第6話 王子と思い出



 フェンリルは部屋から出ると、後ろ手に自室の扉を閉めた。それから扉に背を預けると、深く息を吐く。

 川で救ったタヌキの獣人けものじんは、フェンリルの知る人物と同じ傷を持っていた。あの肩にある、魔法で焼かれたような傷だ。髪の色も、瞳の色も違っているというのに。フェンリルは確信していた。

(ユリウス様……)

 あの瞳。そう、あの瞳は——。姿形が違うというのに、フェンリルは確信していた。あのタヌキの獣人は、現国王であるユリウスだということを。

 フェンリルは下級貴族の出だ。父は早くに死に、爵位を継いだ兄も病弱だった。二男であるフェンリルは、自ら志願をし、騎士団へと入った。

 元々、剣術は得意で、幼少時代から抜きんでた才能を披露してきた彼だ。入団後も、数々の功績を上げ、当然のように昇進していった。

 建国以来の天才。そう謳われたフェンリルの噂は、当時の王ノウェンベルクの耳にも入り、フェンリルは王子二人の剣術指導を任された。剣術指導など「王族の遊戯の一環」程度にしか考えていなかったフェンリルにとって、それは気乗りのしない任務であったが、断ることなどできようもない。フェンリルはその任をありがたく仰せつかったのだった。

 そこで彼は、二人の王子と出会った。

 第一王位継承者である兄のユリウスは十六歳。第二王位継承者である弟のカストルは十四歳。異母兄弟の二人は、容姿、性格共に違っていた。

 ユリウスは華奢で小柄な体躯を持つ。髪の瞳は漆黒。雪白の肌は彼をぼんやりとした印象に見せる。目はぱっちりとしているものの、平坦な顔立ちで、どことなしか、幼さが残る少年だった。

 それに引き換えカストルは、ユリウスの倍はあるかというしっかりとした体躯の持ち主。金髪の碧眼で、彫の深い顔立ちは、見る者の心を捉えて離さない。自らの存在価値を意識しているのか、立ち居振る舞いも堂々たるものだった。

 フェンリルは一目見て、有力貴族たちが第二王位継承者であるカストルを王に据えたがっているという理由を理解した。カストルが大輪の花を咲かせる薔薇だとすると、ユリウスは日陰にひっそりと咲く名もない花のようだった。

 しかし、剣術指導に王位継承は関係のない。フェンリルは両者分け隔てなく剣術指導を行った。

 カストルは、見た目に反し、とても臆病で気持ちの弱い少年だった。少し手合わせをすると、「痛い」「疲れた」と、すぐに音を上げて、その場から逃げ出すということの繰り返しだった。

 けれど、ユリウスは違った。フェンリルの言いつけをよく守り、そして粘り強く飽きることなく鍛錬を繰り返していた。最初は乗り気ではなかったフェンリルも、いつの間にか彼の熱に絆されて、本気で彼を向き合うようになったのだ。

 王子だからとて、容赦はない。フェンリルに打ち据えられ、ユリウスは傷を負うこともあったが、彼はそれでも果敢に挑んでくるのであった。

 フェンリルは、王としての器にふさわしい自分になろうと必死に日々を過ごしているユリウスを見ていると、誤解していたことを恥じた。

 彼との時間を過ごすごとに、フェンリルはすっかりユリウスに傾倒していった。

 十も年下だというのに。フェンリルはいつしか、彼のためなら命を懸けようと思うほどになったのだ。

 しかし、そんな幸せな時間は終わりを迎えた。ノウェンベルクが逝去したのだ。突然の訃報に王宮には激震が走った。ユリウスとの別れだった。彼は王の座につくことになった。それと同時に、ノウェンベルク派であった、貴族たちや騎士たちはみな、中央から遠くに飛ばされてしまったのだ。

 この措置は、ユリウス命ということにはなっていたが、ノウェンベルクと対立していた宰相シャウラの仕業であるということは一目瞭然だった。彼はまだ無知なるユリウスを言いように言い含めて、邪魔になる者たちを排除したというわけだ。

 フェンリルもここに飛ばされた。四年前の話である。ユリウスの身を案じても、王都に戻ることは叶わない。彼とはあの日以来、一度も会うことはなかった。

 いつかまた、ユリウスのそばで仕えることを願ってきた。ここに飛ばされたのは、ユリウスの意志ではないと信じて。

 ここに配属された騎士たちが、諦めと落胆で腐っていくのを励ましながら、自らもその望みを捨てることなく、ここにいたというのに。まさか。目の前にその彼が現れるとは、信じられない出来事だった。しかも……。

「タヌキ……だと?」

 フェンリルは肩を震わせて笑った。

「まったくもって、おかしなことばかり引き起こしてくれるお人だ」

(怒った時、耳まで真っ赤にする。相変わらずなのだな。相変わらず。あの頃と何一つ変わっていない……)

 一頻り笑い、顔を上げると、少し離れた場所から、ウルが怪訝そうな顔をしてこちらを見ていた。フェンリルは咳払いをしてから、表情を引き締めてウルを見返した。

「なんだ」

「いえ。だって。師団長が笑うなんて初めて見たんで。驚いただけです。徹夜続きで頭でもおかしくなったんですか」

 彼はぽかんとした顔をしている。フェンリルは再び咳払いをすると居ずまいを正した。

「おかしくなどなってはいない。お前もさっさと休め。今晩も奴を追う」

「わかってますけど。……それより。あのタヌキちゃん。目が覚めたんですか」

「ああ。これから身支度が整いしだい、話を聞くところだ」

「あ、おれもいいですか?」

「お前も?」

 するとそこに、トルエノものっそりと顔を出した。

「私も同席したいですな。師団長」

「いいだろう。もう少ししたらここに来てくれ」

 二人は頷きあうと、廊下に姿を消した。フェンリルは給仕室に足を運ぶと、ユリウスの身支度を整えてやるように指示をした。女中たちは、ユリウスの出現に、噂話に花を咲かせているところだったが、フェンリルの顔を見て、神妙な顔つきになり、支度を始めた。

 それを確認した後、フェンリルは執務室に向かう。手紙を書かなければならなかった。至急のだ。それを伝書鳥で飛ばすのだ。それを終えた頃にはユリウスの支度も終わるだろう。そうしたら、ゆっくりと話を聞いてみよう。そう思ったのだった。


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