第21話 儚い夢と温もりと


 振り返ると、フェンリルの安堵したような笑みを浮かべていた。

(ああ、なぜだ。この男は。どうしてどこの誰かもわからぬ私を気にかけるのだ)

 ユリウスは胸がチクりと痛んだ。フェンリルに優しくされるほど、彼を覚えていたという事実が、ユリウスに罪悪感を抱かせる。

「心配した」

「すまない。おもしろいものがたくさんあってな。つい、見ていたら歩き回ってしまっていた」

「まったく。相変わらず好奇心旺盛だな」

「そ、そんなことはないぞ。それより、どうだったのだ。事件は」

「ああ」

 フェンリルは頷く。

「姿形からして、おれたちが追っている獣人が、この騒動に乗じて町に入り込んだようだ。洋服店主は命を取り留めた。傷は致命傷ではなかった。店主は元々、時々意識を失うような病を抱えていたようで、今回も襲われた衝撃でその発作が起き、倒れていた、というわけらしい」

 フェンリルは自分の左腕を突き出して、右手で、斜めに切るような仕草をした。

「まあ、傷はこんなものだ。防御しただけだろう」

「防御……。獣人も、店主を殺そうとは思っていなかったのだろうな」

「ああ。妻の話では、子どもの服を何点か求めていったそうだ。……子もいるのだろうな。奴のアジトには」

「そうか……」

 ユリウスの脳裏に、先ほどまで一緒にいた獣人の顔が思い浮かぶ。

(悪い奴には見えなかった。悪意があって人間を襲っているのではないだろう。自分の正体でも見られたのかも知れないな)

 ユリウスはほっと息を吐く。すると、フェンリルが怪訝そうな表情を浮かべた。

「なにか思うところがあるようだな」

「いや。ただ……獣人が人殺しをしなくてよかったと思った。それだけだ」

「なぜだ?」

「なぜって。……おれも獣人だからな。人殺しなどしてほしくないと思っただけだ。深い意味はない」

 フェンリルは「ふうん」と目を細めてユリウスを見る。

「まあ、店主が意識を取り戻せば、色々とわかるだろう。——それにしても、ずいぶんと奴に肩入れするじゃないか。妬けるな」

「妬けるとはなんだ? どういうことだ?」

 ユリウスが問い返した瞬間。突如、ぱっと視界が明るくなった。そして、ドンと腹の底に響くような轟音が鳴り響く。ユリウスは驚いて飛び上がった。それから、思わず耳を両手で覆う。

「なんだ!? これは!」

 恐怖でしっぽが一回りも太く膨れあがる。ユリウスは思わずフェンリルにからだを寄せた。すると、彼の逞しい腕がユリウスの腰に回り、引き寄せられた。

「見ろ」

 彼は驚く様子もなく、漆黒の夜空を指さす。それにつられて顔を上げると、暗闇を切り裂くように、ヒュルヒュルと白い光の玉が地上から空に向かって上がっていく。その直後、玉は弾け飛んだ。黄金色、銀色の美しい光が放射線状に広がって「ドン」という音が鳴る。

花火イグーネス・フェスティーだ」

「これが……? 本で読んだことがあるが……」

「見たことはなかったか?」

 ユリウスは頷く。

「この地方の名物だ。火薬を玉にして、空に打ち上げると、上空で砕け散る」

 ドン、ドンと次々に広がる光の輪。ユリウスは夢中になってそれを見つめていた。

「これを見せたかった。祭りの目玉だ」

「美しいものだ」

「そうだろう? おれも好きだ。王都からこの地に流されてきて、初めて見た時。どうしても見せたい人がいた」

「見せたい人?」

「ああ」

 フェンリルは夜空を見上げながら、まるで上の空のように小さく頷いた。

「見せてあげられたのか。その人に」

「そうだな……。見せることができたようだ」

 肩に置かれたフェンリルの手の平の熱を感じながら、ユリウスは夜空を見上げる。

(そうか。フェンリルには大事な人がいるのだ)

 ユリウスの胸はぎゅっと締めつけられた。

(私はどうかしている。こんないい男だ。大事な人がいても当然だ。なにを勘違いしている。少しばかり優しくされたからと言って。私は。私は——ただの獣人だ)

 フェンリルに優しくされて、勘違いをしている自分を、ユリウスは恥じた。闇の中に次々に現れる光たちは、煌めいては消えていく。儚い、刹那の美。まるで命のようにも見える。

「私は……」

 ユリウスの瞳から、涙がこぼれた。フェンリルの大きな手が、ユリウスの震えている手を握った。ユリウスはその手をぎゅっと握り返す。どうしてそうするのかはわからない。けれど、ただ今は。彼の温もりに縋りたかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る