第36話 牢獄と再会


 どれくらいそうしていただろうか。どこからか響いてくる足音に、うつらうつらとしていた意識が現実に引き戻された。人の気配を感じて顔を上げると、そこにはランブロスが立っていた。

 領主自らが、地下牢に足を運ぶことなど皆無。何事かと思い、ユリウスはそっと彼を見上げた。

 ランブロスの静かな鳶色の瞳は、ユリウスをじっと見つめていた。「信じられない」と彼は言った。

「フェンリルの弟であるミーミルが、あなたのことをユリウス殿下だと言い張る。それは本当か……? 本当なのか。あの可愛い我が甥が、タヌキに……?」

 ユリウスはまっすぐにランブロスを見据えたまま、「それならどうするというのです」と答えた。

 二人はしばし黙ったまま視線を交わした。根負けしたのか。ランブロスは大きくため息を吐くと、首を横に振った。それから懐から鍵を取り出すと、ユリウスが座っている牢獄の扉を開く。

「確かに。信じがたき出来事であるが……。あながち嘘とも言い難い。前正妃は、この地方の出。不思議な魔術を使える山の民たちは、獣人たちの力をも使いこなし、この地方ではタヌキが神の使いを言われている」

 ユリウスはじっとランブロスを見つめ返していた。彼は目を細め、昔を懐かしむかのように言った。

「兄は、最愛の妻が生まれ育ったこの地が好きだった。そして、この地方で獲れる果実が好きだった」

「林檎が好きでした」

 ユリウスは身分を隠しておくことも限界にきていると感じた。なにか大きな運命の波に翻弄されているのだ。きっと自分ひとりの力では抗えない力だ。ランブロスに正体を明かすことは必要なことのような気がしたのだ。

 ユリウスは静かに立ち上がると、ランブロスのその穏やかな瞳を見つめ返した。

「父は、この地方でよく食される林檎の菓子が好きでした。そして、それは母の得意料理でもありました。母の作った林檎菓子は、城下で売られている菓子とは違い、樹木の内樹皮からとれる香辛料を入れる。それが林檎の甘さを際立たせ、私も大好きでした」

 ランブロスの目は見開かれ、そしてあっという間にその場に跪いた。

「ご無礼をお許しください。ユリウス殿下」

「やめてください。こんな格好です。誰も私をユリウスだとはわかりません。唯一を覗いて……」

 ユリウスの声色は曇った。フェンリルを思ったのだ。ランブロスは小さく頷いてから立ち上がると、笑みを浮かべてユリウスの姿を眺めまわした。

「そう見ないでください。叔父上。見世物ではありませんが」

「これは失礼。だが。なんとも。いったい、これは……。あの美しい漆黒の髪も瞳もどこへいったのか」

「愚かな所業の果です。無知で愚かな私への罰でしょう」

「そうでしょうか。なかなかに愛らしきお姿ですよ」

 牢獄の扉が音を立てて開かれる。

「お話をお伺いしてもよろしいでしょうか。殿下」

「——もちろんです」

 ユリウスはゆったりとした動きで牢獄から出る。それから、ふとオルトロスに視線を遣る。ランブロスは「もちろん、彼も開放いたします」と言ったかと思うと、オルトロスの牢獄の扉も開いた。

 ぐうぐうといびきをかいて寝ていたオルトロスは扉が開く音に「なんだなんだ」と目を覚ました。

「お前も開放だ。来い」

 オルトロスは、目をこすりながら大きなあくびをした。

「もう少し寝かせろ。ここは静かでいい」

「そうか。ならもう少し寝ているか」

 ランブロスは笑った。オルトロスは目を細めると、「くそ。わかったよ」と唾を吐いてから、のっそりとその巨体を起こした。

「すまないな。巻き込んで」

 ユリウスの謝罪に、彼は「面白い経験ができたぜ」と両腕を頭の後ろで組むと笑った。

「それではこちらへ」

 ランブロスの案内で、ユリウスとオルトロスは地下の牢獄を後にした。


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