第14話 美しい瞳と心の音


 夢は嫌いだった。楽しい夢など一つもない。いつも見る夢は悪夢。うなされて目を開けても、再び夢の淵に引きずり込まれる。そんな日々がどれくらい続いていたのだろうか。

 王に即位してから、数年はまともに職務をこなしていた。けれど、それもいつからか難しくなった。医官からは「疲れがたまっているのです」と言われた。自分でも「そうかもしれない」と思った。しかし。起きていられる時間は減り、いつしか夢の世界にいる時間のほうが増えていったのだった。

 眠るのが嫌いだ。夜も嫌いだ。闇はユリウスにとって、悪いことばかり運んでくる。

 けれども、どうしたことか。ここに流れ着いてから、一つも怖い夢を見てはいない。夢を見る余裕もないほど、からだが疲弊しているのだろうか。目を閉じると、深い深い眠りに陥って、次に目が覚めると、いつも彼がそこにいた。

「よく寝ていた」

 心地よく耳に響いてくるフェンリルの声色に、何度か瞬きをした後、はったとしてからだを起こす。彼はユリウスの隣にすっかり横になっていた。

「な、な、な……」

 言葉を詰まらせてフェンリルを見下ろすと、彼は艶やかな笑みを浮かべた。

「なぜ、いつも一緒に寝ている!?」

 やっとの思いで言葉を絞り出すと、彼はその逞しい長い腕を伸ばし、ユリウスの首の後ろに回した。ユリウスはたちまち、元いた場所に戻される。

「ここはおれの寝床だ。寝ていて悪いか?」

「……っ!」

(そうか。邪魔しているのは……。私……、か)

 ユリウスはもごもごと口ごもった。どうしたらいいのかわからないのだ。

(どうしてうまく話せない? この男を目の前にすると、まるで私は子どもみたいではないか!)

 ユリウスは困惑し、ただ黙り込むしかない。そんな様子を楽しんでいるのか。フェンリルは両腕を頭の後ろに組んで笑った。

「師団長様は、豪華な寝床を与えてもらえるのだそうだ。こんな贅沢をしたいわけではないのだが。致し方あるまい。おれが断れば、みんなが困ることは目に見えているからな」

「みんなが、困る……?」

(確かにそうだった。私は、いつも周囲の顔色を窺ってきた)

 王の生活は王宮に管理されている。自由など一つも許されない。一人になることすら儘ならないのだから。

「一緒に寝れば、怖い夢も見ることもないだろう」

「怖い夢……」

「そうだ。拾った時、随分とうなされていた」

 フェンリルの瞳は優しい色を帯びている。気恥ずかしい気持ちになって、ユリウスは視線を外した。

「そ、そ、そう甘えてばかりはいられぬ。私がここにいれば、お前たちに迷惑がかかるだろう」

(いずれ王宮の追手がやってくる)

 ユリウスは自らにそう言い聞かせる。

「記憶を取り戻したのか? 行く当てがあるというのか?」

「い、いや。記憶は……ない。ないが。獣人は研究所で保護されると言っていただろう? お前たちは王宮に仕える身。王宮の命に背く行為は、罰則があるぞ」

「随分と詳しいではないか」

 フェンリルは透き通るような蒼い双眸でユリウスを見つめている。

(直視できぬ!)

 ユリウスはフェンリルを見ては、視線をそらしを繰り返し、そして俯いた。

「そんなものは、記憶がなくとも、普通に考えればわかるものだ」

「そうか?」

「そうだ」

「では問おう。ここを出て、お前はどうするのだ」

「どうって……」

(どうしたらいいかわからない。わからないけれど。……ああ、私は、ここにいるだけで皆に迷惑をかけるのだな)

 ユリウスの胸はぎゅっと締めつけられる。

(私は。存在すら許されぬというのか……)

「森に行く」

「森?」

 ユリウスは窓を指さした。

「森は広い。魔物から逃れられれば、身を隠せるはずだ」

(そうだ。森に身を隠す。そこで死ぬことになるならそれでいい。誰にも迷惑をかけることもないのだ)

 ユリウスは頷いた。しかし——。いつもは優し気なフェンリルの瞳の色が深くなる。彼は笑みを消すと、からだを起こす。最初と一緒。一糸纏わぬ姿に、視線を反らそうとする。しかし、それは叶わない。フェンリルの大きな両手が、か細いユリウスの腕を引っ張ったかを思うと、思い切り抱きしめられたのだ。

 ユリウスの耳が、フェンリルの逞しい胸にぴったりとくっついた。

(温かい。ああ、そして聞こえる。この男の心の音が——)

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