第2話 ズルと『前借りの悪魔』

 生前好きであったゲームの世界に転生した。その事実を認識した私――今生の名前はパトリシア――は、推しのキャラクターであり、原作主人公であるクロエに出会った。

 彼女の中での私の第一印象が最悪になったような気がするが、私の目的は変わらない。原作ではほぼBADENDばかりの彼女に幸せな結末をプレゼントすることだ。



 ゲーム『闇の鎮魂歌』と酷似したこの世界。魔物や魔王と言った物騒な人外の存在がある、末法に近い世界観なのだ。

 原作が始まる――魔王が復活して、クロエが聖女に選ばれて旅に出るのは、今から約五年後のはず。私の記憶が正しければ、クロエが十五歳の誕生日に全てが始まる。三年間にも及ぶ、救いなき苦難の道が。



 しかしそれを覆せる大きな差異がある。この私の存在だ。原作知識を持った私が上手く立ち回れば、本編であった悲劇を可能な限り回避できるはずだ。

 本来私――というか原作の『パトリシア』がクロエに出会うのは、彼女が旅に出てからだ。

 だが私はクロエと原作開始前に出会ってしまった。私の存在が余計な影響を与えて、原作以上のトラブルが起きる可能性も――。



 まあ、全ては愛しのクロエの為だ。まだ起きていない未来のことで、ウジウジ悩んでいても仕方がない。まずは私のできることをしていかなければ。



 クロエと自己紹介を交わした翌日。彼女は引き気味であったけれども、私と普通に接してくれた。ゲーム本編では語られなかったが、クロエから聞いた所、彼女と同年代の子供はいないらしい。他に村にいる子供は、クロエよりも幼い子ばかり。

 それで初めの自己紹介の際に、盛大に失言をした私でも構ってくれるようだ。もしかして私の扱いって、その子達と同じ……!?



 まあ気にしても仕方がない。無事に友人関係? になれた私達は、村で数少ない年長者として、歳下の子供達の面倒見たり、それがない時は二人で木陰の下でゆっくりと読書をしたりと充実した日々を送っていた。



 もちろんだが、ただ遊び呆けている訳ではない。この先やって来るであろうイベントを乗り越える為に、力をつけようと画策していた。

 クロエの前に立ちはだかるのは、魔獣や魔王。恐ろしい人外の存在だ。そいつらの前では今の私の力は、文字通りただの小娘に過ぎない。



 それを覆す為に、私はとある『ズル』をしようと村の外に行こうとしている。もちろん今の状態で村の外に出ようものなら、瞬く間に魔物の餌になってしまう。ゲーム風に言うのであれば、レベル一なのだから。

 つまり手っ取り早く私がしようとしている『ズル』とはレベル上げだ。本編開始前に、私自身のレベルをカンストさせることで、本来クロエが選ばれるであろう第一聖女に私が割り込む。

 そうすることで、聖女ではないクロエは魔王に恨みを抱くことなく、村で平和に暮らせるはずだ。彼女と離れ離れになってしまうのは残念だが、この選択が一番堅実なものでもある。

 まあ、真っ当な手段ではないのだが。



 時間帯は草木も眠る頃。辺境の村には街灯などなく、自然の光源は頭上の遥か上で時折顔を隠す月のみ。右手に勝手に持ち出したランプに火を灯す。寝巻きの上から寒くならないように、カーディガンのような物を羽織り、抜き足差し足忍び足で家の外へ出る。

 虫の鳴き声に混じって、獣の遠吠えが聞こえる森の中へ恐る恐る入っていく。前世とは違い、人の手によって整備されていない森は、脅威そのもの。

 子供一人が夜中にそんな場所へ行くなど、自殺行為に等しい。しかし私の目標地はこの森の奥にある。



 『滅びた邪教の神殿』。そこが今回の私が目指す場所の名前であった。ゲーム本編では隠しダンジョンに該当し、訪れることができるのは二周目以降。

 物語のスタート地点である村の近くにあるということで、攻略サイトを見なければその存在にすら気づかない。そんなことも珍しくはなかった。かくいう私も、攻略サイトにはお世話になったものだ。主にクロエ救済ルートを探す為に。影も形もなかったが。



「えーと、ゲームでは確かこの辺りだったような……」



 前世の記憶を思い返しながら、ゆっくり足を進める。生い茂る草や木の根のせいで転びそうになりながらも、一歩ずつ確実に。

 体感時間では二時間程かけて、私は開けた空間にたどり着いた。荒い呼吸を整えつつ、辺りを見回す。

 自然物に紛れ込むように、巧妙に隠されつつも、明らかな人工の建造物だと分かる遺跡。間違いない、目的地である『滅びた邪教の神殿』だ。



 その名の通り、このダンジョンはとっくの昔に滅びている。かつては存在していた邪神を奉る狂信者達の隠れ家。その一つとして。

 ゲーム本編ではその存在が語られるだけで、邪神が復活するような展開はない。あくまでもフレーバーにすぎない。



 例え訪れたとしても、この場所には特別なアイテムはなく、経験値稼ぎにはもってこいの魔物もいない。ただ一つしかない、イベントを除いて。



 いつ崩壊してもおかしくない遺跡の中へ進入する。早く用事を終わらせなければ、朝になってしまい、私の不在がバレて村中が大騒ぎになってしまう。

 それでは不味いと思いながら、遺跡の奥。祭壇が設置されている場所に到着した。



 乾いた血が付着した石造りの祭壇に、乱雑に散らばっている何かしらの骨。漂う不気味な雰囲気に躊躇しながらも、その祭壇に近づく。

 蝙蝠の羽音に一々ビクついてしまい、祭壇への距離が遠く感じられた。祭壇の正面まで来ると、念の為に持ってきた護身用のナイフを取り出して、右の掌に小さい切り傷をつける。



「っ……!」



 浅いながらも鋭い痛みを伴い、傷口から鮮血の液体が溢れ始める。声を上げそうになるが我慢して、血を祭壇の上に無造作に置かれた杯に注ぐ。

 もちろんこの一連の行動は、決して私が正気を失い凶行に走った結果のものではない。この隠しダンジョン『滅びた邪教の神殿』に存在するイベントを起こす為の行動だ。



「後……もう少し……!」



 そこまで大きくない杯に、ただひたすら血を注いでいく。数分間時間をかけて、規定量の血を入れ終わる。震える手で傷口にハンカチを巻きつけて、出血を押さえた。

 朦朧とする意識を何とか繋ぎ止めて、次の段階へ移行する。



「■■■■……」



 呪文を唱える。私の口から出てくるのは、この世界で一般的に使われる言語でもなく、前世に存在していたどの言語にも該当しなかった。

 これは術者の血を媒介に、異なる世界の住人――悪魔を呼び出す為のもの。この世界に存在する脅威、魔物や魔王とは完全にルーツは違い、『闇の鎮魂歌』では各隠しマップで二周目以降のプレイヤーのお助けキャラクターである。

 このゲームは二周目から開放されるエンディングを入ろうとすると、難易度が一周目とは比べものにならない程上昇してしまう。そんなプレイヤーの為に作成者が配置した救済措置なのだ。悪魔だけど。



 そしてこの『滅びた邪教の神殿』で出現する悪魔の名前は、『前借りの悪魔』。その能力は契約した人間の未来の力を『前借り』することで、その時点ではありえない程の強大な力を得ることができる。

 ゲームでの効果は、契約したキャラクターの最大HPやMPを削り、何十レベル以上の力を瞬間的に発揮できる。公式の用意したチートのようなものだ。



 ただしそんなに甘いことばかりではない。所詮は悪魔は悪魔。甘言を囁やき、契約した人間を地獄に連れて行こうとする。純粋な破壊を伴う魔物や魔王と違い、世界に大きな混乱をもたらすことは少ないが、確実に人間に破滅させる。

 数あるBADENDの内の一つに、『前借りの悪魔』の力を行使しすぎた末路のものがある。『前借りの悪魔』と契約したクロエは物語の序盤から終盤相当の実力を発揮して、魔物相手に無双していき、順調な道中であった。しかし『前借りの悪魔』との契約には、大きな落とし穴があった。



 『前借りの悪魔』が現在に持ってくる未来は、どんな未来かは分からない。BADENDのクロエが『前借り』していた未来は、闇堕ちして二代目の魔王になった自分からであった。突然変質した闇属性の魔力に耐えきれず、他のBADENDに比べて相当早い段階で魔王になってしまうエンディングだった。

 ゲームでは描かれることはなかったが、このエンディングでは一代目の魔王は倒されていない為、クロエを含めた二体の魔王を相手にするという無理ゲーを強いられることになるのは間違いない。



「■■■■……!」



 記憶を思い返している内に、呪文が唱え終わる。それと同時に血の入った杯が妖しく光ったと思ったら、大きい音を立てて割れる。

 突如発生した光から手で目を庇った。飛んできた破片が、私の肌を傷つける。

 どのくらい目を瞑っていたのか。痛い程の静寂が耳を侵す。そんな静寂を打ち破ったのは、一人の少女の声であった。



「いやいや……現世に呼ばれるのは久しぶりだねぇ。我を『前借りの悪魔』と知って呼んだ命知らずは、貴女かしら?」



 祭壇の上に立ってのは、一人の少女であった。十歳の私よりは少し大きい少女は、露出の高い黒色の服を着ていた。

 幼い肉体や顔立ちには似合わない程の色気を放っており、無意識の内に生唾を飲み込んでしまう。ゲーム内に登場した立ち絵も素晴らしかったが、実物で見る年齢に見合わない背徳的な魅力を持つ美少女はまた一味違う。自然に呼吸が早くなり、体温が上昇する。



「あらあら……今度の召喚者は可愛らしいお嬢さんだこと。思わず食べちゃいたいぐらい……」



 ジュルリ、というわざとらしい音を立てて、蠱惑的な笑みを私に向けてきた。その笑みに酔ってしまいそうになる理性を、頭を強く叩き戻す。

 何ぽっとでの悪魔に目を奪われているんだ、私! 私には前世からの推しであるクロエがいるのに、何たる失態……! 恐るべし『前借りの悪魔』……!



 突然の奇行に僅かな驚きを見せつつも、正気を保つ私に感心した様子を見せる。



「へえ……我を前にして理性を失わないのね。面白い。用件を話すがいいわ」



 人間より遥かに長い時を生きる種族特有の尊大な発言。多少苛つきそうになるが、私にはこの悪魔の力が必要不可欠だ。

 ルート次第ではクロエに次ぐ程の聖女としての才能を有しているパトリシア。しかし現時点では、無力な小娘でしかない。村の外に出て、弱いスライムやゴブリンといった魔物すら倒すことは不可能だ。

 けれど『前借りの悪魔』の力を使えば、序盤から安全なレベル上げが可能になる。聖女選定の日に私が有力候補になり、クロエには変わらない日常を提供できる。

 うん、全く穴のない作戦だ。唯一の懸念である『前借り』する未来が不確定という問題があるが、それも大した問題にはならない。二代目の聖女に選ばれるぐらいの実力と人格を有しているのだ。全てに絶望して魔王になる可能性があるクロエのように、闇属性の魔力に飲まれることはないはず。



 改めて『前借りの悪魔』に向き直り、力強く宣言した。何の為に自分がこの世界に生を受けたのかを再確認する為に。



「……私の大切な人を助けたいんです。この先に待ち受ける絶望的な未来から」



 私の言葉に『前借りの悪魔』は愉快そうに顔を歪めて、了承の意を示す。



「――うん。貴女の生涯であれば、良い暇つぶしになりそうね。いいわ。我の『前借り』の力を授けてあげましょう。さあ、こっちにいらっしゃい」



 艶かしく手招きをする『前借りの悪魔』の言葉に従い、目と鼻の先の距離まで接近した。打ち払った煩悩が再び、湧き上がりそうになる。

 『前借りの悪魔』の右手が私の頭の上に優しく置かれると、その手から膨大な力の塊が侵入してくる感覚がした。それと同時に、ギリギリ保っていた意識が暗闇に落ちていく。その過程で『前借りの悪魔』が小声で何かを呟くのが聞こえた。



「――こんなに歪な未来を歩む子なんて久しぶりだわぁ。我と契約した人間は等しく破滅するというのに。本当に人間って愚かよね」



 しかしその悪意に満ちた呟きの全ては、私の耳に届くことはなかった。

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