第71話 魔人の少女と一人の魔女
「何をしているの?」
「……え?」
――落ちこぼれであった私が救われたのは、何気なく声をかけてくれた貴女の存在があったから。あの日、あの時に貴女との出会いがあったから、今の私がある。
面と向かって言うことは恥ずかしくてできないけれど、貴女には本当に感謝をしている。
だからお礼に、貴女の願いを叶えたい。貴女に恩返しをしたい。そう思って、私は生きている。
■
魔王軍四天王――と言っても、現在魔王は復活しておらず力を蓄えているので、肩書き以上の意味はない――の一角に数えられる魔人の少女、ドリア。百年という人間からしてみれば長い時間を、強者に分類される魔物としては若輩者扱いされる時を、生きてきた彼女は。
決して初めから強かった訳ではない。むしろその逆。弱者の側であった。
魔物でありながら人に近い姿を持ち、人の言葉を流暢に話す、魔物の上位種に当たるのが魔人。単純な身体能力や魔力量でも平均的な魔物を凌駕し、魔物達の群れを束ねる立場になることが多い。
だが魔人以外の魔物にも、強力な個体は当然ながら存在して、魔人を率いる場合も普通に存在する。
そしてそれは魔物よりも劣る魔人がいるということであり、ドリアが生を受けて十数年は下級の魔物に毛が生えた程の力しか持ち合わせていなかった。
そんなドリアは同じ魔人からは軽蔑の視線を送られ、それ以外の魔物達からもストレスの発散のサンドバッグにされていた。
満足な食事にありつくことすら稀で、いくら外見の成長が人間に比べて緩やかであるとはいえ、当時のドリアの見た目はガリガリで、十歳の子供よりも幼く見える程だった。
ある日ドリアは一人寂しく、他の魔物に姿を見られることがないように、森の奥深くに籠もり食事を摂ろうとしていた。彼女が食べようとしていた物は、その森で適当に調達した木の実に、やけに鮮やかな茸と水増し用にむしった雑草等々。
当然ドリアには何が食用であるのか碌な知識はなく、その時に食べようとした物にも毒性のものは混ざっていた。しかもそれは彼女が人間であれば、数分もせずにあの世行きになってしまう程度には強力な代物だった。
魔人の頑丈さ様々だ。
狩りを成功させるだけの力も、食べ物を恵んでくれる同族もいないドリアに用意できる最大限のご馳走である。空腹に負けて品もなく両手で掴み、その小さな口に掻き込もうとした瞬間。
ドリアに声をかける人物がいた。
「何をしているの?」
「……え?」
思わず手を止めて、声の方に振り返るドリア。その先にいたのは、ドリアよりも背が少し高めな少女だった。その少女は黒色のローブを着ていて、ドリアの方を不思議そうに見つめていた。
謎の人物に呆けた声を出してしまったが、ドリアは反射的に両手に握っていた木の実を放り捨てて、両手と頭を地面につける。土下座の体勢だ。
弱者であるドリアが身につけた、数少ない処世術の一つ。相手をできるだけ不愉快にさせずに、その場を収める為には必要なことであった。と言っても、大抵の場合は相手を調子づかせてより過激な仕打ちが待っている。
しかし何もしないと、もっと肉体的にも精神的にも悲惨な目に合うので、しないよりかはマシ。そういう低次元の話である。
ドリアが土下座の体勢に移行して、数分間が経過。いつもであれば、既に罵詈雑言や暴力の一つでもあるはずだが。
いつまで経っても、それらがやってくる気配は微塵もない。恐る恐るドリアが顔を上げてみると、先ほどと変わらず彼女に視線を送る少女の姿があった。いや、むしろその距離は近づいていて、少女の吐息が感じられる程だ。
「こんな所で何をしているの?」
少女からの質問は文言が多少変わっただけで、内容に変化はなし。ドリアはただ食事を摂ろうとしているだけだ。そう答えれば良いだけなのだが、この時のドリアは自分の顔を至近距離で覗き込む少女の視線に耐え切れず、顔を背けてしまい上手く返答することができなかった。
「……私は今から食事をしようとしているだけ。貴女こそ何をしているの?」
動揺を悟られないように、ドリアはそう答えた。少女の方に視線を向けてみれば、魔人のようには見えず、もちろん他の魔物のような異形ではない。
それこそただの人間にしか見えない容姿だ。
ドリアがいるのは、魔物の生息地である大陸の北側である。そんな場所に人間がいて、無事でいられるはずがない。
ドリアは少女が纏う異質な魔力を見て、頭の片隅にあった知識を引っ張り出し、彼女の正体にたどり着く。
「……もしかして、貴女って魔女?」
「うん。そうだけど」
少女は肯定した。目の前の彼女は魔女らしい。魔女は、魔物とは異なるが限りなく魔物に近い存在だ。
元が人間ではあるが、とてつもない絶望を抱いだ者が闇属性の魔力を持ち、悠久の時を生きることになる存在。
魔女に堕ちた時点で、それ以前の性格とは似ても似つかないものに変貌し、自発的に魔物が人間を襲う際に協力をしてくれる存在。
ドリアにとっての魔女の認識は、そんな感じであった。魔女も基本的に人間とは比べ物にならない程に強く、当人の性格次第だが魔物達と共生していることが多い。
ドリアの決して長くない人生では、全く魔女を一回も見たことはない。けれど魔物と組むような存在が自分に危害を加えないのが、疑問であった。
「えーと……これ食べる?」
「いや、あんまり美味しいそうじゃないから遠慮しておく。それよりも、あっちに私の家があるけど、一緒に食事をしていく? あんまり料理に自信はないけど、貴女が良かったらご馳走するよ」
「喜んで」
この出会いが切っかけに、ドリアとその魔女の交流が始まった。
■
――それから更に長い年月が経ち、ドリアは知り合った魔女の助けがあり、秘められた才能が開花し、それまで空席となっていた四天王の一角に選ばれる程の実力を身に着けていた。
魔王軍四天王。いつの間にか強者の側に立っっていたドリアは、いつでもどこでも一緒にいる魔女に尋ねたことがある。
どうしてあの時私に声をかけてくれたのか。私に知恵や力を貸してくれたのか。
私の質問に、その魔女はこう答えた。
「別にこれといった理由はないけど……強いて言うのなら、昔の自分を見ているようだから……かな?」
「何よ、その理由……。魔女のあんたが言うと、何だか鳥肌が立ちそうよ」
「もー……失礼だなー」
いまいち良く分からない返答であったものの、ドリアはその魔女に感謝の念を抱いていた。直接的に言うことは絶対にないが。
「それでね、ドリア。話は変わるけど、一つ頼みたいことがあるの。良いかな?」
「別に構わないわよ。あんたと私の仲でしょ。このドリア様に言ってごらんなさい」
「探すのを手伝ってほしい人間がいるの。私からお兄ちゃんを奪った二人の泥棒猫をね」
――これは、パトリシア達の村が魔物による襲撃を受ける数年前の出来事である。
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