第29話 激発
どのくらいの時間が経過しただろうか。フェンリルは静かにそこに座っていた。トルエノもそれに従っていた。しかし、森の中にいる町民の中から、血気盛んな者が数名、やってきて「いつまでこうしているつもりですか」と声を上げた。
今まで周囲で遊びまわっていた
しかし町民たちは怯むことはなかった。「帰ってこなかったらどうするんだ」と声を荒上げたのだ。
「いつまで待たせる! さっさと長を出せ」
町民たちからは、不満の声が上がった。森の中に隠れていた町長が慌てて駆け寄ってきた。
「お前たち、落ち着くんだ」
「落ち着いていられるか。おれたちの仲間に怪我させたんだぞ? 女子供だって、関係ねえ。獣人は獣人だ。捕まえて王都の保護機関に突き出そうぜ」
「しかし」
「獣人は見つけたら通報するのが決まりなはずだ。どっちにしろ、こいつらは保護機関行きなんだから」
町長は困惑した表情を浮かべていた。
(確かにそうなのだ。それがこの国のきまり。だがしかし)
フェンリルはここから見える景色を、今一度見返した。
ここには集落がある。つたないながらにも手作りの小屋がいくつも並ぶ。ここには暮らしがあるのだ。
(保護機関での管理された暮らしではない。自然な営みが。ここにはあるのだ)
「まさか、騎士団長は、こいつらを見逃そうって話じゃないでしょうね? そんなことをしたらおれたちが処罰されちまうだろうが」
騒動を聞きつけたのか、獣人の男たちも顔を出す。色々な獣がいた。熊や虎のような、大型肉食系の獣人もいる。戦いとなれば、どちらにも甚大な被害が出るに違いない。獣人たちの身体能力は、人間を凌駕する。衝突は、極力避けたいと思った。
「人間風情が。長がいなくても、これだけの数なら始末できるぜ。なあ、カーラ。殺らせろ!」
虎模様の耳を持つ男が、狼の少女——カーラに言った。
「ダメよ。兄さまが帰ってくるを待つの」
「けどよ。そんなことを言っていたら、みんな捕まっちまう。せっかく、この場所で落ち着いたっていうのによ」
フェンリルは「お前たちは、元からここにいるのではないのか」と尋ねた。すると、カーラが答える。
「もっと北部の山間近いところにいたのです。けれど、そこも人間たちに荒らされて住むところを追われた。この広大な森ですら、私たちが安心して暮らせる場所はないのです」
(北部が、人間に荒らされているだと? 一体、なにが起きている)
フェンリルは目を細めて考え込んだ。しかし、それどころではない。町民たちの騒ぎが大きくなったのだ。目の前にいる女子供、少数の男たちなら、自分たちにも勝算があると踏んだのだろう。
(それは間違いだ)
「止めろ。獣人たちの力を侮るな」
しかし、一度火がついた群衆を取り抑えるのは、並大抵のことではない。次から次へと火が燃え移るかのように、騒ぎが大きくなる。それに感化され、獣人たちのほうにも続々と人が集まってきていた。
「まずいですね」とトルエノが槍を握った。
「止めないか。お前たち。両方とも、だ。おれは戦いに来たのではない。話をしにきた。長が帰るまで互いに手を出すな」
「誰が話などするものか」
「そうだ。仲間を傷つけた」
町民たちはそう叫んだかと思うと、武器を握った。一方、カーラは獣人たちを説得してくれていた。
「兄さまが不在時に、勝手なことをするな! 我々は人間といがみ合うことを目的とはしていないはずだ!」
「カーラ。止めるな」
「おれたちは、この暮らしを守る!」
獣人たちも臨戦態勢だ。両者は睨み合い、一触即発だった。トルエノが槍を持ち上げた。それでもフェンリルは説得をやめない。
「止めないか。お前たち、武器を降ろせ!」
だがしかし。フェンリルとカーラの叫びはかき消された。
(駄目だ。絶対に止める——)
フェンリルの視界に、大人たちの憎悪の念に恐れをなした子供たちの姿が見えた。
——話をして欲しい。力に任せるのではなく、対話が必要だ
ユリウスの言葉が思い出された。
「お前ならできる。そう信じている——」
ユリウスの瞳は、フェンリルに対する絶対的信頼の色が見えた。フェンリルは唇を噛みしめた。町民が鍬や鉈を振り上げた。獣人たちも構えたかと思うと、こちらに向かって飛びかかってくる。フェンリルは両者の間に躍り出たかと思うと、両者の攻撃を二本の剣で受け止めた。
「なぜ、止めるのですか!? フェンリル様!」
「やめないか! 互いに言葉があるはずだ。対話をしろ」
フェンリルの声はあたりに響き渡る。だがしかし。あちらこちらから不満の声が上がったかと思うと、両者を抑えようと助太刀に入った騎士たちの間をすり抜けた町民の一人が、獣人に襲い掛かったのだった。
(だめだ。間に合わない——! ユリウス様……)
「やめろ」
フェンリルの制止する声はむなしく響くばかり。獣人たちも雄叫びを上げたかと思うと、町民たちに向かって、一斉に駆け出した。あっという間に両者はぶつかり合った。戦いの火蓋が切られたのだ。
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