第40話 止まることは許されない



「パ、パトリシアちゃん! 待っ――」



 シオンの静止の言葉が届く前に、パトリシアは凄まじい速度で森の中へと駆けていった。



「ど、どうしましょう……」



 シオンの口からは困惑の言葉が溢れる。クロエの護衛として傍に配置していた使い魔との交信が断絶した。使い魔の視界越し見た最後の光景は、鎧姿の集団に抵抗すらできずに消滅していく使い魔自身の姿であった。



 クロエの護衛に付けていた使い魔は、決して弱い存在ではない。一体の強さが『前借り』の権能を使用していないパトリシアとほぼ互角程度。

 それだけを聞くとあまり強くない印象を受けるが、狼型の使い魔一体で並みの冒険者を複数相手取ることが可能である。



 そしてこの狼型の使い魔の真の恐ろしさは別にある。それは集団戦にて発揮される。狼の姿を模しているだけあり、同型の使い魔と連携することにより獲物を弱らせてからの狩りを得意としている。



 この使い魔との戦闘に挑もうと思うのであれば、相当な手練れが倍以上の数を揃える必要があるくらいだ。

 現にここ数日は騎士団がシオンの討伐に赴く前に、グラス男爵家の依頼を受けた冒険者達が森に侵入しているのだが、その全員がこの使い魔達の監視網を越えることができず、生還することすら叶わなかった。



 しかし今回の侵入者達はその警戒網を潜り抜けて、一直線にクロエの近くまで接近してきていた。時期を考えても、先日のグラスタウンの一件が尾を引いているせいだろう。



 正確な侵入者の数を把握することはできていないが、彼らのすぐ傍にいるクロエや駆け出してしまったパトリシアの安全を確保する為に、森中に散開している使い魔達を操作して向かわせる。



「ぐっ……!」



 使い魔達に脳内で指示を出す傍ら、シオン自身もクロエがいた場所に向かおうとした時。体の内側から魔力が暴走しそうになり、思わず地面に座り込む。



 普段のシオンからは想像できない程に魔力が荒く、吹き出しそうになる。この現象はついこの間経験したばかりだ。

 魔女としての暴走である。



 魔女としては異例に近い正気を取り戻したシオンであるが、切っかけがあれば再び魔女と化してしまうだろう。

 その切っかけとは、亡くした娘の面影を持った少女達の危機である。

 クロエに危害を加えられていると思うと、シオンは今にでも魔女の狂気に呑まれそうになってしまう。



「――まだ失った訳じゃない! あの子の時とは違う!   あの時の私と違って、今の私には力がある! 今度こそは選択を間違える訳にはいかない!」




 しかし、それでも必死にシオンは正気を保とうと堪えた。今魔女の力に溺れてしまえば、それこそ実の愛娘を失った過去の焼き直しにしかならない。



 クロエやパトリシアと一緒に過ごした時間は、シオンの長い生の中では一割に満たないものではあるが、彼女達を守りたいという意志に嘘はない。

 その事実は皮肉にも、先日のグラスタウンでの一件や現在のクロエの危機で、シオンが暴走しそうになっているのが何よりの証明となっている。



「――だから今は魔女の力に頼るつもりはない!」



 そう宣言したシオンは、何とか自身の内側より這い出ようとしてきた闇属性の魔力を押し留めた。彼女には長い時間の中で培った魔法の実力がある。無理をして、暴走のリスクがある魔女の力を当てにする必要はどこにもないのだ。



 シオンが魔女の力に決別の言葉を叩きつけると同時に――。



 ――クロエが襲われた場所から、シオンのものとは異なる魔女の魔力が森全体に満ちた。



「――!?」



 シオンは突然すぎる事態に、一切の思考が中断されてしまう。



(どうしてこの場所に私以外の魔女が……!? それこそ魔女としての活動を止めてから、私の正体がバレたことなんて数日前まではなかった!)



 同調していた使い魔の視界で見た、襲撃者達が装備していた鎧には見覚えがあった。このアルカナ王国の最大戦力が集結した集団――騎士団である。



 魔物に与する魔女が現れたのだ。事態を早急に解決する為に、遅かれ早かれ騎士団は派遣されるだろうとシオンは予想していた。

 しかし、まさかここまで早く対峙することになるとは思ってなかった。



 シオン――『破壊』の魔女を討伐する為に、どれだけの規模の人員が動員されたのかは不明。魔女の力を使わないとなれば、相手の数によってはシオンの敗北の可能性がある。



 ――いや、問題の焦点はそこではない。何れは騎士団と事を構えることは覚悟していたが、何故この場所、このタイミングで彼女以外の魔女が現れたのか。



 そこでシオンの脳内にはいくつかの可能性が過る。



(――もしかして騎士団と魔女が協力関係にあるのか、どこからか情報を嗅ぎつけた魔女が私に接触しにきたのか)



 二つの可能性が思い浮かんだが、現状のシオンにはそれを判断できる材料はなく、時間的な余裕もない。



(――今はそんなことはどうでもいい! クロエちゃんとパトリシアちゃんの安全確保の方が最優先!)



「――『サモンモンスター・ハンターウルフ』!」



 動揺を何とか抑えて、シオンは魔法を発動した。それは狼型の使い魔――『ハンター・ウルフ』を呼び出す魔法。お世辞にも機動力に優れているとは言えないシオンは、召喚した『ハンター・ウルフ』の背に跨り、森の中を移動し始めた。

 その作業と並行して、既に召喚済みの『ハンター・ウルフ』達にクロエとパトリシアを探して保護するようにと指示を下した。





 『ハンター・ウルフ』は悪路を物ともせずに、凄まじい速度で駆けて行く。クロエやパトリシアが残した魔力の残滓を辿り、行く先をシオンが『ハンター・ウルフ』に指示を出していた。

 急に出現した魔女の魔力が森全域に満ちていて、シオンすらの術者であっても方向感覚を狂わされてしまい、直接的に少女達の安否を探ることができないのが、彼女にはとても歯がゆかった。



 『ハンター・ウルフ』で移動を開始してから数分後。突如として森に放っていた『ハンター・ウルフ』達と繋がっていたパスが、強制的に断絶された。



「えっ!? 何が――きゃあ!?」



 思考が追いつく前に跨っていた『ハンター・ウルフ』の背から、シオンは振り落とされてしまう。

 全く人の手が入っていない地面の上に転がされてしまったが、幸い露出の少ない服装であったお陰で細かい擦り傷すらつくことはなかった。



 シオンを乗せていた『ハンター・ウルフ』は術者である彼女には目もくれずに、何かに呼ばれるように走り出してしまった。



「痛たた……一体何が起きているの?」



 ローブに付いてしまった土埃を軽く払い、シオンは状況の把握に努めた。そうすると、驚くべきことに気づいた。何と先ほどの個体を含めて、『ハンター・ウルフ』達の制御がシオンの手から離れていたのだ。



「私から使い魔の支配権を奪うなんて、どれだけ出鱈目な相手なの……!?」



 通常他者の使い魔の支配権を奪うという行為は、可能と言えば可能である。しかしそれは、あくまでも術者同士の間に圧倒的な力量差があることが前提にある。



 シオンは魔女の力を抜きにしても、魔法使いとしてはかなり優秀な部類に入る。そんな彼女から使い魔の支配権を奪い取れる相手――恐らく新手の魔女――は、格上と判断せざるを得ない。



 しかしそんな相手であっても、シオンは躊躇することはしない。葛藤なぞ彼女は既に済ませている。

 四肢を失った訳ではない。意志は折れていない。



 魔法を発動する時間も惜しいと言わんばかりに、最低限の身体強化の魔法を自身に施したシオンは己の足で悪路を進む。



 前へ、前へ。

 クロエとパトリシア。二人の少女の無事を信じて走り続け、森を抜けたシオンが見た光景は――。



 ――この世の全てが憎いと訴えるかのような、『憤怒』の表情をその整った顔に張り付けた小さな魔女が、鎧姿の男の片手を切り落とす、というものであった。

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