第2話 騎士と漂流者
雪深い森の夜明けは美しい。白銀の世界が、暁光に照らされて、輝いて見え始めるのだ。黒鹿毛の馬に跨った黒騎士は、じっとその様子を眺めていた。すると、後ろから「あ~あ。また夜が明けてしまったじゃないですか」と呑気な声が聞こえてくる。
声の主である男——ウルは、銀製の弓を肩に担ぎ、同じく馬に跨っていた。ウルは、両腕を頭の後ろで組むと、大きくため息を吐いた。
細身のそのからだに、銀色の甲冑は少々大きいようにも見える。金茶色の長く細い髪を後ろで一つに結び、色白の肌は寒さで赤くなっていた。
彼は灰茶色の瞳を細めて、黒騎士——フェンリルを見つめていた。
フェンリルの三つに編まれた長い漆黒の髪は、肌を刺すような冷たさをはらむ風になびく。髪の色と同じ漆黒の甲冑は、ウルたち騎士とは一線を画す。
フェンリルは精悍な顔立ちをしていた。しっかりとひかれた眉と、その下に覗く眼光鋭い双眸は、彼の持つ意思の強さを表しているようだ。冬の海のように澄んだ蒼色の瞳には、眼前に広がる雪が映り込み、キラキラと光って見えた。
フェンリルはじっとしているばかりで、ウルの言葉に返答をする気はないようだった。
「ちぇ、知らんぷりですか」
ウルは唇を突き出した。すると、ウルと同じ銀色の甲冑を身に纏った男が「なんとも情けない奴だな」と愉快そうに声を弾ませながら、馬に跨ったまま歩み寄ってきた。
「ヤツは夜行性で、宵闇に紛れ込んで行動する。雪で仄明るいとはいえ、我々のほうが分が悪い。ヤツを見つけるのは、並大抵のことではないのだぞ。たった数日、徹夜したからってなんだ。だから、今時の若者は困る」
「年の問題じゃないでしょう? こうも連日、夜通し獣狩りで、手掛かりも見つからないときた。文句の一つでも言いたくなりますよ。まあ、百戦錬磨の英雄トルエノ様にはどうってことないかもしれないことでしょうけど」
「嫌味を言ってくれるものだな。若造」
「だ、か、らー。その若造ってやめてもらえません? おれたち仲間ですよ。今は、仲間。この北方警備師団のね」
二人の言い合いを見ていたフェンリルは「ふ」と口元を上げる。
「なんで笑うんですか。師団長」
「そうです。若造の教育が甘いのではないですか。昔は、目上の者に、こんな口をきいたら、ただじゃ済みませんでしたぞ」
「喧嘩するほど仲がいい、ということだ。いいではないか。トルエノ。若者が元気のない国は滅びるぞ」
フェンリルの漆黒の瞳が煌めく。普段、寡黙であるが故、彼の笑顔は時に周囲を黙らせる。ウルもトルエノも少々、バツが悪そうに視線を反らして黙り込んだ。そんな二人を他所に、フェンリルは愛馬の手綱を引いた。
「夜明けだ。ひとまず戻ろう。今晩は特に冷えこんでいたからな」
「特に、って……、いつもですよ」
「ウルは軟で仕方がない。しっかりと鍛錬したほうがいいようだな。帰ったら鍛えてやろう」
トルエノは自らの分厚い胸板を大きなこぶしで叩いた。トルエノは口元に蓄えられている白いひげを撫でた。後ろに流した長い白髪はフェンリルと同じく三つに編まれている。二人と比べると、ずいぶんと年齢が上であるようだ。
しかし目を引くのは、その体躯だ。年齢が上であるというのに、ウルとは比べ物にならないくらいがっしりとした厚みを持つからだは、筋肉の鎧をまとっているようだ。手にしている槍は、ウルが持つ弓と同じ銀色の鈍い光を放っていた。
「うへ~。帰ったらまず暖炉の前で温まって、飯でも食いたいですよ。特訓は、この案件が終わってからにしてください。ねえ、いいでしょう? 師団長」
フェンリルは軽く笑って見せる。
「そうだな……——」
彼は笑みを消したかと思うと、周囲に意識を向けた。ふと誰かの気配を感じたのだ。誰かが自分を呼んでいるような気がしてならない。
「師団長?」
動きを止めたフェンリルの様子に気がついたトルエノが、怪訝そうに声を上げた瞬間。フェンリルは手綱を強く引いた。主の指示を受け、馬は踏み固められた雪を蹴り、走り出す。
「師団長!」
「どちらへ!?」
部下たちの声を後ろに聞きながら、フェンリルは周囲を伺いながら、しかし、ただ一点を目指して馬を走らせた。
木々の合間を抜け、馬は小高い場所に躍り出る。そこからは、森を縦断するように流れている川が一望できた。フェンリルはあちらこちらへと視線を巡らせる。
(どこだ。どこにいる?)
自分を呼ぶ相手を見つけようと、明るくなってきた川面に視線を配る。
(気のせい……だったのだろうか。いや……——いた!)
するとどうだ。大岩に人が引っ掛かっているのが見えたのだ。フェンリルは再び手綱を引く。馬は一気に雪の斜面を滑り下りると、川原まで駆けていった。
南の山脈を源流とし、王都を抜けて、この森を通り過ぎ、北の隣国へと流れていく川だ。上流で嵐でもきたのだろう。いつもにもまして、流量は多かった。
フェンリルは馬から飛び降りると、鎧を脱ぎ捨て、肩にかけていた縄を自分の腰に括りつける。そこに、トルエノたちがやっと追いついてきた。フェンリルは縄の一方をトルエノに投げると、川に身を投じた。
「師団長!?」
トルエノたちが自分の名を呼ぶ声が聞こえるが、お構いなしだ。
いつもより流量を増す川の流れは、徹夜明けのからだには堪える。周囲の冷たさに比べると、水中のほうが幾分か温かくも感じられたが、水の中に浸かっていると、体力が削り取られると感じた。
(長居は禁物。早々に事を片づけたほうがよい)
フェンリルは泳ぐ速度を上げ、流れを横切りながら、大岩のところに辿り着いた。
通常であれば、ここには中州があるのだが。今は岩の頭が覗いているくらいだった。岩にちょうど引っかかっている小柄な男のからだをしっかりと抱え込むと、今来た場所へと戻っていく。トルエノたち騎士団全員が縄を引っ張ってフェンリルの援護をした。
手を伸ばすウルに抱えていた男を押し出す。彼はそれを受け止めると、陸地に尻もちをついた。
「うへー。なんてことでしょうか。こんなところに人が流れ着くなんて」
「大丈夫ですか。師団長」
「おれは平気だ。それより……」
フェンリルは、ウルが抱えている男に視線を落とす。ウルは男の様子を観察した後、「息、してませんけど」と言った。
「貸せ!」
フェンリルはウルから男を取り上げると、様子を伺う。まるで蝋人形のように蒼白い肌と、紫色の唇が見えた。瞳は堅く閉ざされ、微動だにしない。
「こいつは……」
後ろから覗き込んできたトルエノは、珍しく感嘆の声を上げる。それもそのはずだ。彼は、人の形はしていても、人とは違っていたのだ。
頭の上——、鳶色の髪の合間から見えるのは、墨色の三角の耳。それから、腰のあたりからは、大きな茶黒の縞々模様のしっぽが伸びていたのだ。
「
「どこから流れ着いたのでしょうか」
しかしフェンリルはお構いなしに、男を川原に寝かせると、顔を横に向け、その胸を拳で叩いた。何度か繰り返すと、男の口から水が溢れ出た。それを確認して、フェンリルは男のその冷たい唇に、自分の唇を当て、息を吹き込む。
そして再び、胸の真ん中を叩いた。息を吹き込んだり、胸を叩いたりを何度か繰り返すうちに、男が不意にむせ込んだ。
「やった! 息を吹き返した」
心配気に見守っていたウルが両手を叩いて喜びの声を上げた。フェンリルは自分のマントを脱ぐと、男をくるみ込む。それから近くに置いてあった自分の鎧を纏うと、彼を両腕でしっかりと抱きあげた。
「まるで氷のように冷えている。早く医官に見せよう」
「ちょ、待ってくださいよ」
ウルは慌ててからだを起こすと、フェンリルについてくる。トルエノも他の騎士たちを従え、フェンリルに従った。
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