第4話 話し合い
――『魔女』。魔の理に魅入られし、外道に堕ちた女。前世において、その存在はある時代までは架空のものではなく、唯一神に歯向かい人々を惑わす者として実在していた。
それが本物であれ、嫉妬に狂った周囲の人間による欺瞞に満ちた証言であろうとも、告発を受けた神の使徒達は正義の執行をした。
中世ヨーロッパで横行した、かの有名な魔女狩りである。
そんな魔女の定義は、この『闇の鎮魂歌』の世界でも同様であった。普段は無害な人間の振りをしている彼らは、気分によって人類に厄災をもたらす。
作中に登場する多くの魔女は、人間に敵対的な存在として描かれていた。BADENDのいくつかは、魔女に関連したものだった。
原作のクロエが旅先で立ち寄ったある村では、ただの村娘に扮していた魔女に奇襲を受けて仲間共々、その魔女の玩具にされるものもあれば、逆にクロエ自身が魔女の濡れ衣を着せられて激しい拷問の末に処刑される。
そんな内容であり、私の耳には未だにそのシーンでの声優さんの真に迫った絶叫が残っている。特に前者のBADENDの内容は非常に素晴らし――けしからんものであった。
人類を救うという使命を帯びた聖女である自分が屈する訳にはいかない。どんな責め苦を与えられようと毅然とした態度を崩そうとしなかったクロエが、大切な仲間を人質に無理やり言うことを聞かせられる場面は、何と言うか心にくるものがあった。
そういう成人向けのBADENDが、私に残した傷跡は色んな意味で多い。現実にいるクロエに対して、時々邪な感情に塗れた視線を向けそうになってしまう。その度に、彼女には怪訝な顔をされる。まあ、最近は慣れたのかぞんざいな扱いになってきたような気がするのだが……。
そこで数ある魔女関連のBADENDの中では、冤罪でも何でもなく本当の意味で、クロエが魔女になったものがあるのを思い出した。
二周目以降に開放される各地の隠しダンジョン。そこに配置されたお助けキャラクターという名の罠である悪魔と契約する。それが条件であった。
人間、特に神に仕える教会の連中からしてみれば、悪魔や魔物も大差ないのだろう。どの悪魔と契約しても、最終的にクロエに待ち受けるのは悲惨な結末しかなかった。
聞き耳を立てようと、扉の近くまで来ていた私はゆっくりと後ろに振り返り、何故か良い笑顔をしている『前借りの悪魔』に視線をやる。
この瞬間、私は第二の生の終わりを確信した。力を得る為に一番手っ取り早い方法を選択したが、どうやら自分自身の手で地獄行きの片道切符を切ってしまったようだ。
まだ本編が始まってすらないのに、私がBADENDの条件を達成して、どうするの!?
衝動に身を任せて、大声を出して床でごろごろと転がりたくなる。それをやった瞬間に、問答無用で魔女認定されて、この世からさよならする羽目になってしまう為、最後の理性で踏みとどまっていたが。
「もしかしたら心優しき神父様だから、ただ心配をして見舞いに来てくれたのかもしれないし……」
自身に言い聞かせるように、小声で呟くが期待はできそうにない。ああ、今世のお母様、お父様。先立つ不幸をお許しください……。
(ふざけるのは見てて我も面白いんだけど、そろそろ情報をきちんと手に入れた方がいいんじゃないの?)
『前借りの悪魔』から至極真っ当な指摘が入る。何故だろう。正論のはずであるが、元凶に言われると凄く反論したくなる。これも人間の性であろうか。
(我が元凶も何も、呼び出したのは貴女自身でしょう……)(それはそうだけど、さあ……愚痴ぐらいは言わせてくれない?)
(はいはい。後でいくらでも聞いてあげるから……。ここで契約者様が死んじゃうと、我も死ぬのよ。契約して契約者様に憑いてきた時に、命が共有されたみたいだから。頑張ってね?)
(ええ……さらっと言うべきことじゃないと思うけど、頑張るしかないのか……。まだ私も死ぬ訳にはいかないし)
頬を軽く叩いて、意識を強く締め直す。まずは中断していた情報収集――もとい盗み聞きだ。私の寝室の扉に耳をあてると、途切れ途切れにだが両親と神父の会話が聞こえてくる。
「――あの子は、魔女の――」
「――そんな訳が――」
「――違うに――」
聞こえてくるのは、私の両親の怒声とたしなめるように諭す神父の声。夫婦喧嘩や親子喧嘩も碌にしない私達家族にしては、珍しい程の声の荒げ具合だ。
所々拾える単語から、やはり神父は私を魔女と怪しみ家に直接見に来たらしい。それに対して、両親は必死に違うと否定してくれようとしている。
申し訳なさで、私はいっぱいだった。娘である私の無実を信じて擁護してくれていることから、どれだけ両親に愛されているのかを感じれて嬉しいのだが、今回の場合は神父の懸念は正しい。
現に私は夜中勝手に抜け出して、遥か昔に存在していた邪教の神殿で、自分本意な感情に基づいて悪魔と契約した。魔女と呼ばれても、仕方がない。
ただ一つ安心できる点がある。それは私に対して神父は状況証拠から疑惑を持っているだけで、『前借りの悪魔』と契約していることにまでは感づいてはいないようだ。
直接私が魔女ではない証を見せれば、納得して引き返すだろう。
と言っても、現段階の私ではどうすることもできない。ただのレベル一にすぎない。どうしたものか。
熟考している私の傍で、『前借りの悪魔』は良いことを思いついたと言わんばかりに、わざとらしく手を鳴らした。
(――ねえ、契約者様。我の権能を使えば、この程度の苦難、簡単に乗り越えられるけど。どうする?)
文字通りの悪魔の囁きに、私はこう答えた。
(……不本意だけど、それしか手がなさそうだから、お前の思惑に乗ってあげる)
(では、毎度ありがとうね。初の権能行使よ。精々上手く使いなさい。契約者様?)
『前借りの悪魔』が持つ『前借り』の権能を使う。その効果はすぐに契約者である私に実感できた。急速に体に力が漲ってくる。
血液のように全身を流れる不可思議な力――恐らく魔力だろうか。膨大な光属性のそれが自身の内側で蠢くのが分かる。
――これが二代目聖女に選ばれて、魔王となったクロエをも打倒できる『パトリシア』の力。と言っても、現状の私に扱える『パトリシア』の力は、レベルに換算すると五十にも届かない。今の脆弱な肉体では耐えられないからだ。
それでも中盤ぐらいまでは無双できるチート具合である。元のレベルが上がれば、更に『前借り』できる力は増えるだろう。
クロエとは違い、原作には闇堕ち描写は一切見られない『パトリシア』。『前借り』の乱用で、未来の『パトリシア』の力に飲み込まれてしまう。そういう結末は回避できるはずだ。
それよりも、今は集中しないと。これから私は悪辣な『魔女』を演じるのだから。
■
私は辺境の村の教会に勤める、しがない神父である。名はハンス。
全ての人類が信仰する宗教――女神教。その教義は、この世の善である女神様を信仰する者はすべからく救われる、というものだ。
この素晴らしき女神様の教えを、一人でも多くの人に伝える為に。人類の生存圏を削る魔物の脅威に怯える人達を、一人でも多く女神様に救ってもらう為に。
たとえ赴任先が辺境の村であっても不満はない。私自身特別な才能がある訳ではない為、日々を精一杯に生きる村人達と苦楽を共にできることは、私には得難い経験であった。
王都の教会で修行に励み、聖典を読むだけでは私も王都に勤める頭が固い司祭達と同じままだったろう。
常に自分が未熟であることを突きつけられてしまう。何年か前病が村で流行った時、小さな子どもが。若い青年が。老若男女に関係なく村人達は命が落としていった。私が修めた魔法――女神様の教えは無力であり、救えたのはほんの僅かな人数だけであった。
私が今まで培ってきたものは全て無駄である。そう形のない何かに言われているような気がしていた。
それでも、それでも。助けてくれて、ありがとう。そう感謝された。命を救えたどうかに関わらずに、私が治療に携わった全ての人間に。
その時の私は恥や外聞もなく、患者の腕を掴み号泣してしまった。生きていてくれて、ありがとう。そう何度も呟いた。
それからこの村は、私にとって第二の故郷になった。村人達は、私の新しい『家族』になった。女神様を信じているかどうかは関係ない。
それほどのかけがえのない多くのものを、彼らは私にくれたのだから。
『家族』に害を可能性があるのであれば、私はたとえ年端のいかない少女であろうと、心を鬼にし女神様に仕える一信徒として魔を払わなければならない。
そう固い決心をして、私は『魔女』の疑いの少女がいる家へと向かった。
件の少女の一家が越してきたのは、つい最近の出来事だ。もちろん他所から来たばかりとはいえ、この村で生活する以上、私は彼らを差別するつもりはなかった。
少女の一家を表現するのであれば、良くも悪くも『普通』という言葉が的確だろう。良き父親に、優しい母親に愛情をいっぱいに育てられて、天真爛漫に笑う娘。
理想的な家族像そのものだ。娘の方は同い年の少女とすぐに友人となり、歳下の子供達のまとめ役のような役割に落ち着いていた。
あの年頃であれだけしっかりしているのであれば、将来は良い嫁ぎ先も見つかるに違いない。時折、娘が友人である少女を見る目が怪しかったような気もするが、仕事で疲れていた私の見間違いだろう。
彼らが越してきた際に、私のいる教会にも挨拶にやって来た。娘は長旅の疲労が溜まっていたせいか、家で休んでおり不在であった。
第一印象も礼儀正しく、その後の彼らの村での評判で悪いものはほぼなかった。
村にすぐに溶け込んだ一家に事件が起きたのは、昨晩だった。夜中に教会の扉が叩かれて目が覚め、急いで入口に向かった。
立っていたのは、よく畑の野菜を頂いている男性の村人であった。その一家の娘が忽然と姿を消したらしい。
村中がパニックになり、その少女を探したが見つからず、村の外の森に捜索をすることになった。当然私も同行した。
その際に友人である少女――クロエが一緒に行きたいと言い出したりと色々あったが、数時間に及ぶ捜索の結果無事に娘――パトリシアを見つけることができた。
多くの者達が喜ぶ中、私や一部の村人はその事実を素直に喜ぶことができなかった。彼女が発見された場所が、曰く付きの所であったからだ。
この村に赴任してしばらく経った頃に村長から聞かされた、外部の人間には秘された遺跡――かつて邪教徒達が根城にしていた廃墟。
今の村人達には関係のない代物であるが、この遺跡の存在を王都や他の教会関係者が知れば、村人全員が異端として処刑されてしまうだろう。
所詮余所者でしかない自分に何故教えたのか。そう疑問を投げかけたが、その時に村長はただ一言。信じるとだけ言ってくれた。
その言葉を聞いて、私はまた泣いてしまった。
それはともかく。既に危険な物品はないはずの遺跡には、邪悪な魔力が充満しており何かしらの儀式が行われたことが伺えた。
足元に気をつけてたどり着いた最奥の祭壇には、手首から出血した跡があるパトリシアが気絶していた。クロエは悲鳴に近い声を上げて駆け寄り、壊れたように彼女の名前を呼び続けた。
私達も近づき、容態に問題がないとすぐにクロエは落ち着きを取り戻したが。
パトリシアが意識を取り戻した後、私を残して他の者達には一足先に帰ってもらい、遺跡の調査を行った。
学の浅い私に分かることは多くなかったが、パトリシア本人に自覚があるなしに関わらず、遺跡に残っていたアイテムを用いて術を行使したようだ。
何か良くない存在に憑かれている可能性もある。しかし彼女自身が儀式を行ったのであるならば、私の――女神様の敵である『魔女』ということになってしまう。
一刻も早く再び確認しに行かなければと思い、私はパトリシアの家に来たのだ。玄関で彼女の両親に招き入れられて、中へと入る。
「――パトリシア。あの子は、魔女の可能性があります。あの遺跡に遺されていた道具を使い、何らかの禁術を行使したかもしれません」
挨拶もそこそこに開口一番に、私はそう発言した。娘の潔白を信じる両親は、私に反論をしてくる。
「そんな訳があるはずないでしょうが!」
「そうよ! 違うに決まってるわ! あの子は怖い思いをしたばかりなのよ! そんな子に対して、いきなり魔女扱い。いくら神父様でも、あんまりよ!」
両親である彼らの言い分は分かるが、ここで情に流される訳にはいかない。伝聞ではあるが、童女にも等しい魔女に滅ぼされた村の数は少なくないのだ。
魔法で直接確かめるまでは帰ることはできない。
「……でしたら、娘さんに直接――」
「――私ならここにいますよ、神父様」
渦中の人物であるパトリシア本人が現れた。周囲の空気を察しているのか、いないのか。年齢に見合わない落ち着きを纏っている。
凛とした視線が私を貫く。気圧されているのだろうか、私が十歳の少女を相手に!?
「――私から説明したいと思います。よろしいでしょうか、神父様?」
その異様な雰囲気に、私は無言で頷くことしかできなかった。
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