第22話 戦いの予感


 翌日。目を覚ますと、隣にフェンリルの姿はなかった。ふかふかで動きにくい寝具をかきわけて、ユリウスはやっとの思いでベッドから這いだした。それから、姿見の前で身支度を整えて、廊下に顔を出してみる。

 そう寝坊したわけではないはずだ。しかし、いつもは朝食を食べるために往来している騎士たちの姿が見えなかった。視線を巡らせながら、歩みを進めていくと、中庭から騒々しい音が聞こえてくることに気がつく。

 慌てて窓に駆け寄り外の様子を伺った。中庭には、騎士たちが整列をしているところだった。彼らは森に探索に行く時のように、鎧を身に纏い、武器を携えていた。

 ただ事ではないと思った。ユリウスは慌てて階段を駆け下りると、中庭へと続くテラスから外に出た。

「何事なの?」

 直立の姿勢のまま、すっくと立ちつくしているコルヴィスの隣に駆け寄っていくと、彼は慌てて手に持っていたローブをユリウスの頭からかぶせた。

「町民も来ている。姿を晒すな」

「ごめん。でも……」

 ユリウスはそっとローブの合間からコルヴィスを見上げる。彼は騎士たちから視線を外すことなく言った。

「昨晩、町の洋服店主が襲われた。店主は命は取り留めたようだが、まだ意識が戻らない。町民たちは、犯人と思しく獣人に報復合戦をしかけたいそうだ」

「報復って……」

 よくよく見ると、騎士たちの周囲には、町民たちの姿も混ざっている。彼らは怒りの声を上げている。

「ここのところ、獣人に襲われている町民が絶えない。不満がくすぶっていたのだが。とうとう爆発したようだ。今朝、洋服店主の事件を聞きつけた住民たちが、城に押し寄せてきたのだ。町民を襲っていた犯人が、魔物ではなく獣人だったということも洩れたらしい。ここにいる奴らは、仕事はできるが、あちらこちらからの寄せ集め。酒でも入れば、口は軽くなる。致し方ないことだ」

「そんな……」

 ユリウスの脳裏には、昨晩、出会った獣人の顔が浮かんだ。

「止められないのか?」

 コルヴィスは細い眉を吊り上げた。

「何故、止める必要がある? 仲間が傷つけられた。皆、腹立たしく思っているのだぞ。お前は獣人だから、獣人の肩を持つのだな。まさか。獣人の間者ではないだろうな?」

 コルヴィスはユリウスに手を伸ばす。

「ここでお前の姿を晒せば、お前は間違いなく町民たちに粛清される」

 ユリウスは言葉を失った。姿形で迫害されるのか。それがこの国の現状だというのか。悔しくて、悲しくて、息が詰まりそうになった。だが——。

「やめろ。コルヴィス」

 その声は、静かで低いものだった。しかし、その静かさの中に、人を震え上がらせるような威圧的な色がある。コルヴィスは弾かれたように、ユリウスに向けて伸ばした手を引っ込めた。

「ポコタから手を離せ」

 フェンリルの眼光鋭い視線に、コルヴィスは委縮し、一歩後ろに下がった。それを横目に、フェンリルはユリウスの目の前までやってくると、かがみ込んだ。

「これから森へ行く。町民たちが森で襲われた場所と、おれたちが遭遇した場所から、獣人たちが潜んでいる場所に目星がついた。お前はコルヴィスと一緒に、ここにいること。外に出るな。町の者たちは、獣人に対して敏感になっている。怪我では済まないぞ」

「しかし。あの者は……違うのだ」

「なにが違うというのだ? なにか知っているとでも?」

「昨日、会った。狼の獣人だった。右の肩に切りつけられた傷があった。お前がつけたものだろう?」

「なに?」

 フェンリルは目を見開き、ユリウスの両肩を捕まえた。

「どこで会ったのだ?」

「町で。お前がいなくなった後。あの男と会った」

「なにかされたのか?」

 ユリウスは首を横に振る。

「子どもが生まれるのかもしれない。子の服を抱えていた。あの男は、人を襲うために町にきたのではない。ただ、そこで店主に勘づかれて……」

 フェンリルはなにか考え込むような仕草をした後、「それから他には?」と言った。ユリウスは必死に昨晩のことを思い出す。

「獣族たちは人間を襲いたくて襲っているのではない。あの者たちは、自分たちの居場所を守りたいだけなのだ。言葉は通じる。話をして欲しい。力に任せるのではなく、対話が必要だ」

 フェンリルの後ろでは、町民たちが血気盛んに「打倒、獣人」と叫び声をあげている。フェンリルはそれを一瞥してから、ユリウスに視線を戻した。

「やってみるが、交渉決裂もあり得るだろう」

「その時は致し方ない。お前たちは、町の民を守るためにここにいるのだからな。けれど、お前ならできる。なぜだかわからないが。私はそう確信している」

(そうだ。フェンリルなら大丈夫。きっと。町の民も、そして獣人も。皆を救える)

 理由はわからないが、ユリウスはそう確信していた。フェンリルは小さく頷くと、部隊に戻っていく。彼の合図と共に騎士団を先頭に、そこに集まっていた町民たちも中庭から出て行った。

 なぜだろうか。町の住民たちよりも、獣人よりも、フェンリルのことが心配になった。

(大事にならければよい。フェンリル。無事に帰ってこい。無事に——)

 ユリウスはフェンリルの無事を祈りながら、いつまでもその場に立ち尽くしていた。

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