第39話 『憤怒』の魔女①




 『前借り』の権能で私の肉体の主導権は、未来の『私』に奪われてしまった。その『私』は別の人格に代わるような旨の思考をした後、本当に『憤怒』と呼んだ『私』に肉体の主導権を渡してしまい、未だに私は体の自由を得ることができていない。



 それだけではなく、『前借りの悪魔』は魔力の供給をカットされてしまい、私の味方と呼べる人物は一人もいない絶望的な状況であった。



 『憤怒』の『私』は先ほどまでと同じように、魔女特有の闇属性の魔力を放っている。――いや、むしろさっきよりもその性質はより荒々しくなっていた。

 つまり最初に私の肉体を勝手に操った『私』と『憤怒』と呼称された『私』も魔女ということであり、推測するに『前借り』の権能が暴走してしまい、複数の未来の可能性が同じ肉体に宿ってしまったのだろう。



 最初の『私』の漏れ出た思考を信じるのであれば、肉体の主導権が他の『私』に握られている状況は一時的なものであり、しばらくすれば正常に戻るようだが――。



 現状『憤怒』の『私』――仮称、『憤怒』の『魔女』は両手で持った剣を持ち、アルカナ王国第三騎士団の隊長であるベオウルフと対峙していた。



 私が知る限りでは原作の『パトリシア』が魔女堕ちするルートは一切ないので、『憤怒』の魔女の力量を正確に測ることはできない。

 逆にベオウルフについては、ある程度の情報はある。王国を他国や魔物から守護する盾でもあり、それら脅威を排除する為の矛でもある騎士団の一つを預かる程の実力の持ち主だ。



 騎士団がこの場所に来た詳しい経緯を知る術はないが、先のベオウルフの発言や動員されている規模を見れば、シオン――『破壊』の魔女の討伐で来たことは確定的である。



 ベオウルフとアリシア。それに加えて部下達の支援があれば、十分にとまでは言わないが並の魔女なら討伐は可能である。

 しかし原作でも裏ボスを務めたり、現存している伝承でも規格外の魔女の一人に数えられるシオンを倒すには、圧倒的に戦力が足りていないような気がする。



 ――まるで無意味に王国の戦力を削る為に、第三者の悪意が介在しているように感じられた。

 だが、誰が何の為に? グラスタウンを治める貴族や国王が、自らの国を守る貴重な戦力を徒に消費するはずがない。

 それならば周辺国家のどれかであろうか。一番可能性があるのは、アルカナ王国の東側に位置するロッキー帝国だ。

 けれどこのような回りくどい手段を選ばずとも、もっとマシな方法があったはずである。敵国の軍事力を削ぐ為に、制御ができない魔女の力を当てにするなど正気の沙汰ではない。真っ当な思考を持つ人間であれば、まず選ばない。

 よって帝国のように、王国のことを疎ましく思っている国による破壊工作の可能性は低い。



 であるならば考慮される可能性には、シオンとは別の魔女や知性の高い魔物に、それらを率いている魔人が候補に上がる。

 原作でも人間としての理性を保っているシオンのような魔女は珍しい部類に入るので、人類に仇なす存在である彼らが巧みに人間同士を争わせて戦力を削る。

 些か飛躍的な考えかもしれないが、原作知識がある私からしてみればある程度の筋は通っている。



(まあ……今はこの状況をどうにかしないといけないよね?)



 『憤怒』の魔女とベオウルフは依然睨み合いを続け、私から見た彼の頬には緊張のせいか、一筋の汗が流れ地面に落ちる。

 それが切っかけになったのか。『憤怒』の魔女が口を開く。



「許さない、許さない――クロエを傷つけるような奴らが、世界の全てが許せない」



 推定未来の可能性の一つである彼女の言い分には共感できるものがある。原作ではどのエンディングでも報われないクロエを幸せにしたい。

 それがこの世界に転生した私の目標である。

 どんな手段も厭わずに実行するだけの覚悟もあるのだが、恐らく『憤怒』の魔女やもう一人の未来の『私』もどこかのタイミングで折れてしまったのだろう。

 その絶望で魔女に身を堕とすぐらいには、彼女達が歩んだ未来は救いようがなかったに違いない。



 私もクロエが目の前で殺されるような、辱められるような末路を辿ることがあれば、彼女達同様に正気を保っていられる自信はない。



 現に今『憤怒』の魔女と対峙しているベオウルフは、どんな理由があろうともクロエに危害を加えた連中の一味であり、シオンの命すら脅かそうとしているのだ。

 たとえ彼ら騎士団員達はただ王国民を守ろうとしただけかもしれないが、私にとっては両親や村人達を虐殺した魔物と同類である。



 ベオウルフというキャラクターにはルート次第で強力な味方であったが、この世界では別だ。できる限りの力を持って、排除してやる……!

 私の大切な人達に手を出したのだ。目の前にいるベオウルフも、逃げ出した騎士団員達も、彼らにシオンの討伐命令を出したこの国の上層部も、裏で糸を引いている奴らも。

 全部、全部、区別なく。私『達』の怒りが向く矛先になり得る。



 私の思考に『憤怒』の魔女のものが逆流してきて、私の人格が『憤怒』に上書きそして汚染されていく。今のように肉体が一時的に操れなくなるのではなく、完全に私という個が未来の『私』に置き換わるのだ。



 耐え難い頭痛に顔を顰めながら、『憤怒』の魔女は――私はゆっくりと口角を上げた。



「――先に手を出してきたのはそっちだよね? 遠慮なく叩き潰してあげるから。騎士ごっこの大好きなおじ様?」



 今ここに私と『憤怒』の魔女の意識はほぼ完全に同調し、肉体の主導権が私に返還される。

 これから起こる虐殺を担うのは、紛れもなく私自身の意思にほかならない。

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