第11話 権力と愛娘


「まだ見つからぬか」

 地上を揺るがすような低い声で、その場の空気がびりびりと震えた。

 茜色の長いローブをまとい、黄金色の髪を短く切りそろえた男は、ゆっくりとした足取りで執務室内を往来していた。彼の目の前には、銀色の甲冑をまとった男が二人、直立していた。

「全力を挙げて捜索しております」

 騎士の一人が、上ずった声を上げた。まるで声を上げることもはばかられるような空気感と必死に戦っているようだった。

 男は、騎士たちを睨みつけながら、「生ぬるいわ」と呟いた。発言をした騎士は、口を噤み、敬礼をし直す。百戦錬磨。数え切れぬほどの死線をかいくぐってきた騎士たちを黙らせる。彼こそが、この国の実権を握る男。宰相シャウラ―—。

 シャウラは苛立つ気持ちを抑えるように親指の爪を噛みながら、椅子にどっかりと腰を下ろした。

「あの川の流れだ。生きている可能性は低い。死体がどこかに打ち上げられているかもしれない。誰かの目に触れる前に回収するのだ。さっさと行け」

「は」

 騎士の一人はいそいそと執務室から出ていく。それを見送ったもう一人の騎士は、シャウラをじっと見据えていた。

「王を焼いた炎は、なんだったのでしょうか」

「気になるか。オリエンス」

「妙に引っかかるのです。王は生きている。そんな気がしてなりません」

 彼は銀色の甲冑を身にまとい、血に染まったような深紅のマントをつけている。腰には長剣がぶら下がっていた。

 眉間に刻まれた深い皺。初老の騎士、オリエンスは王宮の騎士たちを束ねる男でもある。険しい表情を浮かべるオリエンスを見て、シャウラは口元を緩めた。

「お前らしくもない。恐ろしいのか。王を焼いた炎が」

 オリエンスは険しい表情のまま「あれは不吉な炎でした」と答えた。

「魔法の炎とも違う。なんというか。初めて見る禍々しいものでした。前妃は北の山の民。得体の知れぬ呪術を使うといいます。王は呪われています」

「そうかも知れんな。そもそも、王家にはふさわしくない血だったのかもしれない」

 すると、執務室の扉がノックされた。顔を出したのは、シャウラと同じくらいの初老の男だった。

「シャウラ殿。この騒ぎは一体、なんだというのですか」

「これは、これは。ランブロス候。どうされましたか」

 シャウラは、笑みを作ってみせる。しかし、姿を現したランブロスは怪訝そうな表情のままだ。

「昨晩、ずいぶんな数の騎士たちが王宮内を走り回っていたとか。一体、何事なのですか」

「ご心配には及びませんよ。不審な人物が侵入したという報告があり、騎士たちを招集いたしましたが、なに。勘違いだったらしいのです」

「勘違いですって?」

 彼は「まさか」という表情を浮かべている。

(我ながらお粗末な言い訳か)

 シャウラは内心、自分自身を嘲りながらも、一度口にしたことを押し通す。

「まったくもって参りました。女は愚かです。嵐で惑わされたのでしょう。風で扉が開き、壁にできた雨染みを男と見間違ったようですよ」

「そう、ですか……」

 ランブロスは納得していない様子だった。しかし、シャウラは笑みを崩さずに、そのまま彼をまっすぐに見返す。彼はあきらめたように溜息を吐くが、すぐに気を取り直したように声を上げる。

「王は。王にはまだお会いできませんか」

「王は伏しておられる。医官の指示で、何人たりとも謁見は叶いませぬ」

「しかし。たったお一人でおられるのでは元気になるものも、ならぬのではないかと」

「ご安心ください。王妃様がついておいでです」

 二人は鋭い視線を交わす。シャウラは引くつもりはなかった。先に折れたのはランブロスだった。

「シャウラ殿。いつまでも貴方の好きにはなりません。そのことだけは覚えておくがいい。国民はよく理解している」

 彼はシャウラに一瞥をくれると、執務室を出て行った。

「対処いたしますか」

 オリエンスがシャウラを見る。

「いい、放っておけ。ノウェンベルク派の筆頭。ユリウスの叔父。始末するのは簡単だが、後々面倒だ。時が来たら、如何様にでもできる。今は放っておけ」

(前王の弟と言えど、今はおれのほうが権力を握る。ユリウス亡き今、おれは無敵)

 シャウラはオリエンスを残し、執務室を後にする。きらびやかな装飾が施されている回廊を歩き、突き当りの大きな扉を開くと、そこには一人の女性が座っていた。彼女は優雅にお茶を片手に読書をしているところのようだ。

 胸元の開いた黄色のカレンなドレスには、花模様の刺繍が施され、袖口には金糸のレースがあしらわれている。金色の豊かな髪は、規則正しく巻かれていた。彼女の髪色はシャウラと同じ。目の色も同じ金糸雀色だった。

「ああ、お父様。本当にユリウスは生きているのでしょうか」

 女は心配気にシャウラに声をかけた。

「心配ない。エリス。あの高さから落下した。命があったとしても、無傷ではいられぬ。濁流に流され、遅かれ早かれ、命を落としていることだろう」

 シャウラの娘であるエリスは軽くため息を吐いた。

「お父様が『正妃になれば、なんでも自由になる』とおっしゃったから。私は好きでもないユリウスと婚儀を上げたのですよ。いつまで我慢しなければならないのですか。私は、カストル様がいいのに。早くカストル様を王にしてください」

 エリスは不満そうに頬を膨らませた。シャウラは彼女をなだめすかすように、声を和らげる。

「そう言うでなない。お前はあくまでユリウスの妻だからこそ、正妃なのだ。カストルが王になれば、お前はその地位にはいられなくなるのだぞ」

「まあ。ユリウスが死ねば私は未亡人。カストル様の正妃になればいいだけの話ではないですか。早くユリウスが死んだと皆に知らせてください。そうすれば、私はカストル様と結ばれるのに」

「そういうものではない。事は簡単ではないのだぞ」

 エリスは立ち上がると、父親であるシャウラの目の前に対峙した。

「貴族たちはカストル様を推している者が大勢いるのです。なにを迷っていらっしゃるのですか。カストル様は王になるべくして生まれてきたようなお方ですよ」

 彼女はぷいっと踵を返すと、花が咲き乱れている中庭が一望できる窓辺に立った。彼女の後ろ姿を眺めながら、シャウラは眉間に皺を寄せる。

(世間知らずの娘だ。カストル派が多いとは言え、どれも小物ぞろい。権威ある侯爵たちは、その大半がユリウスを推す。数で物を言わせるわけにはいかんのだが……。まあいい)

 シャウラは大げさに両手を広げると「ああ、可愛い娘」と声を上げた。

「お前のご機嫌を損ねるとは、なんとダメな父親だ。待っていておくれ、もうすぐカストルを王にしてみせよう。父を信じてくれるか?」

「本当ですか?」

 彼女は、ぱっと艶やかな笑みを見せて振り返った。

「だからお父様って大好きよ」

「私もだよ。可愛い我が娘。エリス——」

 シャウラは線の細い娘の肩を抱いた。しかし、その狡猾な瞳は遠くを見つめる。

 給仕係を取り込み、ユリウスに少しずつ毒物を与えていった。ユリウスは日に日に体調を崩し、起きていることもままならないような状況だった。意識は朦朧とし、シャウラの言葉にすべて「よきに」と答えることしかできなかった。王の権力は実質、自分が掌握したのも同然だった。

 娘のエリスは愛する第二王位継承者であるカストルに王位を与えたいとせがむが、シャウラにしてみれば、素直なユリウスのほうが扱いやすかったのだ。

(もう少し寝てくれていればいいものを。なぜ正気に戻った? 信頼する配下たちだけで、内内に動いていたというのに)

 このままユリウスが死ねば、王の座はカストルに回る。カストルは、エリスの言いなりだ。エリスの我がままだけを聞き、シャウラの意見には耳を貸さないに違いない。

(面倒なことになりそうだ)

 エリスと別れ、廊下に出たシャウラは歯ぎしりをした。

「早く見つけ出せ。騎士ども。まったく無能ばかりが残ってしまったな」

(エリスには悪いが、カストルもいなくなる。もう少しだ。そのためにはユリウスを見つけ出すのが先決。死体でも構わない。早く見つけ出すのだ)

 シャウラは目を閉じ、そして大きく天を仰いだ。



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