第6話 いつも不幸は唐突に

 夜中に家を抜け出して、『前借り』の権能を使いレベル上げを行う毎日。しかし戦う相手が序盤の魔物であるゴブリンやスライムだけでは、満足に経験値を得られていない。

 現在の権能を用いない私のレベルは十五。この近辺の魔物が相手であれば無双できるが、もう少し狩場を広げてみようかな……? でもあまり遠くに行き過ぎると、朝までには家に帰れないし、他所の地域の衛兵とかに不審人物として捕まってしまう。



 でも村の近辺だけで魔物を狩るのには限界がある。ゲームと違って、無から魔物が生えてくる訳ではない。魔物だって、一応生き物である以上倒し続ければいなくなる。

 魔物との遭遇率の低下に気づく村人も出てきている。それに喜んで何もリアクションを取らないのであれば、問題ない。

 しかし魔物の数が減少している原因を調査する為に、外部から人を呼ばれると少々面倒くさいことになってしまう。今は半洗脳状態の神父――名前はハンスというらしい――の説得で踏み止まってもらっているが、これ以上森に異変が見られるのであれば、調査の為に人が送られてしまうだろう。



「はあ……どうしたらいいのかな?」

(ねえ、契約者様。何を悩んでいるの?)

「いや……前から村の外の森で、経験値稼ぎに魔物を倒してるじゃない。でも最近じゃ、レベルも上がり難くなってきたし、魔物の異常な数の減りっぷりに村の人達が違和感を持ち始めたの……。早く力をつけたいのに、初っ端から躓くとは思わなかったよ」



 夕食を食べて、母親の代わりに食器洗いを手伝った後。自室にて、『前借りの悪魔』と駄弁っていた。もちろん周囲の状況には、細心の注意を払っている。だって傍から見れば、一人で虚空に話しかける危ない奴である。

 念話の要領で『前借りの悪魔』と会話はできるが、気分的には人前以外では直接言葉にして話したい。人間とは会話を重ねることで、相手を知る生き物なのだから。まあ、彼女は悪魔であるが。



(……確かにそれは不味い状況ね。今の契約者様の実力だと、我の権能込みでも発揮できる力は精々レベル六十程度。上級以上の魔物を相手取るのには、少し厳しいわね。中級の魔物でも数で来られると、契約者様の方が分が悪いかしら)



 しかも『前借り』の権能を使った戦闘は時間が長引けば長引く程、途中で気絶等のリスクがあるのは既に経験済みだ。

 このままではクロエを守るどころか、打倒魔王なんて夢のまた夢である。



 いくら考えても、思考が纏まらない。ゲームの時であれば、近くのダンジョンで永遠に魔物を倒し続けて物理で突破したり、攻略サイトをチラ見すれば詰み状態は容易に解決できたのに。



 『闇の鎮魂歌』に関する知識が詰め込まれているはずの自分の頭を、両手で叩き何か良い考えが湧いてこないか試していた。



(何をやっているのよ……。そんな壊れた魔道具のように叩いても、治らないわよ。契約者様の頭は)

「おい、喧嘩を売っているのか。お前は」

(そういう訳じゃないわよ。契約者様の体の調子を心配しているだけで――!?)

「どうかしたの?」

(――契約者様。何か村の外で異様な気配が。周りも騒がしくなって来てるみたいだし、警戒を怠らないで)



 会話の最中に、急に真面目なトーンで注意を促してくる『前借りの悪魔』。彼女が察知したものが正しいのかを確認する為に、部屋の窓から村の様子を伺う。

 『前借りの悪魔』が言う気配は感じられないが、日が沈み降りてくる帳に逆らう目が痛くなる程の赤。コンクリート等存在し得ない世界観的に標準的な木造建築の家々が、真っ赤な炎に飲まれていた。一件どころではない。火の手は既に村の半分以上に広がっている。



 その光景に私は言葉を失っていた。どうして『前借りの悪魔』に忠告を受けるまで、村の異常事態に気がつかなかったのか。次々と疑問が湧いては消えていく。



 え、嘘……。魔王が復活して原作が始まるまでは、クロエが住むこの村には何も起きないはずなのに。クロエが十五歳の時にゲームは始まるのだ。まだまだ時間はあったはず。それこそ五年は早い。

 そこで、ふとあることに気づく。五年後にクロエが打倒魔王の旅に出ることになった切っ掛けの事件。クロエの村が魔物の群れに襲われた日づけが、今日と一致しているということに。その事実が何を意味をするのかは、今の私には分からない。



 もしも今起きている火災が、ゲームイベントの前倒しであるならば。この火災は自然に発生したものではない!

 炎から逃れることができた村人が、視界に入る。その村人はしきりに背後を気にしていた。

 よく見ると、消化活動をしようとする村人は一人もいない。いや、そもそもする余裕がないのだ。

 ――この村は現在魔物の襲撃を受けている。その事実を認識すると同時に、私が有していたアドバンテージがほぼ役に立たなくなった瞬間でもあった。



 炎をかき分けて、無数の魔物がその姿を現した。その中には、私も倒したことのあるゴブリンやスライムだけではなく、中級の魔物の姿もちらほら確認できる。巨大な肉体を持つオークやオーガ。人間とは比べものにもならない体格や力のままに、周囲の家屋を破壊して回っている。



 せっかく炎から逃れることができた村人も、呆気なく魔物の餌食になり断末魔を上げていた。あ、さっきの人。下半身がオークに潰されちゃった。赤い、赤い液体が広がり、魔物とは違う人の命が消える瞬間の綺麗さに目が奪われそうになった時。耳元で叫ぶ『前借りの悪魔』の声で、私は正気に戻る。



(何をやっているのよ、契約者様! 村が魔物に襲われているのよ! 早く動かないと、ご両親やクロエちゃんが死んじゃうのよ!)



 『前借りの悪魔』の言う通りだ。今はこんな所でモタモタしている場合ではない。まずは両親とクロエの安全を確保しなければ。

 『前借り』の権能を発動して、レベルを一時的に上げさせる。中級の魔物が複数いる為、現状の限界値ギリギリまで引き上げる。



 体中に力が漲ると、私は急いで部屋を飛び出す。両親はいったいどこに……!?



「パ、パトリシア! 良かった、無事だったのね! 突然だけどすぐに逃げるわよ! たくさんの魔物がいきなり現れたみたいなの!」

「うん、分かったよ! それよりも、お父さんはどこ!?」

「お父さんは他の村人達の避難を手伝っていて、家にいないわ。先に逃げてほしいって! さあ、お母さんと逃げるわよ!」



 廊下でキョロキョロとしている内に、母親が私を見つけて近づいてきた。普通であれば母親の提案に従い、一刻でも早く村から逃げるのが正しいのだろう。

 しかし母親の手を、私は取ることができなかった。父親が、クロエが。まだ危険に晒されているのだ。私達だけで避難するなど、到底できない。



「――お母さんは先に逃げて。 私はお父さんとクロエを探さないといけないから!」

「何を寝ぼけたことを言ってるの!? こんな時にまでわがままを言って、母さんを困らせないで――」

「――『啓示/信託』。母さんは先に逃げてほしいの。お願いできる?」

「――はい。分かりました。パトリシア様」



 あまり使いたくない手段ではあったが、今は一秒ですら時間が惜しい。先日神父にしたように、魔法『啓示/信託』を使い、私の要望通りに動いてもらう。まあ、時間経過で切れるから大丈夫だろう。

 母親が早足で去っていくのを見送りつつ、私も次なる行動に移った。家から出て、父親とクロエの姿を探す。



 先ほどの母親の発言の通りであれば、父親は避難誘導を手伝っているはずだ。すぐに見つかるだろう。ならば先にクロエの保護に向かうのが正解と判断を下す。



(我が見た光景とも一致しない……! 気をつけなさいね、契約者様!)

「私もこんなイベント知らないよ!」



 私は『前借りの悪魔』と契約した時に、私自身が転生者であることやこの世界の未来に関する知識を伝えている。彼女は権能の都合上、契約者の未来を断片的に知ることができるので、どっちにしろ隠しようがない。ならば先に情報を共有しておこう、という考えだ。



 しかし『前借りの悪魔』も知らない『未来』。きな臭いこと、この上ない。私がパトリシアとして転生している以上、多少のバタフライエフェクトは覚悟していた。例えば、パトリシアが本編開始前に、クロエの村に越して来たように。



 だが、これでは前提から狂ってしまう。魔王の復活までにじっくりとレベル上げを行う計画も、クロエがこれからも過ごすはずの村も。全部、全部。破壊されてしまった。



 何故魔物による襲撃が起きたのか。原作において発生した襲撃事件は、一度は聖女を辞退しようとしたクロエを旅に出させる為に仕組まれた、女神教の過激派による暴走であったことが、とあるルートの終盤で明かされる。

 けれど魔王が蘇るのは五年後で、聖女の選定など起きていない。何がどうなって――。



 そう思考を巡らせながら、『前借り』の権能で上昇した身体能力で魔物で溢れた村を駆ける。無駄な戦闘を避けたい為、できるだけ見つからないように、しかし素早く動く。



 普段であれば、歩いて五分もかからない距離がもの凄く遠く感じられる。自然と呼吸が荒くなる。クロエはきっと無事である。そう自分に言い聞かせながら、歩を進めていく。



 そんな私の足を止めるように、見慣れた人が力なく倒れ込んでいた。思考が完全に停止する。



「――え? お父さん?」



 父親が変わり果てた姿で、私の前に現れたのだ。自分でも驚くくらい間抜けな声が漏れてしまう。



 ――ああ、そういえば。ここは曇らせには余念がないゲームの世界であるということを、私は完璧に失念していた。クロエ以外のあらゆるもの全てを、フィクションであると切って捨てていた私に対する罰が、今具現化されていた。

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