第33話 願いは一つ



 頭を下げている町長が、そっとユリウスに言った。

「しかし、……そ、そやつは仲間を傷つけたのですぞ。我々に沈黙を守れというのですか。それはあまりにむごい仕打ちでございます。ほら。お前も話をしろ」

 町長の合図に、一人の女が前に出てきた。

「洋服店主の妻にございます」

 女は、地面に額をつけたままそう言った。ユリウスはフェンリルたちから降りると、そっと女の前に膝まづく。

「タヌキ様。この度は夫のせいで、こんなことになり。本当に申し訳ありませんでした。しかし、夫は真面目な人です。みんなが喜ぶ顔を見るのが楽しみで、夜も遅くまで洋服を作っておりました。夫は獣人けものじんであろうと、喜んで服を売ったでしょう。なのに、傷を負い、持病の発作を起こして……。どうしてそんなむごいことをなさったのですか」

 ユリウスはオルトロスを見上げた。彼は低い声で答えた。

「驚かすつもりはなかった。子の服を買いに行った。銀を支払い、受け取った時に、おれの顔が見えたようだが、店主は知らぬふりをして、私に服を渡してくれようとした。しかし、店にいた他の客に顔を見られた。それで騒動が起きて——。あの場から逃げ出すのに必死だった。店主が持病の発作を起こすなど思いもよらなかった」

(不幸が重なったのだ)

「騒いだのは夫ではないのに。ひどい目にあったのは夫だなんて……」

 フェンリルは地面にうずくまっている洋服店の女を見下ろした。オルトロスは困惑したように、眉間にしわを寄せていた。すると、後ろに控えていた町民の一人が「嘘だ。こいつは嘘を言っている。お前たちは、他の仲間も傷つけたぞ」と言った。

 町民の間からは「そうだ」という同意の声が複数上がったが、近くて静観していたトルエノが「しかし、どれも軽傷だがな」と肩をすくめて見せる。町民たちは静まりかえった。

 オルトロスは低い声で町民たちを見渡した。

「ここは、せっかく手に入れた安息の地だ。知られたくなかった。少し驚かせれば、逃げ帰ると思ったのだ。すまなかった」

 オルトロスの後ろに控えている獣人たちの中から、トラの獣人が一歩前に出た。

「子供が生まれるんだ。何年振りかの子だ。おれたち獣人は、繁殖がうまくいかない。だから、この大事な命を守ろうと、長は一人で人間に立ち向かってくれていた」

 町民たちは、黙り込むしかない。それを機に、ユリウスは静かに語りかける。

「ここは古き時代から、様々な種族が共存できる地だった。違うか? 獣人たちは、ただ自分たちの生活を守りたいだけだ。それは人間たちも同じこと。誰もが安寧を求めているのだ。同じ志を持つ者同士がいがみ合う必要があるのか」

 ユリウスの言葉は、その場にいた人々のいきり立った心を鎮める。

「立場は違えど願いは一つ。恐れることはない。手を取り合え。心を開けば、おのずと道も開ける」

 町長は一歩前に歩み出た。

「我々は、我々に危害を加えようとする者でなければ歓迎したいと思います。神の使いよ」

 町長の言葉に、オルトロスは頷いた。

「おれたちは、おれたちの平和を守りたい。そっとしておいて欲しい。願いはそれだけだ」

 二人の手と手がしっかりと握られる。両者は視線を合わせ、口元を上げて笑った。

 ユリウスも笑みを見せる。それから、オルトロスに言った。

「獣人は、人間にない卓越した身体能力を持つ。これからは、町の者たちのために、その能力を貸してやれ」

「わかった。その代わり……」

 町長は頷く。

「町に出入りしても構わない。むしろ、客が増えることは、我々にとっては有益だ。ただ、面倒ごとはごめんだ。問題が起きた時は、当事者同士で解決せず、代表同士で話し合うルールを作ろう」

「わかった」

 フェンリルの胸につかえていたものも、ストンと落ちた気がした。町長とオルトロスの間で笑みを見せているユリウスの横顔を見ていると、心が熱くなる。まるで自分のことのように誇らしい気持ちにもなった。町長は、「まさか。神の使いが現れるとは思ってもみませんでした」と言った。

「先ほどからみなが神の使いというが、どういうことなのだ?」

 ユリウスは町長に問う。彼はしっかりと頷くと、口を開いた。

「昔から。タヌキは我々の守り神です。峡谷に住む、山の民がかわいがっていた動物でもあります。山の民は神の声を聴き、我々に恩恵をもたらしてくれていた。けれど、ある時から、その姿は見えなくなりました。それと同時に、モストロの魔物たちが活発に動き出していましたから。我々は神に見放されたと思っていたのです」

「山の民……母の故郷」

 ユリウスはそう呟いた。その時。風を切って、頭上を横切る存在がいた。はったとして顔を上げると、大きな鳥が旋回しているのが見えた。

「おーい、戻りましたよ。師団長!」

「兄さん!」

 王都に派遣していたウルの帰還だった。彼の後ろには弟であるミーミルがいる。どうやら無事に連れ帰ったようだった。

 この場も収まり、弟の無事も確認された。安堵の念が押し寄せてくる。その瞬間。フェンリルの視界が歪んだ。膝が折れ、姿勢を保つことがままならず、フェンリルは地面に突っ伏した。

「フェンリル!」

「師団長!?」

 自分を呼ぶ声が聞こえるが、それもしだいに遠のいていった。

 意識が途切れる瞬間。泣きそうなユリウスの顔が見えた。

(またですか。また。あなたはいつも、そうだ——)



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