第12話 約束と後悔
日が暮れて、あたりは暗闇に包まれていた。
「昨日は空振りでしたからね。今晩こそ、仕留めましょう」
ウルは腕を回して意気揚々と笑った。
「そう簡単な話ではなさそうだがな」
トルエノは軽くため息を吐く。フェルリンはただ黙って暗闇の中、馬を進めていた。
(おれのことを、覚えていないようだった)
彼の頭の中は、ユリウスのことでいっぱいだった。それは彼にとってみたら、衝撃的なことでもある。
「必ず帰ってくると約束してくれ。お前だけは私のそばにいて欲しい」
北部への旅立ちを前にした夜。別れを告げるために、密にユリウスに会いに行った。あの時、ユリウスはフェルリルの両手を握り、懇願するように言った。
ユリウスが王位についたすぐのことだった。
シャウラは、なにかと理由をつけ、ノウェンベルクの取り巻きたちを、王都から遠ざけていった。自分のその中の一人だったのだ。
彼一人を置いて、王都を去るなど到底できなかった。フェンリルはユリウスを連れ去りたい衝動に駆られた。だが。そんなことは許されるものではない。ユリウスは王なのだ。私欲のために好きにできる身分ではないことくらい、フェンリルも理解していた。
ぎりぎりのところで踏みとどまり、その美しい漆黒の瞳いっぱいに涙を浮かべているユリウスの姿を、鮮明に覚えている。二人はただ黙って、手を握り合った。
あの別れ以来、フェンリルは四年もユリウスの姿を見てはいない。
罰を受け、この地に送られた身。ユリウスからの便りの一つもないことくらい、覚悟していたというのに。なんの声掛けもないことに、落胆し、しかしそれでもユリウスに再会できる日を待ちわびていたのに。
目の前に現れた彼は、まるっきり姿を変え、しかも自分のことなど、一つも覚えていない様子だったのだ。
(ポコタは本当にユリウス様なのだろうか。まさか。私がユリウス様を見誤るはずがあるか。ポコタの匂い、感触。そして、あの瞳。あれはまさしくユリウス様に違いない。なのに)
もしかしたら、身分を隠すために知らないふりをしているのではないか、とも考えた。だがしかし。あの瞳は、完全にフェンリルのことを失念しているようだった。
(四年というのは、確かに長い歳月だ。しかし、だからと言って、忘れてしまうなんてことがあるのだろうか。一体、私がいなかった間、ユリウス様になにがあったというのだ……)
弟のミーミルからは、体調が優れないという報を受けていた。すぐにでも飛んでいきたい気持ちをぐっと堪え、彼の回復を待っていたといた。ミーミルは優秀な研究者でもある。必ずユリウスを助けるようにと、再三便りを送っていた最中だった。
(まさか、タヌキの御姿になったのは、病のせい? いや。そんなはずはない。わからない。私には、なにが起きているのか、理解できない。どちらにせよ、王都に残るべきであった。例え更なる罰を受けようとも。ユリウス様のそばを離れるべきではなかったのだ)
フェンリルは自分の内へと意識が集中していた。胸中に渦巻くのは、後悔。自責の念——。すると、突然。悲鳴が耳を突いた。フェンリルが顔を上げた瞬間。殺気。
「師団長! 危ない!」
トルエノの鋭い叫びとほぼ同時に、フェルリンは馬からするりと飛び下りた。視線を馬上に戻すと、自分が今の今まで座っていた場所を閃光が横切っていく。主を失った馬は、悲鳴のようにも似た声を上げると、森の中に走り去った。
「気をつけろ! なにか来る!」
トルエノも馬から飛び降りる。他の騎士たちもそれに倣って馬から降りた。すると、周囲から悲鳴にも似た声が上がった。暗闇に紛れて、騎士団が攻撃を受けているということが理解できた。
「周囲に警戒しろ! 暗闇に気を取られるな。神経を研ぎ澄ませ」
フェンリルの指示に、恐怖に支配されかかっていた騎士たちは、気を取り直したように、武器を構える。閉ざされた木々の間から「うううう」と低い唸り声が聞こえてきた。
「出やがったな。バケモノ」
ウルは背負っていた弓を構える。フェンリルは目を閉じて、周囲に意識を集中させた。荒い息遣いと、殺気が感じられた。相手もこちらが立て直したことに気がつき、警戒しているのだろう。
「ウル、右二時の方向」
「了解」
ウルは手際よく弓を引く。空気を切るようにして飛んで行った矢が暗闇に消えたかと思うと、「ぎゃ」という短い悲鳴が聞こえた。
「いたぞ。あそこだ」
トルエノは自分の身長よりも長い槍を両手で握りしめると、そこに突っ込んでいく。
「気をつけろ。トルエノ!」
フェルリンは細身の長剣を握ったまま、トルエノに続いた。
「救護班、襲われた者の救出へ。残りは右と左に分かれて回りこむ」
騎士たちはフェンリルの指示を受けて、黙って静かに動き出した。
「今日こそ狩るぞ」
ウルは舌なめずりをして走り出した。
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