第10話 未来の断片

「……ごちそうさまでした」



 完食した私は両手を軽く合わせる。食事が終わった後、このようにする習慣はこの世界にはなく、両親やクロエからは度々不思議がっていた。

 『前借りの悪魔』もそれは変わらないようで、私の方を首を傾けて見ていた。彼女の紅い瞳にじっくり見つめられると、照れてしまいそうになる。



(……それで何か聞きたいことはない?)

「私が気を失った後、何があったの?」

(契約者様が権能の使い過ぎで気絶した後にね――)



 『前借りの悪魔』が語る内容は以下のようであった。私が意識を失った後に、シオンが村に現れたようだ。彼女は私の無事を確かめると、他の生存者を探して森の中で寝かされていたクロエを発見して、私とまとめて彼女の住処に連れて帰ったようだ。



 シオンの家。記憶が正しければ、彼女の住居は私やクロエが住む村から、かなり遠くの位置にある森の奥にあったはずだ。それに彼女は過去の出来事が原因で、あまり他者と関わりを持たないようにしている設定だった。



 どういう経緯でシオンが村に来たのかを、本人から聞きたいと思う。しかし未だに肉体的には幼い子供でしかない私は、お腹が膨れると途端に眠気が湧いてきた。無意識に欠伸が出てきてしまう。



「ふぁ……あ……」

(さっきの魔法使いも言ってたでしょう。今は体を休めることを優先するようにって。おやすみなさい、契約者様)

「うん……おやすみなさい」



 『前借りの悪魔』にそう告げた後、私は限界に近い眠気にその身を委ねた。





「すう……すう……」

(こうして見ると、年相応の女の子にしか見えないだけどね。契約者様も)


 契約者の寝顔を眺めつつ、我は彼女と契約した時のことを回想する。



 『前借りの悪魔』と呼ばれている我は、現在パトリシアという少女と契約していた。出会いから特殊なもので、長年誰も訪れることがなく、完全に朽ち果てた遺跡を根城にして怠惰に過ごしてきた。



 あの日もそうであった。今の契約者に会うまでは。随分と懐かしい我ら悪魔を呼び出す為の呪文が聞こえてきた時、我は暇つぶし程度の感覚で召喚に応じた。



 召喚された我の視界に映ったのは、いつもの陰気臭い遺跡に、誰のものかも分からない人骨。そして我が腰かける祭壇としての役割を果たしていた何か。

 その光景に「飽きた」という以上の感想が出ることもなく、どんな人物が我を呼び出したのか。その顔を拝もうと思い、ゆっくりと視線を向けた。



 十歳前後の人間の少女であった。我のような悪魔とは縁遠い明るい金色の髪を持ち、非常に可愛らしい容姿をしていた。そんな少女の顔に浮かぶのは、我を警戒するような鋭い視線。

 久方ぶりに自分に向けられる黒い感情に、渇き切っていた心が潤っていく。



『あらあら……今度の召喚者は可愛らしいお嬢さんだこと。思わず食べちゃいたいぐらい……』



 ちょっとした悪戯をしたくなり、わざと音を立てて舌舐めずりを行い、笑みを向ける。我は自分の容姿には少々自信がある。歴代の契約者の中には、幼い少女の体に似た我に溺れてしまった者も少なくはない。

 目の前の少女も見惚れてしまったのか、心ここに有らずという感じて固まっていた。



 今回の契約者も簡単に落とせたと思っていると、いきなり自分の頭を叩き出した。突然の奇行に驚くが、すぐにその意図を察した。

 大方強い衝撃を脳に与えることで、正気に返ろうとしたのだろう。幼いながらに、しっかりとした意思を秘めており、今回の契約は退屈しないだろうと期待が出てきた。



『へえ……我を前にして理性を失わないのね。面白い。用件を話すがいいわ』



 さあ、教えて頂戴。貴女は如何なる望みを持って、我を呼び出したのかしら?



 そう尋ねると、目の前の少女はこう答えた。



『……私の大切な人を助けたいんです。この先に待ち受ける絶望的な未来から』



 絞り出すように、縋るように。その少女は言う。その願いを告げる人選を絶望的に間違えているような気もするが、我々悪魔は碌に働きもしない怠惰な女神とは違ってきちんと召喚者の願いは叶えるのだ。

 対価として、色々と要求したりするが。



 大切な人を助けたい、と。似たような願いを抱いていた人間もいたが、大抵は碌な末路にならない。こんな年齢で悪魔に頼るようでは、この少女もその例に漏れないだろう。

 そんなことを考えながら、少女との契約に承諾する。



『――うん。貴女の生涯であれば、良い暇つぶしになりそうね。いいわ。我の『前借り』の力を授けてあげましょう。さあ、こっちにいらっしゃい』



 ここに契約は成立して、我と少女の間に魔力のパスが形成される。そのパスを通じて、我は『前借り』の権能を発動した。

 権能の性質上、契約者の未来を断片的に垣間見ることが可能なのだ。その時に見えたのは、パトリシアと名乗った契約者と、黒髪の少女が二人仲良く手を取り合っている映像であった。

 悪魔である我的には少々物足りない、契約者にとっては満足のいく未来のようだ。そこに至るまでの道中が、波乱万丈なものになりそうなので、契約者の傍に居させてもらうことを条件に権能を貸し出すことにも納得した。



 しかし、いつからだろうか。契約者と黒髪の少女――クロエが過ごす幸せそうな未来の光景に、陰りが見えるようになったのは。

 未来というものは一定ではなく、現在の行動次第でいくらでも流動する。勝手に見た未来が不幸なものになっているというのは、我の悪魔生の中では別に珍しくはない。



 契約者が転生者であるという事実や、起きるかもしれない未来を権能もなしに知っているということを聞いた時は、流石に我でも驚いたけど。

 まあ、長い時間を生きていれば、そういうこともあるだろうと納得するようにした。

 だが、ある時。契約者が初めて『前借り』の権能を使った瞬間に、パスを通じて強制的に彼女が『前借り』した未来の一部を見せられる。



 今のように明るく笑うことも羞恥で顔を赤らめることもなく、冷たい無表情で固定されている契約者であろう少女は淡々と闇属性の魔力を行使して、屍の山を築き上げていた。

 ただ一つの目標の為に邁進して。最愛なる一人の少女の為に。

 幾千にも及ぶ犠牲の果てに、契約者と同じ顔をした少女はようやく笑顔を浮かべた。



『――今度こそは絶対に。救ってみせるわ。待っててね。■■■』



 そこで映像は途切れてしまった。今の契約者から想像ができない程の変貌ぶりに、我は悪魔らしくない憐憫の情を抱いてしまった。



 日夜生活のちょっとしたことから苦楽を共にしていたせいか、契約者に絆されていたようだ。もしも知り合いの悪魔に会ってしまえば、悪魔失格と烙印を押されるのは確実だろう。

 それでも構わない。



 改めて契約者の顔に視線をやる。精神年齢よりも幼い寝顔をした契約者に聞こえないように、小声で我は誓った。



(――契約者様がクロエちゃんの為に頑張るのなら、我が傍で支えてあげるから)



 ――地獄に付き添うのであれば、その役目は悪魔である我こそが相応しいだろうから。

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