第31話 魔女の決意
「ん……」
誰かに強く体を抱きしめられている時特有の拘束感を感じた私は、薄っすらと目を開ける。それで私が目にしたのは、見慣れた大切な友人である少女のあどけない寝顔であった。
「すう……すう……」
少女――クロエはこちらが気持ちいい程にリラックスした寝顔だ。彼女のこういう顔を見ていると、私のように前世が男子大学生という不純物とは違い、彼女が原作で世界の命運をかけた戦いに巻き込まれるとは、とても思えない。
ここ数日間は私とクロエ一緒に寝るようにしている。これはクロエの方からの申し出であり、断じて私の下心に基づくものではない。断じてだ。
恐らくだが、クロエはあの一件――グラスタウンでの出来事が尾を引いているのだろう。彼女の不安が解消されるまで、私はこのままで一向に構わない。
そもそも十歳程度の少女同士で、間違いなど起こるはずもないのだ。
背中に回された手を退かして、空いた右手でクロエの頭を優しく撫でる。彼女が起きないように、細心の注意を払いながら。
「んぅ……」
何度か撫でていると、クロエはくすぐったそうに声を少し上げた。
「ふふっ……」
小さな笑みが浮かぶ。手に伝わる髪の感触や彼女の反応が癖になりそうになっていると、私とクロエのものでもない第三者の声が頭上より聞こえてきた。
(……いつになく、手つきがいやらしいんじゃない? 契約者様)
その声に思わず体がビクリとして止まる。そして声の持ち主に、私は否定の言葉とともに非難の視線を向けた。
「……おはよう、『前借りの悪魔』。これはそういうつもりじゃないし……クロエの寝顔が可愛かったから、ついつい……」
(はいはい。別に責めてる訳じゃないから、少しからかっただけよ。そんなに目が泳いでいたら、説得力もなくなるわよ、契約者様)
声の主は『前借り悪魔』であった。自分では平静のつもりで返事をしたつもりだが、どうやら悠久の時を生きた悪魔の前では流石の私でも動揺を隠すことができなかったようだ。
(……いくら心の中でカッコつけても、我と契約者様は『パス』で繋がっているのだから、ある程度は考えが筒抜けよ)
「え? 本当に? 初耳なんだけど、それ」
(だって、聞かれないし)
悪びれることなく言う『前借りの悪魔』。実際に先ほど彼女の発言は初耳であり、今後は思考する際も気をつけておく必要があるだろう。
『前借りの悪魔』には私が転生者であることや、原作知識の一部を共有しているが、流石にこの世界が創作物であることは伝えていない。
原作知識の出所については、『前借りの悪魔』の方からも尋ねてくることもなかった。
それこそさっきの冗談の延長線のような話になるが、長い時間を生きているせいもあり、明らかな不自然な私の原作知識について「そういうこともあるでしょう。我は契約者様が持つ知識の出所にはあまり興味はないわ。そもそもそんな知識があるということを言ってくれるだけでも、有り難い話だったわ」という内容の話を以前に交わしたことがある。
その為このことに関しては、今後誰にも話すことなく墓にまで持っていくつもりだ。例えクロエであっても、『前借りの悪魔』であっても、シオンであっても。
必要以上に吹聴することで、要らない危険を招きたくないからであった。
『前借りの悪魔』にそんなことを考えているとは悟らせずに、未だに眠っていたクロエに声をかけた。
■
「ふぁ……おはよう、パトリシア。悪魔さん」
「うん、おはよう。クロエ」
(ええ、おはよう。クロエちゃん)
右手で堪えきれない欠伸を抑える動作をするクロエに、私と『前借りの悪魔』はそれぞれ挨拶を交わす。
まだ意識がはっきりとしていないクロエと一緒に顔を洗いに行く。
前世の日本のように整備された水道設備が、森の奥に位置する住居にあるはずもなく、近くにある川にまで桶と綺麗なタオルを抱えて行くしかない。
空いた左手で足元がおぼつかないクロエの手を引いて、川の方に行く。
既にグラスタウンでの一件から三日が経過している。最初懸念していたあの貴族の依頼か命令をきいた者達による襲撃は今の所はない。
シオンも含めて今後の方針を相談したが、グラスタウンには近づかないということで落ち着いた。
しかしシオンの仕事とも言える、薬を売ることがグラスタウンでできなくなるのは申し訳ない。
それだけではなく、これからの生活を送る為の資金はどうするのかを尋ねると、シオンはこう答えた。
「まだ子供のパトリシアちゃんが気にする必要はないわ。別にあの街だけが取引先だけという訳じゃないし、得意先と言える程ではないけど当てはいくつかあるから安心して」
子供である私達に気を遣わせないように、そう言ってくれたシオン。彼女の好意に甘えるとして、お金の問題には口を出さないようにするとクロエと相談して決めた。
もちろんそれ以外のこと――家事の手伝いを今まで以上にするようにしている。
川に着いた私達は桶に水を汲み、それで顔を洗う。水の冷たさによって、残っていた眠気が完全に吹き飛ぶ。
それはクロエも同じようで、濡れた顔をタオルで拭いていた。
「ふう……ようやく目がスッキリしたよ」
「改めて、おはようかな?」
「うん、そうだね。おはよう、パトリシア」
意識がはっきりと覚醒したクロエに対して、私は再度挨拶をした。先ほどのやつは彼女の意識が曖昧なこともあり、ノーカウントで良いだろう。
いつもと何ら変わりない起床後の作業を終えると、私達は雑談をしつつも早足で住居へと戻る。
朝食の準備の手伝いをする為だ。
「三人とも、おはよう」
扉を開けると、ラフな服装の上からエプロンを付けたシオンが出迎えてくれた。それに私達はそれぞれ挨拶を返して、子供用サイズのエプロンを付けて指示を仰ぎにいった。
実体のない『前借りの悪魔』を除いて、私とクロエも慣れた手つきで朝食の準備を完了させた。
献立は野菜たっぷりのスープと、柔らかいパンだ。
「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
お決まりの挨拶の後は会話を楽しみながら、各々のペースで食事を進めていった。
■
「ここ最近色々とあったから忘れていたんですけど、パトリシアと一緒に買った物があるんですよ。せっかくですので、シオンさんにも見てほしくて」
片付けも終わった後、クロエがそう言うと自分の部屋からある物を持ってきた。
彼女の両手に収まっていたのは、あの店で購入した黒色の蝶の形を模した髪飾りであった。数は二つ。私とクロエの分だ。
あの日は本当に色々とあって、髪飾りのことは完全に忘却していた。
クロエの方も忙しさというよりかは、事態の急展開さに呑まれて、髪飾りをお披露目するタイミングを逃してしまったようだ。
三日も経てば、心の余裕もできるというもの。クロエは私やシオンの様子を見て、もう大丈夫であろうと判断したらしい。
(早速付けてみたら、どう?)
「それは良いわね。私も見てみたいわ」
髪飾りを付けるように促してくる『前借りの悪魔』とシオン。それに従って、私とクロエはお互いに髪飾りを付け合った。
私がクロエに髪飾りを付ける際に、彼女の顔がすぐ近くまでくる。毎日クロエの顔は見ているというのに、何故か異様に恥ずかしく感じてしまう。
それを悟られないように、平常心を保てるように努めた。
「どうかな……?」
「うん。凄く似合ってるよ、クロエ」
「……ありがとう」
クロエは頬を赤らめつつ、礼を告げてくる。その可愛さに悶絶しそうになるが、そうは問屋が卸さない。
次は私の番である。
今度は私がクロエに髪飾りを付けてもらう。その際に、また彼女の体温や息遣いが間近に感じられた。
(……頬が赤くなっているのがバレませんように)
時間にして一分にも満たない時間であったはずなのだが、私は一心不乱にそう念じ続けた。その羞恥に塗れた思考が『前借りの悪魔』に筒抜けであることを失念していた。
私がその事実に気付くのは、少し後の出来事である。
■
(我達がいるの忘れてないわよね……契約者様)
「うふふ。別に構わないわよ。それに私のせいもあるけど、パトリシアちゃん達どこか元気がなさそうだったから。あれだけイチャイチャできるのなら、大丈夫そうね」
(……今程貴女を魔女だと思ったことはないわよ……)
「褒め言葉として受け取っておくわ」
『前借りの悪魔』とシオンの保護者組は、初々しいカップルのような二人の様子を眺めつつ、語らっていた。
「それにしても、あれは良い髪飾りね。どっちが選んだのかしら?」
(確か契約者様だったはずよ……いや、あれは選んだというよりも、惹かれてたような気が……)
「まあ、その辺はいいわ」
頭から湯気のようなものを出し始めたパトリシアに、一生懸命に声をかけるクロエの様子を尻目に、シオンは二人には決して聞こえないだろうの声量で、『前借りの悪魔』に話を振った。
「――もしも私に何かがあったら、あの子達のことをよろしくね? こんなことを悪魔である貴女に頼むのも、おかしいかもしれないけど」
(……元々契約者の願いの中にはクロエちゃんを守ることは入っているわ。契約者様のこともしっかりと支えていくつもりよ)
「……そう。なら安心ね」
シオンの態度に違和感を覚えた『前借りの悪魔』は自身の疑問をぶつける。
(――シオン。貴女死ぬ気なの?)
「――そんな気はないわよ、流石に。一度あの二人の保護者を買って出たもの。あの子達が大人になってひとり立ちできるまでは、くたばるつもりはない。でもあの街での一件がどう転ぶかなんて、想像できないの。だから単なる気休めというやつよ」
――どれだけ長生きをした魔女や悪魔であっても、振った賽の目を当てることはできない。
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