第9話 理想と現実
「魔物退治か」
ユリウスの問いに、フェンリルは小さく頷いた。
「そうだ。ここのところ、森周辺で町民が立て続けに襲われている」
「死んだのか」
ユリウスはごくりと喉を鳴らす。しかし、フェンリルは首を横に振り、「みんな軽傷だ」と答えた。ユリウスは、胸を撫でおろした。
「それはなによりだ」
しかし、フェンリルの表情は浮かない。怪訝に思ったユリウスは「なにか問題でもあるのか?」と尋ねた。
「魔物はおとなしい奴らも多く、森の奥で静かに暮らしているものだ。ただ、その中で、人の味を覚えたものが、こうして人を襲うのだが……」
「軽傷で済んだ、というところに引っかかっているのか?」
「それだ。一連の犯人と思わしき魔物は、人間を食らうというよりは、悪戯に襲ってきているようにも見える」
ユリウスは顎に手を当てた。
「悪戯? 本当にそうなのだろうか。人間を近づけたくない、なにか理由があるかもしれない」
「魔物にそんな理由などあるものか」
「知性が低いのか」
「ああ」
「だとすれば本能だ。本能がそうさせている。ある意味、人間よりも素直。なにかを守っているのかもしれない」
ユリウスは納得したように頷いてから顔を上げた。すると、あっという間にフェンリルと視線がぶつかった。彼は目を細めてユリウスを見ていた。
「興味がありそうだな。ポコタ」
ユリウスは、慌てて両手を振った。
「べ、別に。ただ不思議に思っただけだ。なにか理由があるのかも知れない。相手を知れば、解決策が思いつくかもしれない」
「解決策……か」
「そうだ。自分と違った意見を持つ者を排除してもなんの解決にもならない。我々は互いを理解し、共存の道を選ぶ必要がある」
「世の中、みんながそう考えるのであれば、争いが起こることもないだろう。だがしかし、現実はそう甘くはないということだ」
ユリウスはむっとしてフェンリルをにらみつけた。
「私が甘いというのだな」
「ああ。だが……。そういう甘さは悪くはない」
反論しようと構えていたユリウスは拍子抜けし、口を閉ざした。
「南部では、エスタトス帝国との戦闘が続く。人は、自らの欲を満たすために、他者を平気で押さえつける。だが、それは決していいものではない。負の連鎖を断ち切るためには、ポコタのような理想を語る人間がいたほうがいいだろうな」
褒められているのか、貶されているのか。ユリウスは気恥ずかしくて、うつむいた。
「どちらにせよ難儀な相手だろう。……気をつけるのだぞ」
「心配してくれるのか? ポコタ」
「そ、それは心配だろう? 得体の知れない相手だ……」
フェンリルは「ふふ」と笑ったかと思うと、ユリウスの頭をくしゃくしゃと撫でた。狸の耳がもぞもぞとしてくすぐったかった。
「それにしても。その偉そうな物言いは改めたほうがいいようだな」
「偉そうか?」
「ああ、随分と偉そうだ」
(偉そうではない話し方とは、どうするのだ?)
ユリウスは自分のそばにいてくれた人たちを一人、一人思い出す作業を繰り返していく。しかし、どの人物の話し方が最良であるかの判断はつかない。そしてやはり、ぽっかりと穴が開いてしまっているように、空白になっている部分があるのだ。
そこを思い出そうとすればするほど、頭が締めつけられて痛んだ。目の前で火花が散るような感覚に襲われると、気持ちが悪かった。思わず、そばのテーブルに手をつく。
そんなユリウスの状況など知る由もないフェンリルはユリウスを見下ろしていた。
「それから。コルヴィスには気をつけろ。奴はシャウラの息がかかっている。おれたちのことを見張っているのだ。お前も気をつけるがいい」
フェンリルは笑みを浮かべると、部屋を後にした。
(フェルリンは、やはり、私の正体を見抜いている。恐ろしい男だ……)
ユリウスは窓辺に歩みよると、外に視線を遣った。ユリウスがいる場所は王都の城のように、岩壁の上に建てられているようだった。窓を開けると、肌を刺すような冷たい風が吹きつけた。眼下に広がるのは、雪化粧を施した森、森、森。それは、どこまでも続いているようだ。
(これがモストロ……。こんな辺鄙な場所に、叔父も、騎士たちも追いやられていたというのか)
馬のヒズメの音がする方向を見ると、そこには騎士団の姿があった。岩で狭まっている坂を、騎士たちは颯爽と下っていった。モストロの脅威から、王都を守ってくれている存在。
(知らなかった。こんな辺境の地だとは、知らなかった)
父親であるノウェンベルクが健在だったころ、宰相のシャウラとは敵対関係だった。貴族たちは二分され、王宮の中は殺伐とした雰囲気が漂っていたのだ。
そんな権力闘争に嫌気が差していたユリウスは、ノウェンベルクに願い出て、シャウラの娘であるエリスを正妃として迎えた。国内の治安悪化は、外敵からの侵入を容易にしてしまう。世間知らずで、経験不足であるユリウスの精一杯の策であった。
しかし、それから間もなくして、ノウェンベルクは急死した。暗殺説が飛び交う中、戸惑いと悲嘆に暮れている自分に付き添い、心の支えになってくれたのは、シャウラその人だったのだ。
(私は幼く、愚かだった。フェンリルがいう、国民の評価は的を射ている。無知で世間知らず。国民に背を向けられても致し方のない王)
すべては最初から仕組まれていたのかもしれない。だがしかし。今頃気がついても遅いのだ。
(どこで掛け違ったのだろうか。いや、もしかしたら、最初から交わることなどなかったのだ)
ユリウスの瞳から、大粒の涙がこぼれた。今まで、ずっと押し込めてきた思いがあふれ出してくる。
(フェンリルが優しくするからだ。私のせいではない。この涙はあの者のせいだ)
窓を閉め、それから暖かいベッドへと戻ると、寝具を頭からかぶる。もう、すべてのことがどうでもいいような気がしてきた。
(こんな状況だというのに、私はまだ生きたいと願うのか。救いようのない愚か者だな)
ユリウスは両膝を抱え込むと瞼を閉じた。すると、あっという間に眠りの底に引きずり込まれる。この肉体は思った以上に疲弊しているようだった。
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