第50話 開戦前夜



 その問いに答えたのはユリウスだった。

「策はある。皆の力を合わせれば、この苦境を乗り越えられる。そのため、我々は力を合わせる必要がある」

 そこにのっそりとオルトロスが顔を出した。

「よう。寝坊かよ」

 彼はフェンリルの顔を見つけるや否や笑った。

「随分と休ませてもらった。お前のお仲間の毒でな」

「人間は軟でいけねぇぜ」

 彼はもう一度、鼻で笑うと、ソファにどっかりと腰を下ろした。

「北の軍団を監視していた奴から報告だ。人間が一人、捕虜になったようだ」

 ランブロスは目を見開く。

「そう心配すんな。この辺の奴じゃねえ。本人は『王子だ』って名乗っていたらしい」

「カストル?」

 驚くのは今度はユリウスの番だ。

「本物かどうかはわからねーぞ。身分が高いと言い張れば命が助かると思ったのかもしれねーけど。逆効果だろう? 戦争中はそういう奴は交渉の材料に使われるもんだ」

 オルトロスは肩を竦めて見せた。

「カストルは一人だったか」

「ああ、そうらしいぜ。仲間割れしたんじゃねえのか。騎士たちに追われていたところ、北の奴らに捕まったらしい。情けねえ男だ」

 ユリウスの瞳は揺れていた。心配しているのだろう。フェンリルは「カストル様は生きていらっしゃいますよ」と言った。

「カストル様は、タウルスの切り札になる。捕虜となっていかされているのでしょう。貴方の記憶が戻らないということは、彼が生きている証拠です」

「確かにそうだ」

「きっとシャウラを脅す材料として捕虜にされているに違いないだろう。それにしても、騎士たちに追われていたとは。シャウラは性根まで腐っているらしい。タウルスとの戦いの混乱に乗じるどころか、オリエンスたちに抹殺を指示したのだろう」

 ランブロスの説明に、ユリウスは拳を握り締めた。

「確かに。駄目な弟だ。だが、それでも。私にとったら、血を分けた肉親の一人でもある。救えるなら救いたい」

「王様は甘いねぇ」

 ウルは笑った。

「血の繋がりなんてどーだっていい。血がつながっていたって、なんの意味もないのにさ」

「ウルは孤児だったからね。血縁の大切さは理解できないかも知れないね」

 隣にいたミーミルは小さく言った。

「確かに血の繋がり以上の絆はある。けれど、血の繋がりは切っても切れないものもあるんだよ。ウル」

「そんなもんかね」

「そうなの。——まあ、ともかく。王様の記憶が戻らない限り、カストル王子は無事だってことだね。それはある意味、便利な指標だけれど。さて、王様の策とやらを拝聴しようじゃないか。ね、王様」

 そこにいたみんなが、一斉にユリウスを見た。ユリウスはみんなの視線を受け、それから口を開いた。



 その日の夜。それぞれは使命を胸に城を発った。残されたウルたちは、戦いの準備に取り掛かっていた。

「あーあ。腹減ったな」

 ウルは弓の手入れをしながら、大きくあくびをした。隣で同様に槍の手入れをしていたトルエノが「食えばいいだろう」と笑った。

「けど、籠城戦になるかもしれないだろう~。食料はとっとかねーとな」

「そんな長くはならんよ」

 トルエノはそばにおいてある、干した果物をむんずとつかむと、大きな口に放り込んだ。

「あー、そんなもったいない食べ方して。どうして長くならないって言いきれるんだよ」

 トルエノはもぐもぐとかみ砕いた後、ごっくんと飲み込んだ。

「私がいるからな」

「はあ? どういう自信? それ、どこから来るんだよ~」

 ウルは呆れて笑った。トルエノも釣られたように笑う。

「住民の避難は終わった。町で略奪の限りを尽くした後、敵は王都を目指すだろう。王都への道は一つしかない。セプテン城の足元だ。その狭い谷間で挟み撃ちで一網打尽ってわけだ」

「それができるから、この城は要塞って呼ばれているんだろうけど。敵さんはおれたちの何十倍もいるって話だぞ。大丈夫なんだろうか」

「まあ、この谷で少しは減らせるだろう」

「他人事みたいにいってくれるな~」

 トルエノは嬉しそうに笑った。

「多勢に無勢の戦か。なかなか楽しいパーティじゃないか」

「戦争馬鹿っていうんだぞ。そういうの」

「ああ、そうだ。私は引退した後も、戦場に行くことを夢にまで見た。私に平和は似合わん。死ぬなら戦場がいい」

「死ぬなんて言うなよ。おれがいる」

「馬鹿言え。お前に守られるほど落ちぶれちゃいない」

 二人は視線を合わせて笑った。そこにミーミルがやってくる。

「二人とも~。武器にこの魔法水をかけてみて。アニシアさんが置いて行ってくれたんだよ。武器の加護が得られる」

 トルエノは「そんなもん、いらん」と首を横に振ったが、ウルが「いいからもらっておこうぜ」と言った。

「そうだよ。世の中、心が大事なんだから。アニシアさんのお心遣いと、みんなを信じる力が、きっとこの戦争、勝たせてくれる」

「ね」とミーミルはウルを見た。彼は「そうだな」とつぶやく。

「そうだ。信じる心。それが力になる。いろいろ嫌なことばっかりあった人生な気がするけどよ。こうして振り返ってみると、まあ悪くねえ。ミーミルっていう友達もできたし。トルエノっていう偏屈な戦友もできたし。おれの人生はそう悪くねえ」

 ウルはミーミルの手から魔法水をもらい受けると、矢の一本一本にそれを振りかけていった。

「だよね。僕も同じ気持ち。好きなことやってきたけど。今、一番わくわくしている。だって、いつもは違う世界にいて、一緒になにかすることがなかったウルと戦えるだんもの!」

 ミーミルはにっこりと笑みを見せた。

 ユリウスはフェンリルとアニシアを従えて南に発った。コルヴィスは援軍を求めるため、兄の元へと発った。

 勝算は限りなく低い。王宮で寝てばかりいた名ばかりの王が、エスタトス帝国と休戦交渉をするというのだ。しかも彼はタヌキの姿になっているのだ。

 ウルは心に燻る不安を消すことができない。

(本当に信じてもいいっていうのか。あのタヌキの王様を)

 心のどこかでは疑っている。けれど、凛とした目を持つ彼を思い出すと、その無茶な作戦が、実現可能にも思えてくる。

 ふと視線を上げると、ミーミルがにこにこと笑みを見せていた。

(こいつは。こんなおれにも、こうして笑いかけてくれた)

 ウルの不安を汲み取っているのだろうか。トルエノはじっとこちらを見つめている。

「なんだよ。じいさん。怖気づいてんじゃねーって思ってるんだろう?」

(死ぬのが怖いって初めて思った。今までは、どうなったっていいって思っていたのに)

 ウルはトルエノを見つめ返す。すると、彼は首を横に振った。

「若い頃から、何度も死線を乗り越えてきた。だが、戦いの前のこの不安は、何度経験しても消せないものだ」

 半分、からかうように「なんだよ。じいさんも怖いのか?」というと、彼は「ああ、怖いさ」と言った。

「こんなに老いぼれになっても、心に浮かんでくる不安は消せない。死が怖いわけじゃない。けどな。この戦いがどうなるのか。先が見えんから、いつも不安になるものだ」

 トルエノは笑う。

「無鉄砲なことがいいわけではない。時には、恐怖や不安などの感情も必要だ。みんなが同じ気持ちだ。この戦い。王の動向にかかっている。間に合えばいいが……。我々ができることは信じて城を守ることだけだ」

 彼の長い戦士としての経験からくる言葉だ。その意味は重い。ウルはしっかりとそれを受け止めた。

「怖いぜ。正直言うと。けど。みんながいる。おれは一人じゃねえ」

「うん。そうだよ。きっと大丈夫だよ」

 ミーミルはウルとトルエノの肩をバシバシと叩いた。すでにタウルスの軍勢は町に差し掛かっている。決戦の時はもう目の前に迫っていたのだった。




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