第18話 騎士たちと生きるために必要なもの



 夕刻になった。コルヴィスの仕事は多岐にわたっていた。今までよく一人でやってきたものだと思いながら、言いつけられた仕事を黙々と片づけていった。燭台の炎が揺らめき、二人の影が濃くなる頃、コルヴィスが「今日は終いだな」と言った。

「続きは明日だ」

 ユリウスが手を止めると、コルヴィスは「ここを出たら、左にまっすぐ行くと突き当りが食堂だ」と言った。ユリウスはさらに小さく頷いてから、コルヴィスの部屋を後にした。

 廊下に出ると、どこからともなく、食べ物の匂いが漂ってくる。ユリウスは、コルヴィスに言われた通り、真っ暗な廊下を壁伝いに歩いた。

 先ほど整理していた帳簿を思い出す。灯りの燃料である油は随分と節約しているようだった。だから、この城の中は夜になると暗いのだ。暖を取る薪は森からいくらでも調達できるが、高価な油はそうはいかないということだ。

 やっとの思いでたどり着いた木製の扉を押すと、中には幾人もの騎士たちが食事をしているとことだった。こんな辺鄙な場所では、食べることが一番の楽しみなのかもしれない。大きな木樽ジョッキに葡萄酒を注いで、談笑している者が多かった。

 どうしたものかとそこに立っていると、背後から両肩を掴まれた。

「ひい」

 驚いてしっぽが縦に震える。しかし、すぐに耳元で低い優しい声が聞こえた。

「仕事をしていたか」

 ユリウスが顔を上げると、そこにいたのはフェンリルだった。

「コルヴィス、じゃなかった。コルヴィスのところで書類の整理をしてきた……、じゃなかった。してきました……」

「そうか、ご苦労だったな。では、食事にしようか」

 彼に連れられて中に入ると、騎士たちはユリウスのことを見た。王宮では、人をじろじろと眺め回すのは、不躾で礼儀知らずと教わったものだが、そんなことは関係ないらしい。みんなが興味の対象としてユリウスを見ていたのだ。

 ユリウスは居心地が悪くなり、思わず声を上げた。

「よろしく、頼む」

 すると、騎士たちは互いに顔を見合わせた後、笑い出した。

「新しい仲間がタヌキかよ」

「こりゃ面白れぇ」

「名前、なんっつーんだっけ?」

 するとウルが「ポコタだ。おれが名付け親だぜ」と言った。ウルの隣にいるトルエノは「ポコタは自分の名前も思い出せないらしい」とつけ加えた。

「ポコタか」

「ポコタ……。お前。自分の名前も忘れちまうなんて。苦労したんだろうな」

 ユリウスの何倍も大きい男たちは、彼の周りによって来た。

「えっと……」

 言葉に窮してしまうが、そんなものは関係ない。彼らはユリウスの肩を叩いたり、そばで泣き出したりした。

(なぜ、泣く……)

 どうしたものかと困っていると、フェンリルが「お前たち。ポコタが困るだろう? 席に戻れ」と言ってくれた。

「ポコタはコルヴィスのところで仕事をすることになる。なにか困っていたら相談に乗ってやってくれ」

「わかりました。師団長」

 口ひげを蓄えた騎士が「なんでも言ってくれ」と声をかけてくれる。隣にいた初老の男も「相談に乗るからよ」と笑った。

(みんな、気持ちのいい人たちばかりなのだな)

 ユリウスは心がぽかぽかと温かくなった。すると、ウルが「師団長」と声をかけた。

「夕食が終わったら出発します」

 フェンリルは「すまない。疲れているだろうが……」と答える。

 なにかあったのかも知れない、とユリウスは思った。今晩は森の見回りは休むと言っていたはずだが、ウルはどこかに行くようだった。ウルは首を横に振る。

「いや。おれが自分で志願したんです。気にしないでください」

「危なくなったら、応援を待て。一人で無茶はするな」

「わかってますよ。そのかわり、あいつを借ります」

「ああ、好きに使うがいい」

 彼はニヤリと笑みを浮かべると、葡萄酒をあおっているトルエノの肩を叩いて、さっさと食堂を出て行った。ユリウスは不安な気持ちになり、フェンリルを見上げる。すると、彼は何事もなかったかのように、食堂の説明を始めた。

「ここでは自分で食事をとりに行く。最初に席を確保しろ。ナプキンを置いておけば、他の奴は座らない」

「わかった」

 フェンリルはユリウスを窓際の空いている席に案内した。教えられた通り、テーブルの隅に置かれているナプキンを一枚取り上げてから、そっとテーブルに置いた。それから、フェンリルに連れられて、食堂の奥に足を運ぶ。そこには、トレーが何枚も重ねられていた。

 フェンリルはトレーを一枚取り上げると、隣に山積みになっているパンに手をかける。

「パンは多くて四つまで。自分の食べられる分だけ取るのだ」

 黒くて、堅いパンだった。ユリウスの手の平より少し大きいくらいだ。ユリウスはパンを一つ取り上げて、トレーに載せた。

 それからフェンリルは、隣にある皿を一枚持ち上げると、銀色の鍋からスープを注いだ。

「おかわりは二回までというきまりだそうだ」

 赤い色をしたスープの中に、野菜がごろごろと浮いている。見たこともない料理だった。

「お前の口には合わない代物かもしれないぞ」

「大丈夫だ。腹が減っている。今ならなんでも食べられそうだ」

「なんでも? 魔物の肉でもか?」

 ユリウスはスープを注ぐ手を止めた。フェンリルは笑った。

「魔物の肉など食えるか。安心しろ。スープには入っていない」

「からかうな」

 むっとしてフェンリルを睨みつけてやるが、彼はお構いなしだ。さっさと、ナプキンを置いた席に歩いていく。ユリウスも慌てて彼の後を追った。

 それから、二人は向かい合い、食事を始める。ユリウスはさっそくパンを千切ろうとしたが、うまくはいかなかった。

(なんだこれは。固い。パンと呼べるのか?)

「ここのパンは固い。スープにつけて食べろ」

 周囲をうかがうと、静かに食べている者などいない。ユリウスは諦めて、パンをそのままスープの中に入れた。

「かぶりつけ」

 フェンリルは口元を上げた。ユリウスは言われた通り、パンにかぶりついた。その瞬間。口の中に塩辛いスープがじんわりと広がる。そして、遅れてパンの食感がやってくる。

「口に合うか?」

 スープに浸していたとしても、まだまだ噛み切れないほど固いパンを必死に噛む。それから、すべてを飲み込んだ後、口の中に残っている食べ物の後味。確かに「美味しい」とは言い難い。ただ塩気の強いものだった。けれど、野菜と肉の味がしっかりと伝わってくる。

「初めて食べる味だ」

「毎日、代り映えのしない料理だが、食べるしかない。生きるためにはな」

 ユリウスは首を横に振った。

「初めて食べる味だが、嫌いではない」

「そうか?」

「素材の味がする。これはこれでよいものだ」

 フェンリルは「ふ」と笑った。

「なぜ笑う?」

「いや。いい。それでいい」

「おかしな奴だ」

 ユリウスはそこではったとした。フェンリルは自分がいつもの口調で話すことを許してくれる。だが本来であれば、ユリウスは保護された獣人であり、居候。この場所では最下位にいる立場だ。この城を守る騎士たちの頂点にいるフェンリルには、敬意を払うべきなのだ。

「言葉が」とユリウスは言い訳がましく言った。

「言葉がわからない。すまない。こんな物言いしかできない。お前には感謝しているのだ。これでも」

「畏まった物言いをしたのでは、お前らしさに欠ける。それにここで言葉遣いを気にする奴は、コルヴィスくらいなものだ。気にすることはない」

 フェンリルは笑みを浮かべた。彼の笑みは艶やかだ。蒼い瞳がきらりと光った。ここにきてからずっと、ユリウスはフェンリルのことばかり考えていた。




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