第51話 皇帝


 爽やかな風が額の髪を騒がせる。背中に感じる温もりに、ユリウスは心が熱くなっていた。

「エスタトスはもう目の前だ」

 隣の竜に跨るアニシアの声が聞こえた。

「やはり竜は早いですね」

 頭上からフェンリルの声が聞こえてきた。ユリウスは幾分緊張している心を抑え込むように、じっと黙り込んだ。すると、ユリウスを支えてくれるフェンリルの手に力がこもった。

 ユリウスはただ黙ったまま、フェンリルのその大きな手に自分の手を添えた。

(王として大した職務もこなしてこなかったというのに。突然、初めての公務がこのようなことになろうとは……。甘えてきた罰だ)

「エスタトスには縁があるのですか」

 ユリウスの問いに、アニシアは口元を緩める。

「我々は国という概念には縛られぬ。救いを求めてくる者には手を差し伸べる。エスタトス前皇帝とは少し交流があった。お前もそうではないのか」

 ユリウスは「ええ」とだけ呟くと、地上に降り立つために速度を落とした竜にしがみついた。


 

 エスタトス帝国は、ユリウスの国よりも規模が大きい。城の周囲には、無数に商店が広がる。たくさんの人が行き交い、まるで祭りのような賑わいだった。商店もユリウスが今までに見たこともないような品が並ぶ。ここは、交易の中心だ。あちらこちらから商売を生業にした者たちが集まるのだろう。

 ユリウスはアニシアから離れないように、必死についていった。彼女は脇目も振らず、まっすぐに城門に辿り着くと、首元からネックレスを外すと、それを衛兵に手渡した。

「これを皇帝へお渡ししてください。北のアニシアが来たと」

 衛兵はネックレスを預かると、姿を消した。ほどなくし、城門は開かれ三人は中へと招き入れられたのだった。

 三人は衛兵たちに囲まれ、広間へと招かれる。そこには、一人の若い男が待っていた。

「どうされた。貴方から顔を見せるなど。珍しい。しかも。おやおや。なんとも可愛らしい客人だ」

 すらりとしたいで立ち姿。ふかふかの深紅のマント。鳶色の艶やかな長い髪は一つに編まれ、頭上には黄金色の小さな冠が乗っていた。髪色と似たような瞳は、ユリウスを見ていた。

「今日はメサイ様にお願いがあって参ったのです」

「ほう。アニシア殿が私に?」

「いいえ。お願いがあるのは、私ではない。ここにいる——彼です」

 ユリウスは皇帝メサイに一礼をした後、まっすぐに彼を見据えた。

「昔々……美しいオウムがいた。七色の翼を持つ珍しいオウムだった」

 ユリウスを見ていたメサイは「ほほう」と目を見開いた。

「オウムは歌う。いつも同じ歌だった」

月明りランプラー・セレーネ……。月あかりと、美しい女の恋の歌」

 ユリウスは続ける。

「オウムの名はミミシ。模倣する鳥という意味でつけた……」

 メサイは「ユリウス」と言った。

「お前はユリウスなのか? 一体、その姿はどうした」

「メサイ。久しいな」

「子どもの頃以来。ミミシはお前がくれたオウムだった」

「歌を教えたのも私だ」

 メサイが差し出した手をユリウスは握り返した。

「どうやら、その姿。そしてアニシアの来訪。これはお前の緊急事態のようだ」

「そうだ。今日は頼みがあって来た」

「頼み?」

「休戦を申し込みたい」

 ユリウスは頷いて見せる。

「もっと早くにこうするべきだった。互いに先代が始めた戦いだ。私たちがいがみ合う必要はない」

「だが、矛を収めるにはそれ相応の理由が必要だ。そうだろう? ユリウス」

 メサイは口元を緩めた。

「城下を見てきたか? 我々には豊富な貿易力がある」

「人が行き交い、国は潤う。我々は国を閉ざしすぎたと反省している。武力ではなく友好的に国交を昔の状況に戻したい」

 ユリウスの言葉に彼は目を細めた。

「我々との国交回復が、お前の危機を救うのか?」

 メサイという男は、大国を背負うだけの賢さと先見の明を持つ。だからこそ、ユウリウスとも話が合った。父同士が交流をしていた時代。二人はよく国の現状や将来について話をした。まだ幼く、それは夢物語のようなものでもあったが。それでもユリウスにとったら楽しい時間であったことには違いない。

 あれから数年。メサイは帝国を治める皇帝として、大成していた。ユリウスは嘘偽りは通用しないと判断し、正直に答えた。

「国内で内乱が起きている。兵士が欲しい。お前たちと戦う南部戦線の兵が必要なのだ」

「国を治めきれなかったか。ユリウス」

「ああ、私は愚かな王だ。だが、過去の自分を悔いても仕方がない。今目の前にあるできることをしたい。それでここまでやってきた」

「そうか」とメサイは小さくつぶやいた。それからしばらく黙っていたが、「わかった」と笑った。

「お前にはいろいろな借りがある。それに国交回復は我々にも嬉しい報だ。休戦に同意しよう」

 彼が指を鳴らすと、どこからか男が一人姿を現した。メサイは彼になにやら耳打ちをする。男はあっという間に姿を消した。

「部隊を引かせる。約束は守れ」

 彼はにっこりと笑みを見せた。ユリウスはそれに笑顔で答えることなく、「わかった」とだけ答えると踵を返す。

「ユリウス。お前が無事、王の座に座った暁には、祝杯でも挙げようぞ」

 メサイの言葉が背後から聞こえた。ユリウスは両手を握りしめて、そのまま広間を後にした。

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