第一章

第4話 帰郷

 冬の海は荒れやすい。だがここ数日、晴天にも風にも恵まれ、船は順調に航路を進んでいた。遠く大陸南部の商業自治州から北の大国ベラノーシュへと向かうその商船は、まもなく北の終着地へとたどり着こうとしていた。


「おいシルヴァ。起きろよ。もうすぐ港に着くぞ」

 

 熟練の船乗りが、ここで降りる予定の仲間を起こす。

 

「うーん。夕べ飲み過ぎた」

 

 潮の匂いと人夫たちの雑多な匂いが籠もる船底の暗がりで、ごわごわする掛け布にくるまり、ゆっくりと起き上がるシルヴァの体は、長年力仕事で鍛えられ頑健そのものだった。銀色の髪を他の船乗りたちと同じように背中で束ね、半年分の無精ひげを生やしている。そしてその瞳の色は、エル・カルド人を表す孔雀色をしていた。


「おい、しっかりしろよ。お前さんエル・カルドに帰るんだろ?」

「ああ、やだなあ。帰ったらまた親父にどやされるんだろうな」

 

 シルヴァは座ったまま両手を上げ、伸びをした。

 

「そりゃ、三十にもなってフラフラしてたら、親も心配するだろう」

「フラフラって……ちゃんと自分の食い扶持は自分で稼いでるぜ」

「お前さん、いいとこのお坊ちゃんなんだから、こんな仕事しなくてもいいだろうに」

 

 同じ年頃の船乗りがもう一人、話に入ってきた。

 

「お。シルヴァは、いいとこのお坊ちゃんなのか?」

「エル・カルドの七聖家の一つだったよな」

「凄えじゃないか。国の主導者だ」

「そんな大層なもんじゃないよ。エル・カルドなんてローダインの属国だぜ。吹けば飛ぶような小さな国だ。おまけに俺は、聖剣の〈アレスル選ばれし者〉ときた。嫌でも一生、国に縛られるんだ。親父が元気なうちくらい好きにさせてくれ」

 

 船乗りたちは、見知らぬ国の話に興味津々だった。二十五年前に発見されたエル・カルドという国の人間は、大陸の国々ではまだ珍しく、船乗りたちは何度も同じ話を聞きたがった。


「聖剣って持つと、何かいいことあんのか?」

「何もねえよ。だから家に置きっぱなしだ。無くすとみんな、うるせえからな」

「何か魔法が使えるようになるとかないのか?」

「ねえよ。昔はエル・カルドも魔道を使ってたとか言われてたけど、その頃のことを知ってる人たちは、みんな流行り病で死んじまった」

「なんだ。本当に何も無いんだな」

 

 船乗りたちは、あからさまにがっかりとした。この話のやりとりは、シルヴァにとって何度となく、繰り返されたものであった。


「うん。なのにいまだに〈聖剣の儀〉とかいって剣を抜く儀式が続いてるんだぜ。だいたい昔は七本あった聖剣も、今じゃ四本しかエル・カルドにないんだ。他は、どっか行っちまったよ」

「そのうちの一本が今度あれだろ? 聖剣を抜けるかどうか試すんだろ?」

「〈聖剣の儀〉な。そのためにエル・カルドへ戻るんだ」

「ああ、ローダインの連中が何か騒いでたな」

「何でローダインの連中が、エル・カルドの儀式のことで騒ぐんだよ」

「だって、今度のその〈聖剣の儀〉とやらをローダインの皇弟子殿下がするって」

 

「何で?」

 

 船乗りたちは、不思議そうな顔でシルヴァを見た。


「皇弟子殿下の母親が、エル・カルドの七聖家の出なんだよ。十歳の時からローダインの宮廷を離れて、エル・カルドで過ごしてる。今年、十五になるから〈聖剣の儀〉を受けるんだよ。俺も十五の年に〈聖剣の儀〉を受けた」

 

 シルヴァは、そう言いながら大きな息を吐いた。

 この大陸では十五歳で成人とされる。といっても十八歳くらいまでは、曖昧な扱いを受けるものであった。


「おおーい。港に着くぞ」

 

 外から水夫の声が聞こえる。

 

「偉い家は何かと大変だな」

「本当に、お前らが羨ましいよ」

 

 それが嫌味ではなく彼の本心であることは、この場にいる皆がわかっていた。


 下船の準備が整い、シルヴァは揺れる渡し板に足を乗せ、振り返った。エンジ色の着古した旅衣とマントが、冬の潮風に煽られる。

 

「また、船に乗りたくなったらいつでもこいよ。お前みたいな働き手は歓迎だ。フェルディナンド商会は、いつでも待ってるぜ」

「ああ、世話になったな。商会主にもよろしくな」

「ここからは歩きか? 馬か?」

「間に合うのか? シルヴァ」

 

 船乗りたちは名残惜しそうに見送った。

 

「ああ、思ったより早く着いた。余裕だ。ありがとうよ」

 

 シルヴァは大きく手を上げると、使い古した革袋を背に歩き出した。


 

 北の大国ベラノーシュから南へくだり、東へ向けていくつかの小国を抜けると、いよいよエル・カルドが近づいてきた。かつては『迷いの森』の中に秘められていたエル・カルドの国も、街道の整備とともに森は切り開かれ、周囲は畑となり、今では平原の中にポツリと存在していた。三年ぶりに故郷の風景が見えると、シルヴァは乗せてもらった馬車の荷台に立ちあがった。


 馬車の持ち主に礼をすると、歩いてエル・カルドの町に入った。町の中央に高い城壁で囲まれた城が見えてくる。静かなエル・カルドの町を抜け、城門の前まで来ると、シルヴァは城壁の上に立つ門番へ向かって大声をあげた。

 

「七聖家が一つ、第六聖家のシルヴァンドールだ。今、帰国した。開門!」

 

 しばらくシルヴァは待ったが、一向に門の開く気配がない。

 

「おーい。早く門を開けてくれ!」

「ちょっとお待ちください。今、確認しておりますので」

 

 門番は申し訳なさそうに応えた。

 

「確認って何だよ。知らせは先に寄越してるだろう」

「はい。ですから、少しお待ちを」


 

 しばらく押し問答をしていると、不意に堀にかかる跳ね橋が降ろされ、城に繋がる門が開かれた。やれやれと、ため息をつきながら橋を渡ると、その先に老年ではあるが肩幅の広い、がっしりとした体格の男が杖を手にして待ち構えていた。男はエンジ色の長衣と丈の長い白いチュニックを身に着けていた。

 

「げっ、親父!」

 

 男は、ぎろりとシルヴァをにらみつけた。

 

「何が親父じゃ。シルヴァ、このバカ息子が! そんな汚い格好しとるから、門番が儂のところまで確認にきたぞ。『あれが、本当に七聖家の方ですか』とな」

 

 シルヴァの父、第六聖家の前当主マイソール卿は、顔を真っ赤にして擦り切れたシルヴァのマントを杖でつついた。

 

「三年ぶりだと門番も、俺の顔は覚えてないか」

「そういう問題ではない。さっさと家で風呂に入れ」


 

 二人は城を迂回し、七聖家の邸宅がぐるりと並ぶ、城の裏側に向かって歩いた。七聖家の邸宅は左から第一聖家、第二聖家と並び、シルヴァの第六聖家は、城から二番目に近い場所にあった。二人が屋敷に入ると、古くからいる使用人たちが、風呂の用意をして待ち構えていた。

 

 昔、開国したばかりの頃、エル・カルドでは流行り病が蔓延したのだった。死者は国民の実に半数に上り、エル・カルドに大きな打撃を与えたのだった。それ以来、外からの訪問者には、入浴が義務付けられていた。それは住人であっても例外ではない。灰色の衣服を身に着けた使用人たちは、久しぶりに帰ってきた住人を、まるで大型犬でも洗うかのように湯船に漬けて泡立てた。

 

「自分で洗うから。やめろって。おい」

 

 普段、家にいない人間の言う事など聞く必要はないといわんばかりに、淡々と作業は進められた。銀色の髪は輝きを取り戻し、エル・カルド人らしく肩の長さで切り揃えられた。さらに、童顔を隠すための髭は剃られ、第六聖家を表すエンジ色の長衣と長いチュニック、そしてサンダルが用意される。身なりをすっかり改めさせられ、ツルツルになった顔を撫でながら、シルヴァはせっかく伸ばしていたのにとぼやいた。


 居間の長椅子に、湯あたり寸前の体を丸めて座り、低いテーブル上の水差しから水を自分で注ぐと一気に飲み干した。空になったグラスを盆に返すと、後頭部に衝撃が走った。

 

「痛て! なにすんだバカ親父!」

 

 三年ぶりにマイソール卿のげんこつを喰らったシルヴァは、後頭部をさすりながら、正面の長椅子に座ろうとする父親を睨みつけた。いい加減、げんこつを会話代わりにするのは止めて欲しいと思ったが、父一人子一人の家などそんなものかと諦めてもいた。


 しばらくの間、父子二人は向かい合い座ったまま、じっと黙っていた。なんともいえない沈黙が場を支配する。シルヴァは思い出したように、汚れた革袋から掌ほどの大きさの包を取り出すと、黙ってマイソール卿に差し出した。包から漂う香りは南方の香辛料のようだった。土産のつもりだろう。不意にマイソール卿が口を開いた。

 

「〈聖剣の儀〉は、次の満月の夜と決まったぞ」

「そうか。まだ日は、あるな。もっとゆっくりしてきてもよかったな」

 

 シルヴァの呑気な物言いに、マイソール卿は三年分の怒りが爆発した。

 

「この、バカ息子が! 三年も、どこをほっつき歩いとった!」

「お、聞いてくれるか? 親父。この半年は、船に乗ってた。商業自治州の船だ。沿岸船だけどな。親父は、エル・カルドから出たことがないから、海も船も見たことないだろう。おっきいぞ! あの海は、他の大陸にもつながってるんだからな。行ってみたいよな。その前は、山の上に、荷物を運ぶ仕事をしてた。いや、人間ってのは、いろんな場所に住んでるもんだよな」

 

 嬉々として話すシルヴァに、マイソール卿は怒りを通り越して、情けなささえおぼえてきた。


「何が海だ。何が山だ。お前は、この第六聖家の聖剣の〈アレスル選ばれし者〉だぞ! 家の代表であるにも関わらず、何もかもほったらかしで……」

「だから……帰ってきたじゃないか。ウィラード皇弟子殿下の〈聖剣の儀〉にさ」

 

 シルヴァは、子供のように口を尖らせ、横を向いた。

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