第26話 狼の女と理想と



 突然、姿を現した人間たちに気がついた子どもたちは、驚き、そして急いで母親の元に駆け寄っていった。女たちは、我が子をしっかりと受け止めると、青ざめた顔でフェンリルたちを見ていた。

「我々は戦いに来たのではない。ここにいる狼の獣人と話がしたい」

 フェンリルは武器には手をかけず、両手を挙げて見せる。トルエノもそれを真似た。しばし、沈黙が続いた後、女たちの中から、白銀の耳を持つ女が一人、前に歩み出た。

おさはおりません」

(長? やはりあの狼がこの集落を取りまとめているのだ)

 フェンリルはそう確信し、耳先が黒く染まり、とがっている女を見返した。彼女も狼の獣人けものじんのようだ。しかし、そこにいる他の獣人たちは、それぞれ違った耳の形を持つ者がいる。どうやら、ここには様々な種族の獣人たちが身を寄せ合って暮らしているようだった。

 女たちの後ろからは、男の獣人たちも姿を現した。

「どこへ行った? 狼は夜行性だと聞く」

 しかし、フェンリルの問いに答えたのは、その女だった。彼女は、「——お答えしなければならないのですか」と答えた。その声は、他の獣人たちとは違い、怯えの色は見て取れなかった。

「答えたくないというならば、帰るのを待たせてもらおうか」

 フェンリルはそう言うと、そばにある切り株にどっかりと腰を下ろす。トルエノは吹き出しそうになるのを堪えて、自分もそこに座り込んだ。騎士たちもそれに倣う。町民たちは森の中から、その様子をじっとうかがっているようだった。

「そんなところにお座りになられても困ります。子どもたちが怖がるではないですか」

 狼の女は、少々うろたえた様子を見せていたが、気を取り直したかのようにフェンリルを見下ろした。

「そうか? 我々はなにもするつもりはない。怖くなどないぞ」

 フェンリルはそばにいた猫の子どもにそう語りかける。彼は母親のスカートにしがみつき、じっとこちらを見ていたが、ふと表情を緩めた。それから、母親から手を放し、フェンリルのところに近寄ってくる。

「いけません」と母親は悲鳴を上げた。しかし、少年は、そっとフェンリルの前に立つと、にこっと笑みを見せた。

「そうか。歓迎してくれるか。悪いようにはしない。お前たちの長と話しがしたいだけだ」

 猫の少年の様子を見守っていた他の子どもたちも、「安全だ」と確信したのだろう。一人、また一人とフェンリルたちのところに寄ってきた。

 物珍しいのだろう。彼らは、フェンリルや騎士たちのところで、鎧や武器を見ているようだった。トルエノは自慢の髭を見せびらかす。猫の少年は、その髭を触って笑みを見せていた。

 困惑するのは大人たちだ。獣人の母親たちは顔を見合わせた後、狼の女を見た。臨戦態勢に入ろうとしていた男たちもその手を下ろした。

「子どもたちには歓迎されているようだ。待たせてもらう」

 フェンリルはすまして言い放つ。狼の女は「わかりました」と言ったきり、他の女たちを振り返った。

「心配ない。私が見ている」

「けれど……」

「大丈夫です。待ちましょう。兄さんはきっと帰ってくる」

(兄さん?)

 フェンリルは女を見た。

(あの女は、狼の獣人の妹なのかも知れない。なるほど。どうりで度胸が据わっているわけか)

 フェンリルは敢えて大きな声を上げた。

「ああ、そうしてくれると助かるな」

 口元を上げ、笑みを見せてやると、狼の女は頬を赤くした。

(獣人も人もみな同じだ。ユリウス様の言う通りだな)

 フェンリルは目を閉じた。目を閉じれば、思い浮かぶのはユリウスの顔。髪色も、瞳の色も変わってしまったユリウスだが。彼は彼なのだ。

(あの人は変わらない。そしておれもだ。きっと分かり合える。きっとまた。あの時のように一緒にいられる時間が来る。おれはそれを信じよう)

 子どもたちの笑い声が再び響く。トルエノが遊びだしたようだ。いつもは眉間に皺を寄せ、厳しい顔をしている男だが。子は好きなのか。

 フェンンリルは笑った。ユリウスが求めている国とは、まさにこれだ、と思ったのだ。シャウラの脅威にさらされ、戦争の道を突き進むばかりだが、それはユリウスの理想としている国とは真逆だ。

 ——そばにいてくれ。フェンリル。私は無力だ。お前たちの力が必要だ。

 あの夜のユリウスのその瞳を思い出し、フェンリルは再び目を閉じた。



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