辱されるか!」

 

 兵士は木剣を手に、ディランに斬りかかった。兵士は、少し脅してみるだけのつもりだった。しかし、木剣は一瞬で天高く舞い上がった。呆気にとられる兵士を尻目に、落ちてくる木剣を手元で受け止めると、二振りの木剣を手にディランは帰ろうとした。

 

「お待ちを! もうひと勝負!」

 

 慌てた兵士は返答も聞かずに、木剣をもう一振り取り出し、斬りかかってきた。兵士も、今度は本気だった。ディランは、木剣を左右の手に一振りずつ持ち替えると、兵士の攻撃を受け流した。兵士は何度も剣を振り下ろしたが、どの斬撃も水でも斬ったかの手応えで、獲物をまともに捉えることはなかった。

 

 どれほど技を尽くしても、力で押しても、兵士の剣が届くことはなかった。じわりじわりと攻め手を封じられていく兵士の背筋に、冷たいものが走った。その瞬間、相手との圧倒的な力の差を悟ったのだった。不意に、兵士の体は恐怖でこわばり、動きが鈍った。たちまち、みぞおちに剣を突き込まれ、兵士は崩れ落ちた。残った兵士たちも斬りかかってきたが、相手にすらならなかった。彼らもまた、強かに打ち据えられ、その場で膝を折った。


 フィオンは、両手を握り締め、その様子に見入っていた。この間まで戦場に出ていた人間と、実戦に乏しい人間とでは、全く勝負にならなかったのだ。

 

「帰るぞ」

 

 あっという間の出来事だった。フィオンは、慌ててディランの後を追った。優雅な長衣を身にまとってはいても、この人は武人なのだ。


 フィオンは、人が戦っている場面を生まれて初めて目にした。それは、こんなにも気分が高揚するものなのかと驚いた。心臓が飛び出そうな高鳴りを感じながら、目の前の人を追った。


 ディランの後について館へ入ると、フィオンはいきなり廊下で木剣を手渡された。

 

「え? 私ですか?」


「他に誰がいる。相手をしろ。ここにいたら、体が鈍ってしょうがない」


「え! 無理です。持ち方もわかりません」

 

 いきなりの申し出に、フィオンは混乱した。曲がりなりにも、訓練を積んだ兵士たちでさえ全く歯が立たなかったのに、何故自分が……。しかし、フィオンの言い分が聞き入れられることはなかった。

 

「小指、薬指、中指で、しっかり持て。人差し指と親指は添える程度だ。構える時は、剣を体の真ん中に。自分の楽な形でいい」

 

 フィオンの持つ木剣に手を添えて握らせると、ディランは後ろへ回り、フィオンの腹に手を当てた。

 

「動く時は、体の中心を常に意識しろ。前屈みになるな。それから、足を踏み込みながら剣を振り下ろす」

 

 ディランは、フィオンの足を後ろから蹴り出すと同時に木剣を上から掴み、振り下ろした。何度か繰り返しているうちに、なんとなく形になってきた。今度は、ディランが前に回り、自分の構えた木剣をめがけて打ち込むように指示をした。


 初めは、手と足がバラバラだったが、フィオンは言われるがままに、夢中で打ち込んだ。そのうち段々と、それなりに手足が一連の動きとなっていった。額から汗が噴き出し、息があがり、姿勢を注意された。それでも、何度も夢中で打ち込んでいると突如、手に痛みが走った。痛む手のひらを見ると、ズルリと皮が剥け、血が滲んでいた。

 

「今日は、これで終わりだ」

 

 ディランは構えていた木剣を下げると、自室へ戻ろうとした。

 

「まだ……まだ、出来ます」

 

 フィオンはディランの腕に縋り、引き止めた。

 

「無理をするな。治りが悪くなる。一度にたくさん練習したからといって、上手くなるわけじゃない。それより、気分はどうだ?」


「気分?」

 

 改めて聞かれフィオンは、先程までの重苦しさが、消えていることに気が付いた。夢中で体を動かしたせいだろうか、汗をかいたせいだろうか、心も身体も軽くなったような気がしていた。

 

「まだ、私がルーイとキアランに教えた方がいいと思っているか?」

 

 フィオンは、さっきまでの自分の言葉とはうらはらに、今ではそれは嫌だと強烈に思い、首を振った。

 

「……いいえ。私が……私が、二人に教えます」

 

 ディランはうなずくと、背中を向けて歩き出した。

 

「喉が乾いた。部屋に水を持ってきてくれ」

「……はい」

 

 洗い場に向かったフィオンの目から、不意に涙が、ぽろぽろとこぼれた。嬉しいのか、哀しいのか、自分でもわからなかった。

 

 

 次の日の朝、衛兵の隊長という者が、ディランの部屋を訪れていた。

 

「お願いします。稽古をつけてください」

「私がか?」

 

 ディランは面倒くさそうに、眉を寄せた。

 

「昨日は、ボドラーク砦の騎兵団長殿とは知らずに、失礼をいたしました」


「そんな事はどうでもいい」


「自分たちの力の無さを痛感しました。稽古をつけてください。私たちは、もっと強くなりたいんです。お願いします」

 

 どうやら、衛兵たちは本気のようだった。自分よりも年若いディランに、必死で頼み込んだ。例え、野蛮と揶揄されても、この世界で剣が必要であることは、兵士たちが誰よりも理解していた。


 ローダインに国を守ってもらわなければ、エル・カルドという国が成り立たない事も、今のままでは自分たちが戦力にならない事も理解していた。比較的、若い兵士たちにとっては、それが何よりもどかしい事であった。

 

「いいだろう。ただし、条件がある。ドナルのいる時は、今まで通りに過ごせ。それから稽古はフィオン、お前も一緒だ」

 

 その日から、ドナルのいない館の光景は一変した。今まで、息を潜めるように過ごしてきた衛兵たちは、声をあげ、稽古を始めた。その中には、フィオンの姿もあった。やがて、ルーイやキアランが、見様見真似で交じるようになっていった。

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