タヌキのポコタは、追放騎士に溺愛される~本当は王様です~(仮)

雪うさこ

第1話 嵐と不思議な実


 瞬きをすることも許されない。額から流れる汗は、冷たく、じっとりとしていた。胸の辺りから、ドクドクと大きな音が聞こえてくる。全身の感覚は研ぎ澄まされ、風の音さえ耳障りに思えていた。無我夢中だった。

 男は、周囲の様子を伺った後、冷たい石の感触を確認しながら、壁伝いに指を這わせていく。

(早く。早くしないと……っ)

 逸る気持ちを抑えながらも、指を動かす。すると、窪んでいるところを見つけた。

(あった!)

 指先に力を入れ、そこを押し込める。すると、隣にぽっかりと小さな穴が開いた。そこから取り出したのは金色の小箱。

 燭光が揺れる。まるで別の生き物みたいに、自分の影も大きく歪んだ。背徳感。罪悪感。自責の念で胸がいっぱいになる。意識して息を吐かないと、詰まってしまうような気がした。

(しっかりしろ。私はこの国の王だ。なにを恐れる。この箱を開ける。そして、その中にある実を……)

 ——なにが王だ。

 すると、心の中に現れたもう一人の自分が嘲るように言った。

 ——お前は自らを王と名乗る資格などないではないか。お前はこうして、自分可愛さに、この場から逃れようとしているではないか。

(では、どうしたらよかったのだ。あのまま、屍のように寝床に横たわっているだけが、私の役割ではない)

 ——だったらどうする。

(だから、私は……。私は一体、どうしたらいいのだ?)

 指先はブルブルと小刻みに震える。恐怖心に打ち勝とうと、目をぎゅっと瞑って小箱の蓋に触れた。すると、男の指先に反応するかのように、小箱はカチリと小さい音を立てると、ゆっくりとその口を開いた。

 中には、土色の小さな丸い粒が一つ入っていた。なんの変哲もない実だったが、それは天鵞絨ビロードの柔らかい布に包まれ、高価な宝石であるかのように、そこにあった。男はそれを、震える指先で摘み上げた。

 心臓が高鳴る。自分でもどうなってしまうのかわからない未来に、泣きたくなるような不安が押し寄せてきた。しかし——。

「——はどこだ?」

「早く見つけろ。宰相殿にどやされるぞ」

「手柄はおれのものだ! おれが一番に見つけてやる」

 甲冑が鳴る音が響く。大勢の人間の足音も近づいてくる。

(私は——……。逃げてもいいのだろうか?)

 男は手にあった土色の粒を慌てて口に含んで嚙み砕いた。口の中に、青臭く苦い味が広がったが、そんなことに構っている場合ではなかった。

 男は窓に駆け寄る。それから、両開きのガラス窓を開くと、身を乗り出し、外の様子を伺った。

 外は嵐だ。真っ暗闇の中、横殴りの風と雨が叩きつけるように吹き荒れていた。男の漆黒の髪が、風に大きく揺られる。

「おい、こっちで音がしたぞ」

「王の書斎だ」

(見つかった!)

 男は窓の下に広がる深淵の闇を見つめた。この城は切り立つ岩壁の上に建てられている。そこには、穏やかに流れる川があるはず。しかし、今は嵐の襲来により、流量は、いつもの倍以上に嵩み、流れも早いに違いない。

(うまくいけば、川の流れに乗って、逃げおおせる。けど。もしうまくいかなかったら?)

 飛び降りる角度が悪ければ、岩壁に激突し、この細く軟なからだは粉々に砕けるだろう。川にうまく入り込んだとしても、濁流に飲まれて溺れ死ぬかもしれない。

(それもいい。どうせ生き延びてもいいことなど一つもないのだ。私には、もう誰もいない……)

 そう思った瞬間。からだの中が大きくうねりを上げた。それと同時に、からだ中が、炎に焼かれているように熱くなる。

「……くッ」

 息もつけぬ程の苦しさが全身を襲った。

 男は窓枠に両手をつき、肩で息を吐く。指先が青白い光を帯びたかと思うと、それは、腕を伝い、からだ全体に広がっていった。

 ——この実は、あなたを襲う危機を乗り越える手がかりになるかもしれません。けれども、そうではないかもしれません。諸刃の剣です。ですから、本当に必要であるというとき以外、口にしてはいけません。

 この実を自分に託した母の言葉が思い出される。「きっとこの実が助けてくれる」そう信じて、ここまで来たというのに。目の前が霞み、息が上がる。

(神は私を見放した。私は、もう……)

 苦しさと熱に耐えようと窓枠をぎりぎりと握りしめる。指先から血が滲んだ。脂汗がとめどなく吹き出し、涙がこぼれた。

「いたぞ!」

 書斎の扉が開く音と、甲冑をまとった男たちの姿が見えた。彼らは手に武器を携え、男を見るや否や、室内になだれ込んできた。

「なんだ? 様子がおかしいぞ」

 甲冑の騎士たちは、武器を構えて男を囲んでいたが、男のからだが青白い炎に包まれていることに、騎士たちは動揺の色を見せていた。

「無礼な。お前たち如きが触れられると思うな……」

(く……っ、だめだ。からだが熱い……っ)

 自らのからだにどんな変化が起きているかなど想像もできない。ただ、地獄の業火に焼かれているような、激しい熱と痛みに思考が途絶えそうになる。

「魔法か? 魔法なのか?」

「違う、魔法の光ではない。これは、一体……?」

 動揺が広がる騎士たちを見渡してから、男は口元を上げた。

「私は誰のものにもならぬ。私は私のもの……だ」

 男は目を閉じ、そして、そのまま嵐が吹き荒れる窓の外——暗闇に淵に身を乗り出したのだった。

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