第13話 月夜の戦闘
雪は闇夜を照らす。木々の入り組んだ場所を抜けると、そこは開けた場所だった。蒼い月明りに照らされたそこで、フェルリンは初めて相手の姿を目にする。
「お前は——」
そこにいたのは、魔物ではなかった。人の形をした、けれど、獣の印を持つ者。
白銀の短い髪に、褐色の肌。頭の上には三角の耳。異常に発達した犬歯。ギラギラと黄金色に輝く双眸は狂気に満ちているようだ。
寒空の下だというのに、晒されている上半身には、無数の古傷が見て取れた。
「お前か。近頃、町の住民を襲っているのは」
フェルリンの問いに、狼のような男は唸り声を上げた。
(獣人のくせに人間の言葉がわからないのか?)
ウルの放った矢が、彼の左肩後ろに突き刺さっているが、そんなものはお構いなしのようだ。左右に分かれて近づいた部隊も姿を見せ、彼を囲むように武器を構えた。中心で対峙していたトルエノは、槍の尻で地面をドンと突くと、それを合図に地面を蹴り、獣人に切りかかった。
トルエノの槍は目に見えぬ速さで獣人を捕らえる。
(殺ったか?)
しかし——。相手は雪を蹴り空中に飛び上がると、その大柄な体格からは想像もできないくらい、機敏に槍を交わす。しかも交わすだけではない。その高速の突きを交わしながらも、トルエノに対し、鋭くとがった指先で反撃を仕掛けていく。
(トルエノとやり合えるとは、かなりの手練れか)
二人のやり取りは、鬼気迫るものがある。命のやり取りをしているのだ。騎士たちは、武器を持つ手を、カタカタと振るわせて、いつのタイミングで加勢するかと計っているようだった。フェルリンは「お前たちは手を出すな」と騎士たちに指示を出した。
(あの中に入ったら、逆に殺られる)
「なかなかやるじゃないか」
トルエノは口元を上げた。
「楽しんでいる場合ではないぞ。トルエノ」
「そうだよ。じいさん。ちょこまかされるとあんたを射抜きそうだぜ」
ウルは弓を構えるのをやめて肩を竦めた。
「日頃の恨みを晴らされたんじゃ、堪らんな……と!」
ウルとの会話に意識がそがれたのか。トルエノは木の根に足を取られて、バランスを崩す。
「おっとっと」
「じいさん!」
狼の獣人の鋭い爪が、トルエノの髭をかすめた。その瞬間、フェンリルが間に割って入る。
バランスを崩し、尻もちをつく寸前のトルエノを退け、トルエノに攻撃を仕掛けた瞬間の無防備なところを殺る。
(もらった!)
フェンリルは自らの勝利を確信した。しかし——。獣人の身体能力は人間を凌駕する。彼はぐっと低い体勢になったかと思うと、すぐに攻撃態勢に戻り、フェンリルへとその鋭い爪を振りかぶった。
今度はフェンリルが退避する番だ。反射的にからだを退け反らせると、獣人の鋭い爪がフェンリルの頬に傷をつけた。
両者は互いに飛び退いて距離を取った。獣人の右肩からは血が滴り落ちる。フェンリルの太刀が当たったのだろう。
一瞬の出来事だった。ほんの少し判断が遅ければ、フェンリルはその爪で切り裂かれていた。
(この男……)
フェンリルは軽く息を整えると、「どうした。かかってこないか」と挑発するように笑みを浮かべて見せる。
獣人は右肩を抑えると、「ち」と舌打ちをし、走り出す。周囲を囲んでいた騎士たちもあっけに取られていたのだろう。彼は騎士の一人を押し倒して森の中に消えていった。
「待て!」
ウルは矢を放ち、それから駆けだそうとする。それを、トルエノが止めた。
「深追いは禁物だ。師団長が一太刀浴びせた。しばらくはおとなしくするだろう」
「けど……」
フェンリルは獣人が消え去った闇を見つめた。
「獣人だったとはな」
「魔物が巣食うこの森で、獣人が生きていくには、それ相応の苦労があるはずです」
トルエノは槍を降ろすと、獣人が消えていった森を静かに見つめた。
「人間たちに追われ、ここで暮らすしか手立てがないのかもしれないな」
フェンリルは小さい声で呟くと、トルエノと同様に黙り込む。しかし、ウルは「ああ、もう」と両手を振って二人の前に立った。
「同情している場合じゃないですよ。二人とも! 町の住民が襲われているんです。あんな凶悪な獣人、保護機関だって難しいでしょう? 見つけたら殺すしかないです」
「ウル……」
「仕方ないじゃないですか。おれたちはみんなを守らなくちゃいけないわけで。獣人の境遇に思いを馳せていたら、こっちが殺られますよ。これでわかったでしょう? 敵はかなり凶悪な奴です。全力で叩くしかないです」
黙り込んでいるフェンリルの様子に気がついたのか。トルエノが「なにか引っ掛かりますか」と尋ねてきた。
「いや。いい。今晩は引き上げよう」
騎士たちから安堵の声が漏れた。
「こうも連日、夜の警備ばかりだと疲弊するものだ。明日は休暇とする。奴も傷を負った。すぐには動けまい。我々も休息をして、体力を取り戻そう」
(ユリウス様が獣人になって現れたのと同時に、また獣人だと……? なにか関係があるというのだろうか。それとも……神の悪戯なのだろうか)
久しぶりの休暇に、喜ぶ騎士たちを横目に、フェンリルは天を仰ぐ。そこには蒼い月が大きく見えた。それはまるで天を覆ってしまうかのような大きさだった。
(なにか不吉なことが起こるかもしれない。用心に越したことはない)
フェンリルは部下たちを連れ、来た道を戻っていった。
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