第80話 誰か忘れていない?

 ――私の内なる声の主は、私を『大罪人』と呼んだ。そしてその言葉に潜む私や自分自身に対する憎悪に、呪詛。

 それらが、『憤怒』の魔女に至った『私』とは別の未来をたどった『私』と信じていた存在の正体を明かす手がかりとなる。



 この段階で愚鈍な私の脳みそは、ようやく自分の中に住まい、この世の全てに対する絶望を囁やき続けたのが、自分とは起源を別に存在する者であると悟った。



 思えば、魔女化したアリシアやドリアも言っていたではないか。私のクロエを思う気持ちは、どこか他人からの受け売り、ひいては植え付けられたもののように感じられたと。



 遥がその正体を告げる。



「――お兄ちゃんをこの世界に呼んだのは、その肉体の本来の持ち主である『パトリシア』。どういう理屈かは分からないけど、ゲームとこの世界は密接に繋がっていた。誰かがゲームを遊ぶ度に主人公――『クロエ』が死ぬことに耐えれなかった『パトリシア』は絶望や憎悪の果てに魔女化。そこで偶々ゲームをプレイしていたお兄ちゃんをこの世界に引きずり込んだ。ただよっぽど無茶な魔法を使ったのか、その代償でゲームとの繋がりは絶たれて、術者である『パトリシア』の意識は肉体の底に沈むことになり、お兄ちゃんが空いた器に収まった。――ということで合ってるのかな? 『パトリシア』」

『――ええ。だいたい正解よ。小さな魔女さん』



 私の口が勝手に動き、肯定の言葉を発する。それと同時に、体から力の半分以上が抜けるような感覚が私を襲う。脱力感が凄まじい。

 しかし状況は、私に脳を休ませる暇を与えてはくれないらしい。



 私の体から抜け出した『それ』はドス黒い霧のようなものから、次第に見覚えのある人型を形作った。

 『それ』は一人の金髪の少女であり、彼女の顔は私とても酷似していた。



 喪服にも似た漆黒のドレスを纏ったその少女は、本来の『パトリシア』だった。そしてその華奢な体に似合わない程に、洗練され――されど触れれば即死してしまう毒のように邪悪な魔力を放っていた。



 出来の良い人形のように無機質な表情の『パトリシア』は、私と遥に向かって口を開いた。



「――どうも、初めまして。いえ、『私』にとっては久しぶりかしら? あの時以来ね。こうやって話しかけるのは」



 『パトリシア』が言うあの時――私が魔女の力で暴走した時の話だろう。彼女のお陰でその時の危機を乗り越えることができたが、そもそもの原因が彼女にあるので素直に喜べない。



「それでいきなり出てきて、何か用? 私としては貴女の顔なんて見たくないんだけど」

「冷たいわね。今の『私』と貴女のお兄さんの顔は同じなのに」

「全然違う。お兄ちゃんの方が断然可愛いから!」



 良く分からないことで切れ出した遥に、私は小声で落ち着くように言った後、『パトリシア』に声をかける。



「……えっと、それで何で出てきたの? 貴女の目的がクロエを助けることで、その為に私を利用していたらしいけど、そうやって実体を具現化できるのなら、私の存在は必要なかったんじゃないの?」

「だから、それは貴女の妹が言っていたでしょう。貴女をこの世界に呼び込んだ時に、『私』の意識は肉体の底に沈んで、再覚醒したのは貴女が『前借り悪魔』の権能を上限いっぱいまで使ってくれたから出てこれたのよ。今だってこの状態は時間制限ありきで、喋ること以外はできないわ。

 いや、それよりも貴女達が聞きたいのは『私』が表に出てきた理由よね? こうして『私』の存在がバレたことだし、取引をしましょう」



 そう告げる『パトリシア』の顔には、蠱惑的な笑みが浮かぶ。





 『パトリシア』の妖しげな笑みに警戒心を抱いた私は無言で、彼女に厳しい視線を送ってしまう。『魔女の枷』や『パトリシア』が抜け出したことにより襲ってくる脱力感に耐えつつ、彼女の話に耳を傾けた。



 『パトリシア』は語った。その内容とは、二つ。一つは私と遥を元の世界に戻してくれるということ。もう一つは、その代わりにこの世界であった出来事は、全て忘却してもらうということ。



 最後に『パトリシア』は、言葉をつけ足す。



「初めの方は私の大切なクロエを何度も無残に殺してくれた復讐も兼ねて、貴女にも絶望を味わってもらいながら、私の目的クロエの救済の為に尽力してもらいたかったけど、貴女の妹さんが乱入してきて、話が変わったわ。都合が悪いのよ。貴女達にはこの世界から退去してほしいわ」

「……それでクロエやシオンはどうなるの?」

「どうもしない。今回の時間軸は諦めて、今までと同じように繰り返すわ。クロエを救えるまで、何度でもね。誰かさん達のお陰で、代償さえ支払えば、時間を巻き戻すのも不可能ではないわ」



 何とも思っていないように告げる『パトリシア』に、私は反感を抱く。

 彼女が言うことを、私が受け入れると本気で思っているのだろうか。たとえ私がクロエを思う気持ちが、『パトリシア』に由来するものでも、この世界に転生しクロエと過ごした時間で育んだ思いは私自身のものだ。

 それをなかったことにされるなど、たまったものではない。

 そもそも勝手に呼び出され利用されて、都合が悪くなれば、はいさよなら。納得できるはずがない。

 そんな提案なぞ、こっちから願い下げだ。



 私は『パトリシア』の顔を正面から見据えて、静かに宣言した。



「クロエを幸せにしたいと思っているのは、私も同じ。切っかけこそ貴女に思考が誘導されていたかもしれない。

 でも、直接クロエと過ごしてきた分かったの。私はクロエのことが創作上の登場人物としてではなく、実在する人間として好き。彼女の力になりたいって。だから、貴女の提案には乗らない」

「……そう。それが貴女の答えね。最後のチャンスを逃したわ」



 残念そうに呟く『パトリシア』の方に、震える体を起こして近づき、彼女の手を取る。



「貴女は私の中に戻るんだよね? だったら、二人で力を合わせてクロエのことを守っていこうよ」



 私からの誘いに一瞬だけ戸惑う様子を見せる『パトリシア』だが、目を閉じてしばらくの間沈黙を貫いた。

 その後、ゆっくりと両目を開き肯定の意志を示すように、首を縦に振った。

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