第27話 孤独と忠誠心
フェンリルたちが出て行った後、ユリウスはいつも通り、コルヴィスの手伝いをしていた。しかし、コルヴィスもさすがに落ち着かないようだ。いつもは終わるまで立ち上がることのない彼が、何度も窓辺に歩み寄っては、机に戻るという行動を繰り返していた。
その様子を眺めながら、ユリウスは黙って書類の整理を続けていた。すると、ふと彼が「なんです」と言った。ユリウスが見ていることに気がついたのだろう。ユリウスは「いいえ」と答えるが、彼はもう一度、「なにか言いたいことがありそうだな」と言った。
ユリウスは手を止め、それからコルヴィスを見据えた。
「心配しているのだろうな、と思ったのだ」
「心配だと?」
彼は細い眉を吊り上げた。
「まるで愚かな行為だ。ばかげている。復讐? 弔い合戦? そんなことはまるで無意味」
彼は少々、興奮したように声を荒上げた。コルヴィスにしたら珍しいことである。
「洋服店主は死んではいない。しかも傷は軽傷。倒れたのは持病だという。それで
「そうだな。私もそう思う」
(みんな気が立っているだけだ。得体の知れぬ存在に、人は大いなる恐怖を抱く)
「みんな怖がっているだけだ。きっと会ってみればわかる。わかりあえる」
ユリウスの言葉に、コルヴィスは口を閉ざし、それから視線をそらした。
「大事なものが失われなかった。その幸運に感謝すべきだ。相手を糾弾しても意味がない」
「確かに。その通りかもしれぬ。今回は幸運だったのだ。店主の病状が悪ければ、危うく命を落としていただろう」
「失われたものは、どんなことをしたって取り戻せない。悲しみを怒りに変えても、大切なものは戻らない。感謝すべきなのだ。神に。その幸運に」
コルヴィスはそれっきり黙り込んだ。彼の横顔には、なんとも言えない複雑な心の内が見て取れた。ユリウスはコルヴィスの横顔を眺めてから低い声で話しかけた。
「コルヴィスはそういう経験があるようだな。大事な人を失った経験が」
彼は弾かれたように顔を上げると、ジロリとユリウスを見た。
「ポコタ。人の心に踏み入るときは、礼儀が必要だ」
「そうだな。すまない。不躾だ」
ユリウスは素直に謝罪をする。すると、彼は大きくため息を吐く。
「私は誰も信用しない。人を信じれば、必ず辛い思いをする。大切なものを失いたくなければ、得なければよい。一人は気が楽だ。私は一人がいい」
彼の目はどこか憂いを帯びていた。
「コルヴィスには大切な人がいたのではないか?」
「大切な人など、もういない。私は一人だ」
「そうか。そう……。コルヴィスも一人、なのだな」
彼はユリウスを見ていた。同情でも哀れみでもない。彼はただ、まっすぐにユリウスを見ていた。
「ポコタ。他者に心寄せるな」
(もしかしたら、コルヴィスはたくさん、辛いを思いをしてきたのかも知れぬ。この人は心が傷ついている人なんだ……。ああ、そうか。私と一緒だ。もう誰もいない。みなが離れていく。失いたくなければ、ずっと一人でいればよい。確かにそうだ。だがしかし)
「だが、ここにいる者たちは違う。何故だろうか。私はそう思ってしまう」
「——聞いたのだろう? 私はシャウラ様のためにここにいる。私は私の意志でここにいる。他の者たちのように、嫌々送られてきたのではない」
「シャウラは、お前になにを与えてくれるのか」
「シャウラ様は、私に居場所を与えてくださる。前王の暗殺を企てた一族の子である私を。あの方だけが、優しくしてくれるのだ」
(お父様の暗殺だって?)
ユリウスはそこではったとした。ノウェンベルクが急死したのは、病死ではなく、暗殺であった、とシャウラから聞かされた。シャウラは「反乱分子には徹底的な制裁を」と上申してきた。
あの時の自分は幼く、そして、父を失ったというショックで冷静さに欠けていた。
(もっと詳しく精査すべきだったのだ。シャウラの言葉を信じるのではなかった)
ユリウスは、シャウラに言われるがままに、貴族たちを処罰することに同意した。今考えると、刑罰の重さも、シャウラが決めていた。ランブロスのように、重い刑罰を科せると、他の貴族たちから不満が出るような者は、命までは取らずに、辺境の地へと飛ばしたのだ。そのうち、頃合いを見計らって始末しようという魂胆だったのかもしれない。
今となってはわかることも、当時のユリウスにはちっとも理解できるような話ではなかった。
(私は盲目の王だった。フェンリルのいう通り。頼りない。国民からも見放された王だったのだ)
ここにいる騎士たちがユリウスの正体を知ったら、きっとただでは済まないだろう。だがしかし。タヌキの獣人に成りすまして、やり過ごすことは到底できなかった。
ユリウスは改めて目の前にいるコルヴィスを見た。
「お父様の名はなんという……?」
コルヴェイスは視線を伏せ、「ウィルトゥース侯爵だ」と答えた。ユリウスも釣られて俯く。
(父が懇意にしていた者だ。あの一件から、名を聞いたことはない)
「お父様は、どうされたのだ」
「死んだ。先祖代々守ってきた領地を追われ、病に伏した。王都に戻りたいと何度もうわ言のように繰り返し、そして死んでいった。領地は兄が継いだ。西の山間にある辺鄙なところだ」
ユリウスの中に罪悪という気持ちが芽生える。
「兄は今でも現王に忠義を尽くそうとしているようだが。私は違う。私は私の信じた道を行くのみ。落ちぶれた我が一族に手を差し伸べてくださったのは、シャウラ様。こうして仕事を与えてくださり、気にかけてくださるのは、あのお方だけだ」
ユリウスの心は痛む。彼の言っていることは本当だ。ユリウスは、あの後。のウェンベルクと懇意にしていた人たちがどうなったのか、知る由もなかったのだ。
(いや違う。教えてもらえなかった、ではない。知ろうとしなかったのだ)
ユリウスはじっとコルヴィスを見つめた。
「前王暗殺の件。お前の父は無実だ、と確かに言えるのか」
「言える。父はノウェンベルク王を慕っていた。命を懸けていた。兄や私にも、王への忠誠心を持つよういつも説いていた。父は、王が乱心したとしても、その命尽きるまで従ったことだろう」
「そうか……」
二人の間に沈黙が横たわっていた。昼間だというのに、薄暗い室内に灯る暖炉の炎がパチパチと音を立てていた。
すると突然。外から悲鳴が聞こえた。コルヴィスは弾かれたように顔を上げると、部屋の窓を押し開く。ユリウスも続いて窓辺に駆け寄った。
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