第28話 中庭の戦い
中庭が一望できるその窓から外を覗き見ると、中庭にいた女中が、なにか大きな黒い体躯を持つ者に襲われそうになっているところだった。
「
コルヴィスは眼鏡を押し上げると、「ポコタはここにいるように」と叫んで、部屋を飛び出して行った。
「コルヴィス! どうするつもりだ!」
ユリウスはコルヴィスの後を追った。
「城に騎士はいない。留守を預かった身。私がなんとかする」
「なんとかって……」
どうみても戦闘に向かない体格をしている男だ。
(一人では無理だ!)
ユリウスはコルヴィスを追いかけて、長い廊下を駆け抜ける。コルヴィスは見た目に反して、かなり機敏に動き回る。しばらく伏していたおかげで、すっかり体力が落ちたユリウスでは、到底追いつけない。
眼下に広がる長い階段を見下ろしてから、ユリウスは周囲に視線を巡らせる。すると、手すりが視界に入った。ユリウスは「よし」と自分に言い聞かせるように頷くと、そのまま手すりに飛び上がった。それから一気に手すりを駆け下りる。
(これがタヌキの力?)
獣人とは、人間にはない能力が付加されるということ。ツルツルに磨かれた細い手すりを、まるで綱渡りのように駆け下りるなど、人間には至難の業である。しかし、ユリウスのタヌキの力は、それを成し遂げてくれたようだ。
(タヌキとは、なにが得意なのだ?)
そんな疑問を抱きながら、ふわりと着地をすると、中庭へと続く廊下の奥から、女の悲鳴と、なにか鋭いものがぶつかり合う音が聞こえた。ユリウスは音のする方に一目散に駆けて行った。
廊下の突き当りには、抱き合い、ブルブルと震えている女中が二人いた。
「ああ、ポコタ様!」
「助けてください。コルヴィス様がおひとりで」
「逃げ遅れた子がいるんです!」
ユリウスは二人の肩をつかんだ後、小さく頷くと、すぐに中庭へと足を踏み出す。そこには、あの夜。町で出会った狼の獣人がいた。彼の後ろには数人の獣人たちの姿もある。
(なんで……? フェンリルは彼に会いに行ったはずなのに……!)
コルヴィスは細身の剣を振り、狼の獣人を追い払おうと逃げ遅れた女中の前に立っていた。華奢な体つきだが、貴族の出だ。剣術のたしなみはあるらしい。
「去れ。ここはお前のような者がくる場所ではない」
コルヴィスは臆することなく、狼たちと対峙していた。ユリウスは感心した。多勢に無勢という状況で、コルヴィスは果敢にも任務を遂行しようとしているのだ。
ユリウスは次にコルヴィスの向いに立つ狼の獣人を見た。あの夜とは違い、顔を覆うフードはない。褐色の肌に、黄金色の瞳が輝く。髪は白髪で、その頭上には、とがった狼の白い耳が生えていた。彼は発達した犬歯をギリギリと噛みしめて、低い声で唸った。
コルヴィスの後ろには、女中が一人腰を抜かして座り込んでいる。ユリウスは小さい声で女中を城の中に退避するように促すが、彼女は「助けて、助けて」と何度も叫ぶばかりで、一向に動く気配はなかった。ユリウスは致し方なく、女中の元に駆け寄る。
「なぜ、出てきたのだ!」
コルヴィスは少々、怒ったような口ぶりでユリウスを咎める。
「しかし。コルヴィス一人では……」
「私は、なにかを守りながら戦えるほど、剣の腕前はよくないのだ。足手まといになる」
「すまない」
ユリウスはそっと狼の獣人を見上げた。彼はコルヴィスではなく、ユリウスをじっと見下ろしていた。それから、ふと表情を緩める。
「おれたちは、お前を迎えに来た。人間の世界にいるとろくなことにはならない。おれたちと一緒に来い」
彼はユリウスにそっと手を差し伸べる。鋭くとがった爪が見えた。
「一緒に来い」
「しかし。私は——」
ユリウスが言葉を濁すと、「そうだ」とコルヴィスが言った。
「この者はお前とはいかない。ポコタにはここでやってもらいたい仕事が山ほどあるのだからな」
狼はコルヴィスに視線を戻すと、「ぐるぐる」と唸った。
「黙れ! 人間は嘘つきだ。お前たちの言葉は信用しない。捕まった仲間たちが、どれほど辛い思いをしているか。お前にはわかるまい」
「我々は、獣人を保護しているだけだ。彼らは、辛い思いなどしていない」
「保護だと? それが余計な世話だというのだ。おれたちは、おれたちで生きる。お前たちには干渉される筋合いはない。さあ、来い。タヌキ。一緒に森に帰ろう」
狼の手はユリウスに伸ばされる。しかし——。コルヴィスの剣が閃光を放つ。狼は剣先で切られた腕をかばうように、後ろに飛びのいた。
「貴様、死にたいようだな」
「洋服店で揉め事を起こしただろう? 今頃、町の人間たちが、お前たちの住処に到着しているころだぞ。いいのか、こんな場所で油を売っていて」
コルヴィスの言葉に、狼は目を見開いた。後ろにいた獣人たちも顔を見合わせる。
「オルトロス! 早く帰ろう」
「みんなが心配だ」
しかし。狼は視線を上に向けた後、両手を振り上げて、コルヴィスに襲い掛かった。
「クソ、人間が! こいつはもらっていく! それからでも遅くねぇ!」
コルヴィスはその一撃を剣で受け止めた。——かに見えたが、狼の一撃は、コルヴィスの剣をも吹き飛ばすくらいの破壊力があったようだ。コルヴィスの手から、剣がはじき飛ばされ、二人の対峙する場所から少し離れたところの地面に突き刺さった。
狼は間髪を入れず、その鋭い爪を突き出し、コルヴィスに向かって振り下ろす。ユリウスはタヌキの健脚を利用し、コルヴィスの剣の元に駆け寄ると、あっという間にそれ引き抜き、二人の間に躍り出た。
「ダメ!」
ガキンと金属と爪が接触する音が響き渡る。
「なに!?」
「ポコタ!?」
狼は驚き、そして後方に飛び退いた。ユリウスは剣を構え、そしてコルヴィスを背に狼と対峙した。
ユリウスの頭がズキズキと痛むが、構っている暇はない。
「こんなことしている場合か? 人間たちがお前の仲間の元に向かっているのだ。早くみんなのところに戻り、話しをするのだ。人間と」
「話、だと?」
「そうだ。こうしてお前は、私とは話ができるのだ。きっと分かり合える。信じろ。私を」
ユリウスは剣を降ろすと、自分よりも何倍も大きな狼をまっすぐに見据えた。狼の瞳から、闘争の炎が消えていくのがわかった。
「私も行く。連れていけ」
「——わかった」
彼は小さく頷くと、ユリウスを抱え上げる。コルヴィスは「ポコタ」と声を上げた。
「大丈夫。必ず戻る。約束する」
「しかし、フェンリル様とのお約束が……」
「心配するな。私に任せておけ。お前は女中たちを見てやれ」
ユリウスが笑みを見せてやると、コルヴィスは観念したように肩を落とした。
「また怒られる。私は……」
「そう落ち込むな。——さあ、行こうか。……お前、名はなんという?」
「オルトロス」
「オルトロスか。番犬の名だな」
「そういうお前は?」
「私は……。ポコタだ」
オルトロスは鼻で笑ったかと思うと、地面を蹴った。後ろにいた仲間たちもオルトロスに続いて駆け出した。
狼の足は、タヌキよりも断然に早い。ユリウスを抱えたまま、オルトロスは城を去ると、白銀の森の中に入っていった。
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