第3話 反省
「――リシア! 起きて、パトリシア!」
聞き慣れた、それこそ前世から暇ができたら聞いていた少女の声によって、私の意識は覚醒した。瞼を持ち上げて開けた視界に映るのは、この世界では比較的珍しい持ち主であるクロエであった。
いまいち状況が飲み込めない。今の私の体勢や後頭部に感じる柔らかい感触。クロエに膝枕をされているようだ。
今の私はクロエと同年代の少女ではあるが、前世から培ってきた男としての記憶もあり気恥ずかしくなってしまう。手で触らなくても、頬が少しだけ熱くなるのが分かる。
日々の触れ合いで久しく感じていなかった類の戸惑いによって、思考が鈍る。今の状況に至るまでの原因を探ろうとして、記憶を振り返ろうとする。思わず「あっ」と声を洩らしてしまう。気を失う前に、自分がやっていたことを思い出したことで。
「だ、大丈夫!? パトリシア!?」
私の様子に驚いたクロエは慌てたように、私の名前を呼ぶ。彼女を落ち着かせる為に、「何でもない!」と急いで言い切る。
「良かったぁ……」
クロエは心底安堵した様子で、深く息を吐く。見上げる格好で、彼女の年相応の幼さが残る顔を見てみれば、頬には涙が流れた跡が確認できた。それだけではない。黒耀石のように綺麗な瞳は充血しており、彼女が先ほどまで泣いていたことが分かる。
クロエと私の会話で、私が意識を取り戻したことに気づいた周囲の大人達が駆けつけてくる。クロエの膝枕を名残惜しいと思いながらも、ふらつく体を起こして、周囲の様子や人間に視線を走らせる。
私達がいる場所は、意識を失うまでいたどこか陰鬱な雰囲気を内包した遺跡『滅びた邪教の神殿』であった。クロエと私の元に駆けつけてきた大人達は十数人。全員見覚えがある。村に住む男衆だ。私の顔を見て、心配そうな表情を浮かべていた。
だんだん状況の整理が追いついてきた。恐らく私は『前借りの悪魔』を召喚して契約を結んだ後、覚醒しきっていない魔力を急激に吸われてしまい、意識を失ってしまったようだ。
それからどのくらい時間が経過したのか分からないが、少なくとも半日以上は経っているだろう。
私の不在に気づいた両親やクロエが、他の村人達に相談して動ける人間を動員して探しに来てくれたようだ。それも当然だろう。今の私のような小さな子供がいつの間にかいなくなっていれば、村全体の問題になってしまうのも。
怒られるだろうなぁ。そんな諦めに近い感情を抱きながら、近寄ってくる大人達に曖昧な笑み――に似た何かを浮かべることしかできなかった。
後でクロエに癒やしてもらおう、と思いながら。
■
案の定こってりと絞られた。こればっかりは夜が明ける前に戻れなかった私に問題があるのだ。甘んじて受けるとしよう。家に帰ってから両親にも叱られた。
しかしそれは怒りに任せたものではなく、私に対する愛情に由来するもの。
ゲーム知識以外摩耗してしまい碌に残っていない記憶にある残滓にはなかった、前世の両親とはまるで違う慈愛に満ちた対応に、年甲斐なく私は泣いてしまった。
涙で滲む視界に映る父親の困った顔。私が泣き止むまで頭を優しく撫でてくれた母親の温かい手。クロエだけじゃない。今世の両親にも、必ずいつか親孝行をしたい。
私の大切な人達の為に、一刻も早く魔王を倒さなければ。母親の撫でる上手さに思わず蕩けそうになる思考の片隅で、私は決心した。
(ふふふ、今回の契約者様は本当に愛らしいのぅ)
至福の時間を妨害するかのように、その声は私の脳内に響く。
(う、うるさいな。黙ってくれないかな、『前借りの悪魔』)
そう、その声の主は昨晩私が隠しダンジョン『滅びた邪教の神殿』にて契約した『前借りの悪魔』。彼女はそれまで居着いていたあの遺跡から私に取り憑きやがったのだ。ゲームでは、契約しても能力を授けるだけで、悪魔が外せない呪いの装備になることはないというのに。
母親に撫でられる私の視界の端で、『前借りの悪魔』はひらひらと手を振っていた。
(つれないことを言うわねえ、契約者様。我の『前借り』の権能を貸してあげるのだから、軽い対価だと思うけど。他の悪魔達だったら、もっと重い対価を要求されるのよ。命はもちろんのこと、手や目玉とかね?)
(悪趣味すぎない?
幸せで綻んでいた顔が引きつりそうになるのを必死に堪える。これ以上余計な心労を両親にかける訳にはいかない。
『前借りの悪魔』と私の会話は念話に近い要領で行われている。両親を含めて、他者に聞こえることはなく、私達の二人で完結している。これは契約による副産物であった。
意識を取り戻して、『前借りの悪魔』に取り憑かれたことに気づいた時は度肝を抜かれた。契約を解消するまでは、このニヤケ面を見続けなければならないのかぁ……。
両親に気取られないように表情を崩れないように甘えていると、家の入口の扉を叩く音がする。誰か来訪者がやって来たようだ。
「はーい! 行きます! 貴方、先に出てくれない?」
「あ、ああ。分かったよ」
そんな短いやり取りを経て、父親は入口に向かい、母親も私の頭を最後にもう一度撫でると玄関へ行った。
部屋には私一人になった。辺りが急に静かになり、その静寂はすぐに女悪魔の声に上書きされていく。
(良いご両親ね。大切にしなさいよ)
(お前に言われるまでもないよ。あの人達も、私にとってはかけがえない存在だから)
(あの人達『も』ねぇ。契約の時に言っていた助けたい子って、遺跡に来ていた女の子のこと?)
『前借りの悪魔』の指摘にどう答えるべきか一瞬固まってしまう。相応しい言葉が見つからない。クロエ。ゲーム『闇の鎮魂歌』の主人公。前世における推しキャラクターであり、今世の友人。どれも事実ではあるが、しっくりこない。
(運命の人……かな?)
(え……重)
反射的に浮かんだ中で一番しっくりときた単語を告げると、『前借りの悪魔』はドン引きしたような顔をする。何故だ、解せぬ。
前世から推していた登場人物が目の前にいて、私に向かって笑い、声をかけてくれるのだ。まだ不確定とはいえ、無数に存在する破滅の未来から救いたいと思うのは、一ファンとして当然である。
私を友人と呼んでくれるクロエの笑顔を見たい。動機なんて、それぐらいで充分だ。悪魔には決して理解できないであろう、人間にしか持ち得ぬ他者を思いやる慈しみの素晴らしさに、私は酔っていた。
(まあ……我は契約者様の行く末を特等席で見られるのなら文句はないから、控え目に応援しとくわ……)
『前借りの悪魔』からの微妙な視線を受け流しつつ、次の行動について思考を働かせていた。戦闘をする為の手段は確保した。乱用はできないけれど、『前借りの悪魔』の力を使えば、未来の――本編の時間軸である『パトリシア』と同等の力を発揮できる。
最初はこれを使い、村周辺の魔物を適当に倒してレベル上げを行う。そしてゲーム開始直後に起こるイベント――聖女選定にクロエではなく私が選ばれることで、彼女は平和な日々を村で変わらず送ってもらう。
完璧な計画だ。早速今晩にでも魔物狩りに行くとしよう。もちろん両親や他の村人達にバレないように気をつける必要はあるが。
(――盛り上がっている所悪いけど、契約者様? 今来ているお客様、村の教会の神父様よ?)
(……それって、本当?)
(本当)
そう言えば玄関に向かう両親の顔は、子供である私に悟られないようにしてはいたが、深刻な表情をしていた。恐らく神父が家に来たのは、私――正確に言えば『前借りの悪魔』だろうか。
夜中村を抜け出して、怪しい遺跡で気を失っていたのだ。今の私の年齢を考慮しても、教会に勤める神父からすれば、魔物に通ずる可能性がある『魔女』の疑惑を私に持っていてもおかしくはない。
聖女に選ばれる前に、先ずは神父を上手いこと誤魔化して帰ってもらわなければ。状況を把握する為に、私は聞き耳を立てた。
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