第52話 赤子


 建国の儀が明日に控えていた。シャウラは中庭を一望できるバルコニーに立っていた。明日はここが人で埋め尽くされる。王族のみが見ることができる景色を、明日。自分がここで独り占めするのだ。心が弾む。歓喜で震えだしそうな指先で、手すりを握り締めた。

 昨晩遅く、オリエンスとカロスが帰還した。ユリウスは「タヌキ」の姿になっていたという。

(ユリアは早くに死んでもらってよかったのかも知れぬ。あの女は山の民の娘。不思議な術を使う)

 シャウラは彼女が苦手だった。なんでも見透かしたようなあの漆黒の双眸が嫌いだったのだ。

 オリエンスとカロスはユリウスとカストルを仕留めそこなったと報告した。ユリウスを仕留め損ねた後、カストルと共に死の谷から逃れた一団は、進軍中のタウルス軍に遭遇したのだ。

「カストル様は、ご自分がこの国の王子だ。助けろと騒いでしまいまして」

「人質として捕縛されました」

「タウルスの将軍が『約束通り建国記念の儀には間に合うよう王都に進軍する。そちらも約束を守るように』。『この王子は最後の切り札として預かっておく』と」

「人質にされても用を足さぬ王子なのだがな」

 シャウラは鼻で笑った。

「ランブロス領を発つ時。タウロス軍はすっかり城を取り囲んでおりました。多勢に無勢。城が落ちるのも時間の問題でしょう」

「あれではランブロスは領地外には出られませんね」

「例え城が落ちなくとも、足止めにはなるのではないでしょうか」

 二人はシャウラの機嫌でも取るかのように言った。

「ユリウスも、とても見る影もありませんでした。誰だかわからないくらいです。仮に、ここに辿り着いても、誰だからわからないでしょうね」

「山の民の獣人の実は、その効力を消すことは不可能と聞いております。ユリウスは一生、あのタヌキの姿のままです」

 シャウラは二人の会話を一通り聞くと、旅の疲れを労い、下がらせた。

(オリエンスとカロスは使えぬ。これが終わったら考えなければならないな) 

 それから、シャウラは笑った。

「ユリウスがタヌキだと? ……これは一興。ユリウスは王と名乗ることも憚られるな」

 いつまでも止まらない笑みを堪えていると、自分の名を呼ぶ女の声が聞こえた。シャウラは声のするほうへと歩み寄った。女は、部屋の片隅に小さくなって控えていた。

「見つけたか」

「黒髪の赤子にございます」

「母親は?」

「殺しました」

 シャウラは女の手から赤子を持ち上げる。生まれたばかりの、小さな命。だがしかし。それはシャウラにとったら、とても貴重な存在でもあった。

「でかした。でかした」

「ありがとうございます」

 彼女はほっとしたように息をついた。だがしかし——。それも束の間だった。彼女の後ろで閃光がきらめいたかと思うと、視界は闇に閉ざされる。シャウラの足元には、女のからだが崩れ落ちた。だがしかし。彼は一向に気にする様子もなく、赤子を抱いたまま「エリスを呼べ」と声を上げた。

 呼ばれて顔を出した騎士は、他の騎士たちが、女中の遺骸をかたずけているさまに目を見張るが、黙ってエリスを呼びに行った。

 ユリウスが失踪し、もう誰も、シャウラに口応えをする者などいない。貴族がそうなのだから、騎士たちはもっと口を閉ざすしかなかった。

 エリスが姿を見せるころには、部屋はきれいに片付けられている。彼女は少々顔をしかめた。

「なにか変なにおいがしませんか。お父様」

「気のせいであろう。それよりも、どうだ。この子は。かわいいぞ」

 シャウラはエリスに赤子を突き出す。彼女は「なんですの?」と眉間にしわを寄せた。

「お前の子だ」

「は? なにをおっしゃっているのかわかりません」

「いいや。わかるであろう。この子はお前とユリウスの間にできた子だ」

「まあ! お父様。一体、なにを言い出すのです」

 エリスは悲鳴にも似た声を上げるが、シャウラは彼女のそのか細い腕をがっしりとつかむと、力任せに引き寄せた。

「ユリウスは死んだ。カストルもだ」

「え!?」

 彼女の顔は血の気が失せる。唇は紫になり震えていた。

「か、カストル様が……ど、どういうことなのですか」

「あの馬鹿王子は、最愛の兄を探しに北部へと行き、そこでランブロスたちに殺された」

「ランブロス侯爵が? なぜです」

「あの男は自分が王位に就きたくてうずうずしていたのだ。王位継承権がこれで回ってくる」

「そんな」

 エリスは床に膝をつき泣き崩れた。だがしかし。シャウラはそれを許さない。

「泣いている場合ではない。お前は王子の後見人として、ここから、正妃として国政を動かす。わかるな?」

「……お父様。私。そんなことはできません。だ、だって。この子は私の子ではない。ああ、なぜカストル様は、死なねばならなかったのですか。私はランブロスに敵討ちをしにまいります」

「馬鹿を申すな。大丈夫だ。ランブロスもじき始末される。約束する」

「一体……お父様はなにをおっしゃっているのか、さっぱりわかりませんわ」

「お前は黙って言うことをきいていればよい。エリス」

 彼女の名を呼ぶシャウラの声は冷たい。エリスは、はったとして目を見開いたかと思うと、エリスは黙った。

「わかりました」

 彼女は赤子を抱いたまま、よろよろと立ち上がった。

「いいな。くれぐれも死なすでないぞ。建国の儀には、王子として披露するのだからな。名前を考えておこう」

「……わかりました」

 彼女は静かにシャウラの部屋を後にしていった。

 シャウラは笑いを堪えるのに必死だった。

「あと少しだ。あと少しで思うようになるのだ」

 ユリウス、カストル、そしてランブロス。王族の血は絶える。

(今頃、ランブロス領は火の海だ)

 シャウラはくぐもった笑い声が薄暗い城内に響き渡っていた。騎士たちは手を止め、そして顔を見合わせた。



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