第35話 囚われの王
ユリウスとオルトロスは騎士に拘束され、地下牢に閉じ込められた。まるで罪人のような扱いに、オルトロスは憤慨していたが、今は静かに待つように言い聞かせた。だがしかし。それはオルトロスへの言葉、というよりは、自分自身への言葉だったのかもしれない。
王になるべくして生まれてきたユリウスにとって、牢獄につながれるような立場になるとは思ってもみなかったからだ。しかし、動揺していても仕方がない。
(気持ちを強く持つ。どんな時でも、私は私だ。これからのことを考えろ)
蝋燭の炎が揺れる牢獄に一人で座っていると、いろいろなことが思い出されてきた。岩壁越しに聞こえていたオルトロスの声もしばらくすると途絶えた。彼は彼なりに疲弊していたのだろう。すぐに寝息が聞こえてきた。
(こんな場所でも寝られるとは。平和な奴だ)
ユリウスは、ふと笑みを漏らした。オルトロスは憎めない男だ。仲間を守るために身を挺し、一人で踏ん張ってきたのだ。荒々しい面があると思えば、優しい一面もある。人間の難しいしがらみなどものともしない、まっすぐで素直な男だ。
(自由でいい。私もそんな生き方をしたいものだ)
ユリウスは蝋燭の火で揺らめく、自分の影を見つめていた。
(おかしなものだ。王都を逃れたとき。自分の存在価値を見出せず、投げやりになっていた。それなのに、今は生きることを考えている。そして、これからのこと。それから……)
「フェンリル……」
唇から漏れ出るのは彼の名。
(誰が、いったいなんのために、私の中のフェンリルを消したというのだ。私がフェンリルのことを覚えていることが、なにか不都合につながるとでもいうのか……。フェンリルはこんな辺境の地へと追いやられているというのに)
オルトロスの指摘は腑に落ちることであった。確かに。過去の記憶をたどると、その中でぽっかりと空白になっている部分があることに気がついた。それと同時に、そのぽっかりと開いた部分を思い出そうとすると、拒否反応でも起こすように、頭が割れそうなくらい締めつけられた。
これは異常な反応だった。その痛みを堪え、それでもその空白に意識を向けると、喉元が締めつけられ、息が吐けなくなる。多分、これ以上、無理なことをすれば、死ぬ。
(魔法だろう。かなり強力な魔法だ)
ユリウスは両膝を両腕で抱え、顔を埋める。
(お前は私のそばにいてくれたのだろう。きっと。昔からずっと……)
目の前の人間が、自分のことを忘れていたら——。ユリウスはフェンリルの気持ちを思い、視線を伏せた。
過去のことは思い出せない。思い出せないかも知れないが。ユリウスは目を開く。
「今はわかる」
王宮から逃れ、ここに辿り着いたその時からのフェンリルとの記憶は、この胸に確かに存在している。
(過去はわからぬ。しかし。今の私にとって、お前は大事な存在だ。どうか、無事でいてくれ。お前が無事なら、私はどうなってもかまわない……)
ユリウスは軽く息を吐くと、再び目を閉じた。
(世界は広かった。王座に座っているだけでは王は務まらぬ。私はもっと、この世界のことを知るべきだったのだ)
貴族たちは王都に住まう。王宮に出入りし、日々狩りや舞踏会に興じる。それが自分たちの務めだと信じているからだ。国を守るは騎士の役目。貴族は騎士たちに指示をし、自ら戦線に出る者はいなかった。
(作られた箱の中で王としてうまくやってきたと思っていた)
——臆病な王。
——傀儡。
——国民に背を向けた王……。
フェンリルから聞いた、国民たちの噂が思い出された。
北部の城に来て知った。固いパンと彩りもないスープを食べる毎日。モスロトの魔物たちと対峙し、過酷な状況で国を守る騎士たち。
(きっと南部戦線も同じようなものだろう。なぜ戦っている。我々は……)
王都での豪華絢爛な暮らしと、北部での今の暮らしが交互に脳裏に映し出され、ユリウスは目を瞑った。
あの暮らしをよしと思ったことはなかった。しかし、あれしか知らなかった。生まれてからずっと、そうだったのだから。あの暮らしが、堪らなく嫌だったはずなのに。
こうなってみると、自分も同じだった。王宮の貴族たちの中で、自分だけは違う。そう思っていたというのに。
(私は世間知らず。狭い世界で、粋がっていただけの話。世界はこんなにも広く、想像を超えるような暮らしをしている人々がたくさんいるのだ)
ユリウスは膝を抱え込むと、そっと目を閉じる。闇や孤独は負の感情を助長させる。しかし——。ユリウスは違った。牢獄に一人置かれたというのに、ユリウスは笑みを浮かべた。
(けれど。私はそれを知りたかったのだ)
ずっと知りたかったこと。
誰も教えてはくれなかったこと——。
ユリウスの心は、じんわりと温かくなる。そして、それらを教えてくれるのは——。
(フェンリル。死ぬな。絶対だ。私はお前に感謝してもしきれない。死ぬな。フェンリル。まだ伝えたいことがたくさんあるのだ)
まるで地獄の淵にように、静かで暗い牢で、ユリウスはじっとうずくまっていた。
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